前説

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100日後に死ぬワニ、という作品(?)がTwitterで話題になっている。

個人的にも続きが気になっている作品で、ついつい毎日ワニがどうなったのか状況を確認してしまう。

Twitterをやっている人の多くがその存在を知っている人気のコンテンツ。

とはいえ、あの作品に対して、好意的な人ばかりかといえば、そうでもない。

「死」という題材を扱うことから、嫌悪感を示す人も少なくない。

ブロックをしたという人もたくさん目にしているし、不快感を示す理由は多岐に渡っている。

まあ、バズるコンテンツにアンチがつくのは自然の摂理である。

Billie Eilishのようなアーティストですら、探せばいくらでもアンチがいるのだ。

結局のところ、アンチがいることはそのコンテンツが遠くまで届いたことを、ただただ意味するのだろうなーと思う。

とはいえ。

100日後に死ぬワニは、物語の結末が死であるからこそ、ある程度のアンチがいるのだろうなーと思うのだ。

死とは物語において、劇的なドラマチック性を生み出していく。

「タイタニック」や「アルマゲドン」など、感動を喚起する映画は、いつだってどこかのタイミングで死が重要な意味を持つように構築されている。

ただ、死は劇的である分、あまりにも直接的に感情に作用してしまう。

揺さぶりをかけた感情が、必ずしも良いものであるとは限らないのだ。

そういうものなのである。

本編

さて。

一応、当ブログは邦ロックをよく扱っている。

そこで、ふと考えてみた。

邦ロックにおいて、短い時間で、動物を死に追いやってしまうバンドって、いったけな〜と。

考えてみた。

雑巾のように脳みそを絞り出すように。

衣服だったら絶望的な気持ちになってしまうくらいのしわを、脳みそにつけるように。

うんこを気張るときのケツの穴のように、脳みそをフル稼働させてみる。

 

 

 

・・・・。

 

 

 

 

なーんてことをするまでもなかった。

程なくして、某バンドが頭に浮かんできた。

昔はキレキレだったけど、今となっては、すっかり穏やかになってしまった某バンド。

昔は手拍子すらキレる対象だったのに、今では臆することなく「ベイビーアイラブユーだぜ」を叫ぶようになった某バンド。

https://youtu.be/etKuJ7ibrvc

そう。

BUMP OF CHICKENである。

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BUMPの初期の名曲である「ガラスのブルース」や「K」では、結末的にネコが死んでしまう。

「ガラスのブルース」も「K」も、時間にしておよそ5分。

文字数にしたら、1000文字にも満たない。

そんな短い間に、ネコは死んでしまうのだ。

100日どころの話ではない。

10分にも満たないのである。

100日後に死ぬワニの死でメンタルをえぐられてしまう人からすれば、BUMPのこの仕業は極悪に映ってしまうことだろう。

いや、時間が短い分、逆に嫌悪感は生まれないのかもしれない。

まあ、どうだっていい話だ。

ここで言いたいのは、ワニは100日後に死ぬらしいけれど、BUMPのネコは10分保たずして死んでしまうということ。

にしても、100日後に死ぬワニはそれなりにアンチを抱えているようだけど、「ガラスのブルース」や「K」という曲には、そこまでアンチを抱えていないような気がするのだ。

それは、なぜだろうか。

そりゃあ、物語と歌では感情の入れ込み方が違うのだろう。

あるいは、もしBUMPが現代の若手アーティストで、SNSでバズるという形で「ガラスのブルース」や「K」が遠くの人にまで届いてしまっていたのだとしたら、某ワニの漫画の人と同じような反応をされていたのかもしれない。

当時、ネコをことを歌ったBUMPの歌は、フラッシュアニメなんかの二次創作として愛されていた部分もあった。

つまり、歌である以上に物語としても広く愛されていたのだ。

だから、あの歌が今の世の真っ白なコンテンツなのだとしたら、当時と違う受け止められ方をしていた可能性は大いにあるなーとは思うのだ。

とはいえ。

やっぱり死を扱う歌を歌ったからといって、BUMPがSNS上で過剰にブロックされる絵は見えてこないし、BUMPが描く死をある種の不快感や深刻なものとして受け止める人は、そうはいないのかなーなんて思うのだ。

同じ動物の死だとしても、そこに浮かび上がるものは違うものなのだろうか。

ワニとネコ、そこに大きな違いがあるのだろうか。

といろいろと頭を悩ませていたんだけど、そもそも動物が死んでしまうというところ以外は、両者に共通点なんてないよなーと思うのである。

動物の死という部分だけをとっかかりにして、強引に比べることが、そもそも土台無理な話なのかもしれない。

同じ男性だからといって、俺と佐藤健を「同じようなもんでしょ」なんて吹聴しようものなら、きっと大衆から音速のグーパンをくらってしまう未来が見える。

バンド好きという共通点だけで、俺と生田斗真を「同じようなもんでしょ」なんて言い切ってしまえば、きっと様々な界隈にしばかれてしまうと思う。

そもそもそんなこと、とてもじゃないけど言えない。

恐れ多すぎる。

そうなのだ。

ひとつくらいの共通点があるからといって、「同じ」にして語ってみせるのは、あまりにも乱暴で粗雑なことなのである。

まとめ

そして。

100日後に死ぬワニと、BUMPで決定的に違うことがひとつある。

100日後に死ぬワニは、毎日のように“新作”を更新している。

これが3月まで続くのだという。

作品生産のスピードのとめどなさを感じる。

結局のところ、そのうるささが目についてしまい、アンチを増やしているのだと思う。

一方のBUMPは、SNS上でブロックされるほど情報過多になることが、まずない。

ライブも新作も、あるかどうかわからない。

たぶんどこかのタイミングであるでしょ、くらいのテンションなのである。

黙っていても、毎日何かしらを供給できるようなことは、きっとこの先、二度とないのだ。

BUMPに限っては、絶対にないのだ。

だからこそ。

この記事を書いている間にも、また一人、あまりにもBUMP側の情報がなくて、渇望のあまり、干からびて抜け殻になるBUMPファンが生まれてしまうのである。

100日後に(情報がなさすぎて渇望して、精神的に)死ぬBUMPファンの話。

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