前説
三浦大知の記事は何回か書いてきた。
毎回、凄いとかヤバいみたいな語彙力ゼロの話をしてしまっている。
我ながらもっと良い表現がないのか、と思いつつも三浦大知の場合、パフォーマンスそのものが語彙力で表現できる地平を超えているところがあって、結果「ヤバい」というほかないみたいなところがある。
とはいえ。
ここ数年、楽曲をリリースするたびに「ヤバい」を連呼している。
さすがにもう「やばい」のタームも終わるでしょ。
だって、これほど「凄い」を続けてきたのだから、受け手側の我々もそろそろ(良くも悪くも)慣れが生じてきて、ある種の免疫が生まれるでしょ。
なるほど今回はこういうアプローチできたのね、みたいなある種の冷静さを取り戻してしまい、「ヤバい」で終わってしまうタームになるでしょ。
そんなことを思っていたのだ。
だって、令和になってから、ずっと三浦大知のことを「ヤバい」とばっかり評してきたのだから。
その令和ももう3年目に投入したのだから。
新曲、一聴目の感想。
すごすぎて・・・・
あばーん。
本編
どの曲を聴いても思うのは、サビの置き方というか、そのゾーンに入るときの快感がどの楽曲もまったく違うということ。
メロディーラインやボーカルの使い方が今までの楽曲とまったく違うのだ。
アンビバレントと言ってしまえば、そうなのかもしれないけれど、単純にそういう言葉で表現しきれない広がりがある。
あえて言えば、Nao’ymtが持つ美的センスと、三浦大知の表現力がビックバンのような衝突を果たし、とんでもない楽曲を生み出したということは言えるのではないか。
なんというか、三浦大知に楽曲を提供するときのNao’ymtの美的センス全振りの感じがたまらないのである。
サビに入る前の高音の流れとかも、単に「声が高い」とかそういうのとはまったく違う美しさがメロディーにもボーカルにも宿っていると思う。
どういう聴き方をしたとしても、この歌だからこそ生み出すことができる「音楽の美しさ」がそこにあるように思うのだ。
あと。
楽曲だけ聴く限りだとかなりテンポを落とした楽曲であり、チルっぽい雰囲気が漂っているところもある。
なのに、MVをみると、ダンスもストイックかつ華麗に展開されていることがわかる。
こういうビート感でも、いや、こういうビート感だからこそ、ダンスの美しさを際立つような装いに組み込んでいくことができるのが三浦大知の凄みであるとも言えるだろう。
J-POPを更新していく三浦大知
同じようなことを何度も何度も書いているかもしれない。
けれど、やっぱり思わずにはいられない。
三浦大知、J-POPに新たな光を当てすぎだろ、と。
テレビで流れるようなタイプのポップスってこういうもんでしょ、ある程度数字を見越した音楽ってこういうもんでしょ、という空気がどうしても日本の音楽シーンにはありがちだけど、三浦大知はそういう価値観を圧倒的な技術力とアプローチをもってして粉砕していく。
好き嫌いは当然あるだろうが、そういうものを通り越して「すげえ・・・・」と言わざるを得ない凄みを三浦大知の音楽から、いつもいつも感じるわけだ。
ただ。
色んな「凄さ」を魅せつけてきた三浦大知だけど、やっぱりNao’ymtとタッグを組んだときの凄みはずば抜けている。
「About You」や「Backwards」を聴いて、改めてそのことを感じた。
あと、三浦大知の音楽をみていると、「コロナであること」を音楽に表現における言い訳に一切使っていない凄まじさを感じるのだ。
自分ができる表現をストイックに磨き、自分が納得できるレベルのものをただただアウトプットしていく、という凄みを覚えるわけだ。
その結果として「About You」や「Backwards」のような楽曲があるのだと思う。
もっと言えば、現在はアーティストがワールドワイドを至高するとき、BTSに代表されるようなある種のフォーマットに楽曲を寄せていくところもあるが、三浦大知の音楽はそういうものともまた違うように思う。
日本のポップスの枠組みを超えているのはもちろんのこと、世界のどの音楽とも「似ている」音楽がない。
少なくとも、僕はそのように思うのだ。
だからこそ、三浦大知の音楽は新しいものが発表されるたびにドキドキさせられる。
時間をしっかりとって、じっくりと楽曲と向き合いたくなるような魅力が毎回内包されているのである。
まとめ
そして。
気がつくと、自分は「ヤバい」しか表現できない沼へと溺れてしまう。
ただ、「About You」を聴いて思ったのは、三浦大知は今まで<歌って踊れる>ことが評価されることが多いアーティストだった。
歌と踊りの両輪が高いレベルで成立するからこそ凄い、みたいな見られ方をすることが多かったように思うのだ。
でも、三浦大知はそこからボーカルだけを取り出してもとんでもないレベルになっていることを感じる。
「About You」を、このような形で歌いきれるボーカル、果たしてどれだけいるんだよ・・・という話であり、三浦大知のボーカルとしての表現が凄まじいからこそ、成立していることがよくわかる歌であるといえるわけだ。
2021年も、三浦大知はとんでもないことになる。
改めて、そのことを感じるのである。