前説

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年末年始といえば、お餅を食うことが多い。

そして、身体の部位でもっともお餅っぽいところのひとつといえば、おっぱいだと思う。

そこで、おっぱい的な代表曲があるバンド・アーティストを紹介したいと思う。

本編

感覚ピエロ「O・P・P・A・I」

10年代のバンドシーンで燦然と輝くおっぱいソングといえば、この歌だと思う。

ノリも良くてライブで盛り上がりやすいので、おっぱいシーンにおけるキラーチューンになっている気もする。

コンプラが厳しくなり、直接的な下ネタソングは避けるバンドも多い中で、感エロはわりと実直に下ネタとも向かい合っており、そういう部分でのストレートさは評価に値するよなーと思う。

感覚ピエロ、略して感エロが板につき、すっかりこういうネタの歌を歌うことも板に付いてきた彼ら。

たくさんの際どい歌があるけれども、その中でも「OPPAI」の存在感は未だに大きいと思う。

曲もメロディーも、圧倒的な存在感を放っている。

スピッツ「おっぱい

個人的な、バンドにおけるおっぱいソングの代表といえば、感エロかスピッツみたいなところがある。

とはいえ、同じおっぱいでも、感エロはフェスでも頻繁に披露する代表曲。

一方、スピッツはファンの間では話題のマイナーソングという立ち位置であり、その価値は大きく異なる。

おっぱいを武器にしてみんなで共有するのも一興であれば、知る人だけが知る、隠れおっぱいにしておくのもまた一興だよなーと思う。

ちなみにスピッツの「おっぱい」って、わりと本来エロい曲のはずなの、一切エロさを感じさせないところが面白い。

エロさよりも美しさを感じさせるところに、スピッツというバンドの特殊性が宿っているよなーと感じる。

あいみょん「おっぱい」

同じおっぱいソングでも男性が描くおっぱいと、女性が描くおっぱいでは、おっぱいの光の当て方に大きな違いが生まれる。

どうしても男性の場合、憧れのものとしてそれを描きがちというか、良くも悪くもファンタジーになってしまうところがある。

しかし、女性がおっぱいを描くと、急にドキュメンタリー的な色合いを帯びることも珍しくない。

だから面白いし、歌としての成熟度にも違いが生まれやすい。

もちろん、同じ女性でも色んな視点があるわけで、一口に語られるものではないんだろうけどね。

なんにせよ、あいみょんの描く「おっぱい」は、前者で並べた男性バンドたちでは描けなかったおっぱいであることは間違いない。

深めのおっぱいソングである。

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カノエラナ「たのしいバストの数え歌」

フランス民謡をおっぱいの替え歌にしてしまった意欲作である。

おっぱいって独特の立ち位置の身体の部位で、神格的な話に舵を切ることもできれば、思いっきり下世話な話に進めることもできる。

そこがおっぱいの深さであり、面白さである。

カノエラナの歌がどっちのタイプの歌なのか、ということはここでは明言はしないけれど、おっぱいというキーワードは色んな方向に話を広げることができるという意味で、実に味わい深い作品であることは間違いない。

というか、こういう発想の歌を、数え歌にして作りあげてしまうところに、この歌の面白さが詰め込まれている気がする。

RADWIMPS「おっぱい」

歌う人を変えたら一発でセクハラ案件になりそうな歌でる。

が、野田洋次郎にかかれば、そんな不穏な空気は消し去り、一気に「良い歌」に変えてしまうから、流石である。

ひとつの事象を徹底的に過激に表現するのが野田洋次郎の歌詞表現にテクニックのひとつだと思っているんだけど、この歌も、ある種のそういう過激さの延長線上にあるのかなーと思うのである。

大きくて硬いおっぱいと、小さくて柔らかいおっぱいの二択にして話を進めるなんて、その辺のバンドがやればなかなかに過激な表現方法だもんなあ。

こういう切り取り方って実に野田洋次郎らしいけど、今の洋次郎なら、わりとどのおっぱいも肯定しそうな気がする。

みんな違ってみんな良い。

価値も負けもないんだよ、みたいなノリでおっぱいを愛でる気がする。

わかんけども。

なんにせよ、おっぱいソングの歴史に連なる名曲であることは間違いない。

まとめ

というわけで、年の瀬なので、おっぱいを切り口にして色んなバンド・アーティストの歌を振り返ってみました。

年末だと比較的時間が取れる、という人も珍しくないだろう。

そういう人はぜひ、特定の切り口を持って過去曲を振り返ってみると、けっこう楽しかったりすると思う。

それでは今回はこの辺で。ではではでは

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