米津玄師「Flamingo」は爪弾きの宣伝会議?
前説
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すでに読みに読み解かれた米津玄師の難曲「Flamingo」の歌詞について書かせてもらってもいいですか。
難曲ばかりだと思います。
私にとってはそうです。
皆さんにとってはいかがでしょう。
本編
当初から「これ宣伝会議の話だ」と勝手に解釈していました。
米津玄師の楽曲の中で「ひとり歩きするイメージ、レッテル、メディアに対する悲観」だろうかと、これまた勝手に解釈する部分が多々ありまして、その中のひとつが「Flamingo」。
他には「ララバイさよなら」とか。
異論は全力で認める。
でも楽曲をどう受け取るかは自由であるはず。
多数ある考察のひとつとして、あったっていいんじゃない?くらいに思っていただければこれ幸い。
だって「半端に稼いだ泡銭 タカリ出す昼鳶」達が「笑えないこのチンケな泥仕合」を繰り広げているんですよ。
相当数の御社御中関係各位ですよ。
「唐紅の髪飾り」を贈る「あらましき恋敵」だっていますよ。
主義主張が飛び交います。
それは鳶だって食べていかなければいけませんから、仕方のない話です。
そうすると本来あったコンセプトもいつの間にか「宵闇に爪弾き」。
「そりゃないね もっとちゃんと話そうぜ」「畜生め 吐いた唾も飲まないで」という展開を経て、結果「今日日この程度じゃ騙せない」「あたしは右手にねこじゃらし」のようなプランが立ち上がる。それでも「やったれ死ぬまで猿芝居」。
腹をくくるしかないんでしょうか。
歌詞になくとも声ネタとして入ってる「フラミンゴ ハイ」もそんな気がする。
すげー納得いかないけど仕方なしに「あぁ…はい。」。
そういう宣伝会議、出たことあるようなないような。
キッチュでポップでキャッチーなデザインにしてくれる?そんなこと言った閻魔様が、いたようないないような。
「御目通り有難し 闇雲に舞い上がり上滑り」「虚仮脅し口遊み 狼狽えに軽はずみ安保晒し」演者の気苦労このうえない。
みっともないとかそんなことありません。
ステージで光る鮮やかなFlamingoは、それはそれは美しいものでしょう。
しかし、か細い足でステージに立ち踊るFlamingoの過酷さは、観客席からは見えません。
見せないようにしているのでしょう。
「毎度あり 次はもっと大事にして」。そりゃそうも言いたくなりますよ。
曲中で二度も「鼻垂らし」って言いたくなるくらい大変なんですよ。
これはもう本当に、大事にしてあげてください。
最後にひとつだけ疑問いいですか。
これだけむずかしい言葉や漢字を並べ立てまくった「Flamingo」で、なんで「まなじり」だけひらがなで表記なんでしょう。
桃尻と間違えちゃう人いませんか。私だけでしょうかね。
でも結局どっちで書かれてても、毎度単語は全部辞書で調べるんですけどね。
「眦(まなじり)」って「目尻(めじり)」って意味なんですね。勉強になります!
筆者紹介
インザファーム(@inthefarm_m)
映画会社の制作・宣伝を経て現在は主婦。DTPデザインを少々。Webデザインも少々。作詞家を志望し地味に活動中。
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