知識でマウントをとりがちな音楽ファンと刺し違える
音楽の聴き方の話
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もちろん人によるとは思うけれど、初めて音楽を聴くときに「しっかり認識できること」って、必ずしもそこまで多くないと思う。
というよりも、音楽を構成する要素の一部にしか耳がいかない人って、けっこう多いと思うのだ。
具体的に言えば、ボーカルの声とメロディーだけ、みたいな人が多い思う。
だからこそ、日本のヒットソングの多くは、その2つの要素を先鋭化させたものが多い。
どの楽器がどんな音が鳴るのかとか。
こういう音色で、こういうリズムアプローチをする音楽ジャンルはこういう名詞で呼ばれているんだとか。
そういうことがわからない人の方がきっと多いと思うんだけどれど、そういう人でもボーカルとメロディーのことなら、なんとなく「分かる」から、その分かる範囲で音楽を聴く人が多い、という話なのかもしれない。
故に、最初はベースの音が「どの音」かわからない人だって多いと思うし、四拍子以外のリズムは違和感を覚えてしまう人もいると思うのだ。
ただ、音楽の面白いところは、知ることが増えれば増えるほどに音楽の聴こえ方が変わるということ。
例えば、ベースの音がどんな音かがわかり、ベースの音を追いかけるように音楽を聴くようになると、あるタイミングで音楽の中でベースの音が見えるようになる。
こうなると、過去の音楽の聴こえ方も変わってくるし、ひとつの楽曲の中から発見をすることも増えていく。
あの時はスルーしていた部分に超絶技巧な胸アツ要素が放り込まれている・・・というのは、よくある話だ。
この音楽をこういう部分に魅力があると思っていたけれど、こんなところにも魅力があるんだ!
そういう気付きって、聴こえるものが増える中で生まれてくるように思うわけだ。
ラップにおいて、韻をベースにして作品を聴く、というのもそのひとつだと思う。
なんとなく言葉が並んでいるなーと思って聞き流していたラップ音楽が、明確なる構造の中に言葉を落とし込んでいることを知ると、途端にドキドキとワクワクがとまらなくなる。
そういう話だって、よくある。
リズムだったり。
音色だったり。
音楽ジャンルだったり。
ひとつの音楽をより深く味わう上で、それらの要素をひとつひとつ知ることは効果的な影響を与える。
あるいは、その楽曲の<元ネタ>を知ればより楽しく作品を楽しむことができる、というのもよくある話だ。
そう。
知識というのは、本来作品を豊かに味わう上で強い味方になるわけだ。
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知識でマウントをとちがちな音楽ファンと刺し違える
しかし。
人その<知識>を間違った武器として使う人がいるのだ。
そう。
誰かをマウントに取るためにその知識を使うヤツがいるのだ。
例えば、とある人が<最近ベースの音がわかるようになってきた・・・!>みたいな興奮をSNSにあげているとする。
すると、「は?、おまえベースの音もわからずにバンド好きとか言ってたの????ぷぷぷぷぷ・・・」みたいなテンションの言葉をその人にめがけて投げたりする人って、わりといるのだ。
まあ、こういう言い方はないにしても、(一般的に)知識がある(と思われる)人が、まだビギナーな人に対して、バカにするような眼差しを与えることって、わりとどのジャンルでも多い。
あるいは、若者の中で流行っている音楽を貶す、自称音楽通の年配者という構図も、正直よくみる。
知識があるからこそ見え方が変わる、というのは確かにあるかもしれないが、その知識を残念な武器として投じる人は、残念ながらそれなりにいるわけだ。
確かに。
どんな界隈においても、新参の方で非常識な人というのは、いる。
そういう人が、その非常識な部分において周りから揶揄されるという話は、ありえるのかもしれない、と思う。
しかし、善良(という言い方が正しいのかは微妙だが)なビギナーに対して、玄人が知識的な形でマウントをとるのは色んな意味できついし、ある程度年齢を重ねた年配方が自分よりも社会的に立場が下である可能性がある若い人に対して、マウントを取るサマをみるのも、きついものがある。
さらに言えば。
これはあまり言いたくない話であるが、ジャンルとして衰退している界隈ほど、こういう年配の人間が幅を利かせていることが多く、意識的であれ無意識的であれ、やってきた新しい人を<つぶす>構図はよくある。
まとめ
まあ、それは置いといたしても、だ。
せっかく培った知識を小さな承認欲求を満たすために使うのはもったいないよなーと思うわけだ。
だって、本来であれば、その知識はもっとたくさんの使い方ができるはずだからだ。
例えば、もっと自分の感受性を豊かにすることだって、できる。
他の人の音楽ライフを豊かにすることに使うことだってできるはずなのだ。
そんな輝く知識の一粒一粒を、マウントをとるための道具として消費するのは勿体ないよなーと思ってしまうのである。
何より、自分の方が知識がある側と思って誰かをバカにしていたら、ある側面では自分の方が知識がない側にまわっていた、という話はよくある。
どうせなら、その知識は豊かに使いたい。
そんなことをふと思う、平日の夜。
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