今日だけはチケットぴあやイープラスを殴らせろ

ライブは楽しい。生きるための希望、エネルギー、モチベーション、これがないと生きていけない。圧倒的存在証明。ある種の中毒。聴けるタイプのハイボール。合法的な麻薬。SNSをやっている理由は、少しでも行きたいライブに行ける可能性を上げるためと、行きたいライブを見逃さないため、くらいまである。

そう。

ライブ好きにとって、ライブの価値は甚大だ。かくいう、自分も年々仕事などで行けるライブの本数自体は減ってしまっているが、それでもライブの価値はあの頃と差がない。

でも、ライブであれば、何でもOKかと言われると、そんなことはない。大事なのは行きたいライブに行くことだ。どんなにライブ好きでも、自分的に本当に刺さらないライブの時間は無限列車。永久に終わらない。朝礼のときの校長の話の地獄具合を思い出す。

そう。

ライブ好きにとって、どのライブに行くのかはもっと重要なのだ。もちろん、新しい出会いと新しい沼も随時はあるけれど、刺さるのが確定のライブにこそ行きたいのは大方の本音だと思う。

ただ、難しいことに誰かにとっての「行きたいライブ」は、他の人にとっても「行きたいライブ」である確率が高い。だからこそ、ライブ好きほど、特定の絶望に陥りがちだ。ライブ好きなら、一度は目にしたことがある絶望的ワードランキング第1位。それは、

「抽選の結果チケットをご用意することができませんでした」

自分調べでは、雨の日に小さな水たまりがあって、ギリギリセーフかなと思って足を突っ込んでみたらしっかり靴下まで水が染み込んできたしまった、の次にメンタルにくる事象である。

いや、ライブが生きる活力であることを考えるなら、雨の日の靴下の方がまだマシまである。

格ゲーで言えば、画面の端っこに追いやられてボコボコにされている、あの感じ。スマブラだったら、さっさと場外にふっ飛ばしてリスタートさせてくれと願う、あの感じ。ボンバーマンなら逃げ道がない状態で爆弾と爆弾に挟まれて残り数秒の命を憂う、あの感じ。

なんといっても、ライブの予定はその後の生活に大きな影響を与える。

予定帳に書き込んでいたライブの予定が白紙になる恐怖は、過剰な抜け毛の次くらいには恐怖だ。

例えるなら、アレだ。チケットの落選の報告って、アンパンマンやルフィにおける「水」と同じなのだ。それまでは死ぬほど元気だったのに、それに触れると瀕死の一歩手前になる。

それが、「抽選の結果チケットをご用意することができませんでした」という鬼のような言葉。

まあ、アンパンマンなら顔面を変えたら力が湧いてくるだろうし、ルフィはなんかよくわからんけど、バスタオルとかで身体拭いたら力が湧いてくると思うのだ。

ライブ中毒者がほしいものは、ただひとつ。

行きたかったライブに行く権利、これだけ。

ポケモンでいえば、「ひんし」の状態に似ているため、この状態になってしまうと、いまさら、キズぐすり程度のご褒美では回復しない。”行きたかったライブに行く権利”というげんきのかけらが必要だ。

しかし、現実は残酷である。

というのも、ポケモンの世界におけるげんきのかけらは、怪し気な道具屋さんで比較的良心的な価格で販売している。

が、”行きたかったライブに行く権利”はそうはいかない。

クソみたいなインターネットのダフ屋が、クソみたいな価格で、クソみたいな条件でもって、クソみたいな文面で、クソみたいに売っていることが常だからだ。

5000円のチケットが、何万とかになっていたときの怨嗟は半端ない。

そもそもちゃんと金払うからチケットくれよ!ってプお願いをしていたのに、「無理無理ぃ〜!」と拒絶した、プレイガイド。

もっとこっちを向いてくれよ。

おれたち、それなりにあんたらに課金してるじゃないか?

なんでそんなにここぞのときは無慈悲なんだよ。

だいたい、プレイガイドのやつ、毎回メールで俺のことを祈っているにも関わらず、ちっとも人生の運があがらない。チケットの運も一向にあがらない。代わりに、この前、ぼーっと歩いていたら犬のうんこを踏んでしまったわ。

これこそ、まさにうんが付きましたな!

っていう、かいけつゾロリレベルのクソみたいなギャグみたいな日常。

イープラス、ローチケ、チケットぴあ、そこに並べ

ただ、こんなことを思う瞬間もある。

じゃあ、「運」以外の要素で、チケットの当選確率が上がる世界線の方が、本当に幸せなのだろうか、と。

例えば、ファンクラブ。

あれって言ってしまえば、人よりもたくさん課金しているから、人よりもチケットを申し込めるチャンスを増やせますよ、という仕組みだと思う(もちろん、それだけではないけども)。

もちろん今のファンクラブは素晴らしい仕組みだと思うが、あの制度がいきすぎて、仮にチケットが資本主義の世界に染まりすぎてしまい、高額を出さないと購入できない世界になったら、それはそれで厳しいことになると思う。

ライブは金に余裕のあるやつしか行くことのできない道楽。

それってダフ屋で苦しむ今の実状よりも、悲しい状況になるという話だ。

それならば、(あくまでも表向きには)運だけに委ねられたこの世界の方が優しいのではないか。

(一応は)運に別途して、安心してチケットを手に入れる権利を公平に分配するプレイガイドという存在は、もしかしたら偉大なのではないか。

当これが「人の手」で管理しているものだったら、きっと色々と不公平が生じてしまうだろうし、あっという間に資本主義の波に飲まれて値段の高騰を許してしまうから。金か人脈がないとどうにもならないのは、ビジネスの世界だけにしてほしい。

そう思うと、少しずつ、プレイガイドへの憎しみが薄れていく。

むしろ、プレイガイドがいるから、安心してチケットを申し込めるし、比較的良心的な価格でライブに行くこともできるのではないか、とも思う。

そこまで考えが至った時、自分は憎む相手を間違っていたのかもしれない、と気づく。

むしろ、自分はプレイガイドに「守られていた側」の人間だったのかもしれない。

だから、プレイガイドを殴るなんて、バカげた考えは捨てて、むしろプレイガイドに感謝しなければならないのかもしれない。

そう思いなおしていたとき、ふと開封を忘れていた当落メールの存在に気づく。件名を、見る。

そこには、こんなことが記されている。

<< e+ TICKET INFORMATION  >>
e+(イープラス)をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
●●●●様の下記申込みについては、抽選の結果、チケットを
ご用意することができませんでした。
これからもe+をよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっ?????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、話はこの記事の振り出しに戻る。

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