僕はわりとこのブログで「この歌詞はこんな意味に違いない」みたいな記事を書いてきた。
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良い具合にかけた記事もあれば、すごくテキトーに書いてしまったものもあるけれど、一貫して言えるのは「これが歌詞の本当の正しい意味である」という押し付けのつもりはなくて、書く単語とか言葉の繋がりをこんなふうに拾ってみたら、こんな読み方だってできるんじゃない?という「ひとつの提示」のつもりだった。
そんな記事を面白いと言ってくれる人もいた一方で、人によってはボロカスに言うこともあった。
まあ、歌詞なんて捉え方は人それぞれだし、ボロカスに言われることだって仕方ないよなーと思うし、お前に言われたからってどうだっていいよ、俺はやりたいようにやるからさ〜くらいにしか思っていなかった。
ただ、今になってひとつだけ思うことがある。
すごく当たり前な話だけど、歌詞って歌詞だからこそ強い力を放つものであり、つまりそれは声とメロディーと音が合わさってはじめて、歌詞は歌詞として成立するんだ、ということである。
僕は歌詞の言葉の意味そのものにとらわれすぎていて、「聴きながらにして感じる歌詞の意味」については、すごく抜け落ちた考え方をしていたなーなんて最近感じるのだ。
まあ、テキスト媒体なんだから当たり前な話ではあるんだけれど、でも、音楽としての歌詞、という発想は抜け落ちていたように思う。
最近は、歌詞が何を言ってるのかわからないくらいに高速のリズムで言葉を音楽にのっけている音楽が多かったり、そもそも意味を取りづらい英語で歌ったりする人も多いわけだけど、ライブで聴いても言葉がしっかり聴こえてくるような歌の重要性と、そんな音楽に感動する個人的な音楽体験が最近多くなってきていて、「歌詞の意味」を今までとは違う角度で考えることが多くなってきた。
音楽ってどこまでもフェイクでしかない。
だから、分析的に見ていけば、コードの響きが○○で〜とか、ここのメロディーは日本人好みの○○が使われていて〜みたいな、理屈っぽく考えることもできる。
けれど、理屈の海に溺れると、いつしかそれはただの性格の悪さに置き換わってしまい、対象をバカにしたり、いい加減に扱ってしまったりする。
その積み重ねが音楽に対するピュアネスを忘れさせるわけだけど、最近はそういう忘れていたことを思い出すことが増えてきた。
思えば、僕が音楽を好きになったのって色々と理由があるんだけど、ひとつ挙げられるのは音楽が自分の孤独を癒してくれる、というものだったのかなーと思う。
今は孤独を感じれば、スマホを使えば誰かと繋がっているような気分になれるけれど、(逆に繋がるべきじゃないものも見えてしまうのが厄介だけど)、昔は自分と社会を接続するコミュニティに馴染むことができなかったら、ずっと孤独のままに生きるしかなくて、誰かしらと「繋がる」ことなんてできなかった。
そんなとき、音楽を聴けば歌詞に勇気をもらえるし、自分の心の痛い部分に寄り添ってくれるし、メロディーを歌えば少しは元気な気持ちになれるし、ギターなんかを弾けば何者かになった気分にもなれた。
そんな力を与えてくれる音楽はまさに魔法だった。
だから、この20代後半の僕くらいの音楽好きにとって、孤独と音楽の相関係は非常に強いものがあっただろうし、孤独を埋めるために音楽を需要していた人も多いと思う。
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孤独との向き合い方を変えたのは、スマホだよなーとつくづく思う。
だから最近は、音楽そのもので孤独を埋めるんじゃなくて、SNSを使って最初から「繋がる」ことで孤独を埋めることに重きが変わった印象を持つ。
音楽はSNSで繋がる「ネタ」であり、音楽を通じてコミュニケーションを成立させ、そこからライブなりフェスで会いましょう、って話に発展させることで仲良しこよしをする。
つまり、音楽による孤独の埋め方が変わってきたわけだ。
だから、音楽は歌詞よりもスピードを重視するようになったし、スピードを重視した音楽でワチャワチャとライブで騒いだり、「みんな一緒」であることを強いるライブが盛り上がるようになってきた。
自分たちが持つ孤独を忘れさせるようにして。
そんなもの、最初からなかったと思い込んでしまうかのように。
ライブの伸び代が高いのも、仮にAbemaTVとかでライブ配信したとしてもライブそのものに置き換わることがないのも、ネット配信のライブサービスでは、孤独を埋めることができないからなのではないか?と思ったりする。
音楽に耽溺する人はきっと寂しがり屋なのだろうし、バンドマンは少しでも自分の寂しさを拭うようにして音楽を奏で続ける人が多いし、だから、メンヘラも多いわけだ。
まあ、メンヘラであろうがなかろうが、そして、BUMPであろうがインディゴであろうがマイヘアであろうが、歌詞で人の心を魅了するバンドは、みんなどこかで人間関係に失敗をしていて、それで失望と後悔を経験してきて、孤独と対峙することになって、それを言葉にしたからこそ胸に刺さるのだろうし、そういう言葉が胸に刺さる人=音楽好きの人はどこかで孤独を感じ、寂しさを知ってる人だからなのではないかと思う。
それは陰キャラだとか陰キャラじゃないとかではなくて、ぱっと見にはそれなりに上手く生きてるように見える人だって、抱え込む感情なはずで。
音楽はなくなるかもしれないなんてよく言われるけど、音楽はなんだかんだで人の孤独を埋める存在として機能し続けるのではないか?と最近よく思う。
そして、孤独と向き合ったバンドほど売れてるんだよなーということも実感する。
デバイスが増えても、環境が変わっても、人間関係に躓き、孤独を知ってしまう人間が消えることはない限り、音楽は残り続けると思う。
別に、音楽を聴く人=寂しがり屋とは思わないけれど、精神的にマッチョな人はきっと耽溺するほど音楽には溺れない気がするので、今後も孤独と音楽は近しい関係で、どこまでも寄り添い続けるのかなーと、そんなことを思う。
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