三浦大知の「Pixelated World」の考察。実は極上グルメでもあり変わり種駄菓子でもあった件
世の中にある食べ物は、味が途中で変わるものとそうでもないものがあると思っている。
最初は甘い味だったけれど、食べている途中で酸味のある味が顔を覗かせる・・・みたいな類。
ひつまぶしみたいに、最初はそのまま食べるけれど、あとから出汁をかけてお茶漬けにして食べるというのも、ひとつの「味が途中で変わる体験」だと思っている。
あるいは、昔、最初はパチパチとして酸っぱい味がするんだけど、舐め続けているとあとから甘さが際立ってくるみたいな駄菓子があったんだけど、そういうタイプのお菓子も「味が途中で変わる体験」の類だと思っている。
どっちの食べ物が優れているとかはない。
けれど、途中で味が変わる食べ物は「どういう風に味が変わるのか?」というワクワクがあって、そのワクワクは他に変え難い魅力があるなとは感じる。
しかも、その変化が一度ならず、二度三度とあれば、その驚きはより鮮烈なものになるだろう。
そう考えた時、三浦大知の「Pixelated World」は、味変の宝庫のような楽曲だと思っている。
なぜなら、この歌、世に登場してきたときから、ただならぬ変化を予感させるようなあり方をしていたからだ。
というのも、この楽曲、1月17日から23日までの期間は“謎の無音映像”として、1時間限定で公開されていたのだった。
同映像のタイトルは日ごとに部分で明かされる仕立てとなっていたのだが、その段階でも「この歌は、どんな歌なのか」と色んな意見が飛び交うことになった。
これまでも、無音さえも踊りこなしてきた、三浦大知だからこその魅せ方だったとも言える。
その後、この楽曲のタイトルは「Pixelated World」と明かされて、音もついた状態で動画が解禁されることになる。
無音のワクワクから、音のある世界への誘い。
この段階で、強烈な味の変化を覚えることになる。
無音の状態で楽曲に触れたとき、その楽曲にどういう印象を持ったのかは人によって変わると思うけれど、きっとここからどんなワクワクが起こるのだろうと沸き立った人は多いと思うし、それが明かされたときの喜びも半端ないものであったように思うのだ。
思えば、三浦大知って、どの楽曲でも、そういう「味が変わる変化」を楽しませてくれるアーティストだった。
例えば、音源が配信リリースされると、その歌の部分にぐっと引き込まれる。
テンションが上がるような歌もあれば、技巧的な部分に引き込まれる歌もある。
わかりやすくキャッチーに勝負するというよりは、音楽にじっくり触れることで、じわじわとその良さに引き込まれるケースが多いのではないかと思っていが、いずれにしても、どの歌も最初は「歌」や「アレンジ」そのもので引き込まれることになる。
でも、三浦大知の場合、それだけでは終わらない。
耳で楽しませたあとは、ダンスという名の視覚的芸術で楽しませてくれるからだ。
三浦大知のダンスの凄さ
三浦大知のダンスの凄さは、わざわざここで述べるまでもないかもしれないが、それでも毎回思う。
三浦大知のダンスは凄い、と。
その中でも、三浦大知のダンスが面白いなあと思うのは、いわゆる他のアーティストのダンスビートっぽくないアプローチ、なんならこのテイストの楽曲なら踊らずに歌うことに集中するのではないか?そう思えるようなビート感の歌でも、ゴリゴリにダンスを踊るところにある。
ビートの乗り方や捉え方、ビートにシンクロさせた身体の動かし方が、他のアーティストとは異なることが多いわけだ。
しかも、穏やかなビートでも、容赦なくしなやかかつ鮮やかに、ゴリゴリに踊りこなす。
かつ、どの歌も一人のダンスパフォーマンスで完結することはなく、多人数のチームで、ダンスのフォーメーションでも楽しませてくれる。
なんなら、楽曲によっては、動きにフォーメーションにと、ダンスの中で歌詞以上に多弁に物語を雄弁に語るケースも多い。
この辺りは、三浦大知のダンスの真骨頂だと思っている。
で。
「Pixelated World」でも、そういう穏やかなビートをゴリゴリに乗りこなしながら、歌詞以上に雄弁に言葉を語るダンスを披露してみせたのだった。
酸っぱいと思っていた味が、実は甘いものでもあったときに似ている、衝撃。
味が変化するからこそたどり着ける境地に、ひとつの音楽作品で誘ってみせる。
それくらいに、三浦大知のパフォーマンスは、とんでもないワクワクをいつも届けてくれる。
Pixelatedに感じていた世界は、気がつくと、誰よりも鮮やかで解像度の世界に繋がっていたことに気づく。
『球体』をはじめ、三浦大知と数々の意欲作を生み出してきたNao’ymtとの作品である「Pixelated World」なのだから、そりゃあ一縄筋ではいかんと思っていたが、今回はこういう美しさを見せてくれるなんて・・・の興奮がいつまでも残ることになる。
まとめに代えて
で。
「Pixelated World」という楽曲についてどう思ったのか?ということを本来はここから書くべきなんだけど、今はまだ安易には言葉を紡がずに、もっとこの世界の奥深さを堪能したいなあと思っている自分がいる。
というのも。
「Pixelated World」はきっと、アルバム『OVER』においても軸となる楽曲と思っている。
そのため、きっと楽曲単体で聴いた時のイメージと、 アルバム『OVER』の流れの中で聴く「Pixelated World」では、そのイメージががらりと変わるように思うのだ。
ここでも、またひとつの味の変化が生じるはず。そのように思うから、今はそのときを楽しみにして、あえて駄作になりそうな言葉は紡がずに、この記事を締めてしまいたい。そのように思う次第。
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