前説
[ad]
気がつけば、音楽を「ちゃんと」聴くようになってから、20年くらいの歳月が経とうとしている。
未だに音楽を趣味にしている自分にビビってしまう。
一体自分はいつまで音楽を聴いているんだろうとぞっとしたりするんだけど、長いこと音楽を聴いていると「う〜ん」って思うことがあるのだ。
この記事では、その「う〜ん」と思う事柄の話をしてみたい。
本編
ある特定のバンドが売れるとするじゃないですか?
すると、蛍光灯に集まる虫のごとく、他のバンドもそのバンドの音楽性をパクろうとする。
パクる理由は色々あるけれど、本音の本音をいえば、その音楽によって生まれたファンを「盗ろう」としている魂胆があるからだと思う。
パイの取り合いなんて言葉があるけれど、パクろうとする意志の根底にあるのは、まさにそこだと思うのだ。
そして、手っ取り早くそのパイを取るために、バズったバンドの音楽の表層の部分とか、簡単にパクれる部分だけを拝借したりする。
もちろん、どんな音楽だって過去の音楽を色々とハイブリットさせたうえで、成り立っている。
だから「メソッドをパクる」こと自体は悪だとは思っていない。
けれど、やっぱり魂胆は見えるよなーと思うし、大体聴いて一発で「パクってるな〜」と感じるバンドは、他の音楽とハイブリットさせたりしない。
ただ、パクってマネして、それで終わりなことが多いのだ。
下手をしたら、少ない努力で少しでも多くのファンを獲得しようとするあまり、まんま特定のバンドをパクることもある。
で、そのバンドのファンのおこぼれを与ろうとするのである。
そういうバンドをみると「う〜ん(ああ〜無理〜)」ってなる。
銀杏BOYZが売れたときは銀杏のパクリバンドがいっぱい出たし、そもそも青春パンクロックの流行りがまさしくそれだったし。
4つ打ちみたいに、音楽を構成するトリガーのひとつをパクるとかなら全然いいんだよ。
けれど、全部をパクると違うだろってなるわけだ。
どうみてもそれ、マイヘアのパクリやんみたいなバンドを見ると「う〜ん」となるわけである。
だから、誰かに音楽を勧めるときも、マイヘアが好きならこういうのも好きかも、みたいな勧め方をするのがあんまり好きじゃなかったりするし、そもそも「○○みたいなバンド」という評価をされることを期待して、そのバンドをパクっているバンドにグッとくることは少ないんだけどね。(絶対に本家の方が良いに決まっているのだから)
ほんと、思うのだ。
[ad]
メロディーのパクりよりも、そのバンドのファンに露骨に媚びを売るような、法律的には問題のないパクり方をしている方がムッとする。
だから、音楽は「マーケティング」になったら、つまらんと思うのだ。
ちなみに、マーケティング的と言われながらも、ポルカなんかはちゃんと自分たちの音楽をやっていると俺は思うので、けっこう好きである。
キュウソのパクリ感のあるドリアンだって、少しずつ自分たちの音楽をやっているように感じるし、面白い面白くないはさておき、個性を出そうとしているところは好きだったりする。
髭男だって、元々はブルーノ・マーズみたいだったじゃんみたいな言い方もある。
でも、単にブルーノ・マーズをパクったのではなく、そこから色んな音楽を混ぜて、自分たちの音楽を作っていた。
そして、その混ぜ方にとんでもないセンスを感じたから、髭男の音楽は好きなのである。(今はもう音楽性を変えているしね)
何度も言うけど、ルーツがあったり元ネタがあるのは全然いいのだ。
大事なのは、そこからどういう音楽を混ぜたり、自分の感性をどう注入していくのか、みたいなところ。
その混ぜ方にセンスを感じ、個性を感じたら、絶対にその音楽はワクワクする。
少なくとも、僕はそう思う。
そういう意味でいうと、この作品もモノマネ作品ではある。
んだけど、ひとつひとつのモノマネにセンスを感じるし、コラージュのさせ方も巧みだし、なによりこの作品だからこそ感じることができる、新たな価値観を生み出しているように思う。
だから、個人的には、この作品はイケてると思うのだ。
なにより、このMVって他のMVを真似をすることで、そのMVのファンを掠め取ろうみたいな魂胆は一切ないわけで。
むしろ、自分のクリエイティブでたくさんの人を魅了させたいという意欲しか見えないからこそ、この作品はすごく好きなのだ。
まとめに替えて
一方、同じモノマネ動画でも、そのバンドのファンに媚びを売り、そのおこぼれをもらうような形でファンを「盗ろう」としている作品には、面白さを感じられない。
もちろん、モノマネを通してその作品にしか表現できない価値があれば評価は変わるんだけど、なかなかそういうものを見つけるのは難しかったりする。
きっと本人たちはそういうつもりじゃないとか、色々考えたうえでの結果なんだとか色々言い分はあると思う。
けれど、それを作品として見る限りは、そこにクリエイティブのセンスとか、元ネタに対するリスペクトを感じられなかったら、自分にとっては「う〜ん」としか思えないのである。
とはいえ。
“モノマネ”はあくまでも自分たちがやりたいことを伝えるための通過点であり、本当に自分が魅せたいクリエイティブはその先にあるんだ!というのが見えてきたら、また評価は変わる。
繰り返し続けた模倣の先に、オリジナリティーは宿るのである。
[ad]