back numberの「冬と春」の歌詞、悲しいドラマすぎる件
どんなバンドにも王道の歌ってあると思う。
ちなみにここでいう王道というのは、ジャンル性をもった話ではなく、そのバンドごとに王道的な楽曲ってあるよねーという話である。
なので、ここでいう王道とは相対的なものではない。
むしろ、絶対的なものだ。
だから、ここでいう王道は、バンドごとに変わる。何が王道かはバンドごとに変わるわけだ。
ポップでキラキラした楽曲こそが王道だなあと感じるバンドもいれば、ラウド色の強いゴリゴリなナンバーこそが王道だなあと感じるバンドもいる。
要は、このバンドってこういう歌をよく歌っているよね、というイメージが=そのバンドの王道に繋がっていく。
そう考えたとき、back numberの王道って一体なんだろうか、とふと考える。
back numberってポップな歌も歌うし、キャッチーな歌も歌うから、解答をするのは少し難しい。
しかも、インディーズ時代からのファンと、有名な歌しか知らないリスナーで比較すれば、王道の解像度も変わってくるはずで、きっと出てくる答えも違ってくると思う。
それでも。
近年のパブリックなイメージを抽出するならば、きっと壮大なスケールでアレンジが施された、切なさが際立つ感涙の失恋ソングのバラードに、back numberの王道みを感じるリスナーは多いと思う。
そう考えたとき、「冬と春」は、back numberの王道的楽曲のひとつだと思う。
少なくとも、「冬と春」はこれまでまったく見せてこなかった、back numberの完全なる新境地的一曲!!!というテイストの歌ではないと思う。
わりと、素直に、back numberのパブリックのイメージを汲み取れる楽曲だと思うのだ。
そして、「冬と春」はback numberのある種の王道的な楽曲であるからこそ、凄まじい破壊力を発揮する。
この記事では、そんな「冬と春」の話をしてみたい。
back numberの「冬と春」の話
この歌、何が凄いって、歌詞の突き刺し方が凄い。
今作は一人称を「私」、二人称を「あなた」としており、語尾では「〜わ」とか「〜の」とか「〜ね」とかを部分部分で使用することで、特定の人物の絵を綺麗に作り出す。
具体的に言えば、失恋をした女性の目線。
なので、非常に感情移入しやすい歌であると言える。
back numberの歌って、こういう部分が秀逸である。
この歌の主人公はこういう性格の人で、きっとこういう生活を送っていて、二人称の人物に対してこういう想いを持っている。
そういう説明を、少ない言葉で明朗かつ的確に行ってくるからだ。
だから、back numberの歌って刺さる人が多いんだろうなあと思うし、「冬と春」でもその手腕がいかんなく発揮されている。
もちろん、主人公の視点と感情が明白であるからこそ、感情移入できない人はとことん感情移入できないこともある。でも、back numberってここの割り切りが潔くて、変に歌の視点のぼかさない。これが良い。間口を広げるとか閉じるとか考えず、どーんとした明朗な視点を歌に作る。
これって聴いている分には単純に見えるけれど、back numberだからこそできる芸当だと思う。
で。
「冬と春」を聴いていると、今作では<ある種の失恋>が浮き彫りになってくるわけだけど、その描き方も絶妙なのだ。
「冬と春」というタイトルにある通り、その季節だからこその景色を丁寧に描く。
そしてそこに繊細な感情を重ねて、歌の中のドラマを劇的にしていくのだ。
特に木と雪の描写。
これが良い。しかも、単にふたつを描写せずに、冬と春の描写の対比して並べるからこそ、歌の中で紡がれる感情の切なさが際立つ。結果、どこまでも鋭さをもって感情を突き刺していくことになるのだ。
ちなみに、「冬と春」ってback numberの楽曲にしては、感情描写そのものを直接的に描くフレーズがそこまで多くない印象だ。
なので、2番まではわりと風景(にも見える心理)描写に言葉を費やしている印象を受ける。
ということもあって、2番のサビが終わってからの歌詞がより強いインパクトを持つことになる。
この辺りのフレーズで、一気に登場人物の具体的な描写とセリフを登場させている。
コード進行も流れを変えて、メロディーのトーンも少し変わるこのタイミングで、このフレーズを用意することで、「冬と春」のドラマの起承転結が、より劇的なものになっていく。
冬の寒さに見合った悲しい恋愛ソングの「悲しさ」が、より深くて鮮明なものになっていく。
この辺の見せかたはback numberならではだと思うし、こういう描写を丁寧かつback numberにしかできないやり方で深掘りしていくからこそ、「冬と春」にback numberの王道感を覚えるのかもなーと思う自分。
あと。
アレンジも秀逸である。
1番のAメロではアコースティックギターが主体のしっとりとしたアレンジで展開しており1番のサビまでその流れが続く。
でも、鍵盤のサウンドやストリングスは1番の間でしっかりお膳立てをしている。
バンドサウンドもメリハリをつけ始める2番から綺麗な形で、それらの音が合流することで、歌の中のドラマを際立たせるとともに、メロディーとボーカルを軸にした歌の強さも劇的なものにしていくことになる。
言葉が紡ぐ歌の物語と、アレンジが紡ぐメロディーの物語が、綺麗な形でシンクロする。
だからこそ、「冬と春」が持つ物悲しさが鮮烈なものになって炸裂することを実感する。
何気に2番のサビ終わりのDメロでは鋭いエレキギターギターの音を瞬間的に挿入しているのもポイントで、バンドが軸になるアレンジでも魅せ方にこだわりをいくつも感じさせるのが良いなあーと思う自分。
まとめに代えて
・・・という感じで、back numberの「冬と春」にぐっときたポイントをざらっと書いてみた。
改めて、この冬にリリースした楽曲の中で、もっとも冬の失恋ソングの海を堂々と泳いできた印象を受ける。
どこまでも真っ直ぐ、どこまでも愚直に言葉を紡いできた印象。
back numberだからこその世界観とドラマを体感できる、素晴らしい一曲だなあと感じる今。
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