バンドが不祥事を起こしたというニュースについて思うこと
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最近思うことがある。
バンドで何か不祥事があると大きなニュースになり、その後の活動にも大きな影響を与えるケースがある。
そもそも論として良くないことをやる方が悪いというのはある。
ただ、それ以上にニュースとして扱うほどではない悪事を利用してお金を稼ぐようなメディアがいることも問題だと思ったりもする。(しかも、本来だと守られるべき人が傷付けられる事態になって、本末転倒になっているケースも多々あるからこそ、なおのことモニョるケースも多い)
ただ、ひとたびこうなると、色んな余波を生み出すことになる。
一時期的な活動休止に追い込まれる例もある。
そういう風に事が大きくなると、一方で、作品を作っている人と作品そのものは別なのだから、切り分けて考えるべきという意見が出てくる。
そういう意見が出る一方で、ひとたびその事実を知ってしまったら、どうしてもそのことを意識してその作品を見てしまうし、影響が出てしまうし、結果その作品から離れてしまう人もいると聞く。
個人によって捉え方や感じ方は違うので、一概に「正しいあり方」を語ることは難しいけれど、何とも言えないなーと思うこも多い。
ただ、確かに作品を継続的に売っていくうえでは「人間性」を出すことは重要だと思う。
バンドでも芸人でも何でもそうだけど、そこに内在する人間が、受け手側に共有されると(それが真実なのかどうかは別にして)一気に需要されるというケースは多い。
YOASOBIが顔出しをして活動したのも、「人間性を出すこと」に舵を切ったからなのかなーとも思うし、MAN WITH A MISSIONも匿名性がある立ち位置ながらも、どんどんそこに人間性を共有させていった流れはあるように思うし、そうなったことで、アーティストのスケールは大きくなった印象を受ける。
ヨルシカのような匿名性を大切にしたアーティストでさえ、需要されていく中で「匿名性ならではの人間性」を見い出すような需要のされ方があることに気づく。
アーティスト側が意識的であれ、無意識であれ、そこに人間性を付与されるし、どうしてもそこに宿るものが現実とギャップがあるものであれば、その反動は大きいものになっていく。
……ということまで考えたとき、確かにアーティストと作品を完全に切り分けて考えるのは確かに大変な話だよなーとは思うのだ。
もっと言えば、切り分けて考えることができるような作品しか生み出していないアーティストは、ある程度以上のブレイクは果たさないケースが多い印象を受ける。
インストの音楽よりも、言葉のある歌ものが売れる理由だって、色々紐解いてみれば、アーティストの人間性が見えるから……というところに行き着くケースが多い。
音楽においては、何を言ったからよりも、誰が言ったかを重視するリスナーが多いからこそ、なおのこと、そういう傾向になりがちだと思うわけだ。
だから、何かのニュースによって音楽そのものの聴こえ方が変わってしまうというのもまた、当然といえば当然の話なのかもしれない。
ただ、その一方で、どんな人でも良いところがあれば、悪いところもあるよなーとは思うわけだ。
何を大切にして、どういう優先順位をつけるのかは人によって違うが、人間的な歪さが宿っているからこそ、生み出す音楽に面白さを感じると思うこともある。
少なくとも、色んな経験をして色んな感情を心のうちに宿している人だからこそ、生み出せる音楽というのはあるように思う。
もちろん、悪いことをすることを肯定するわけではない。
やってはダメなことをやっている人がいるのも、また事実だ。
でも、いわゆる炎上で人を下げてやろうとする空気そのものにはちょっと嫌なものを感じるし、そこにビビりすきて表現やあり方が良くない意味で「棘を出さないようにする人」がどんどん出てくるのも気にはなってしまう。
なんというか、こういうトピックに対して、もう少し違う風が送れないかなーと、勝手なことを思ってしまう自分がいる。
まあ、そもそもとしてニュースにする程度ではない悪事を利用したり、人のプライベートを切り貼りして、お金を稼ぐようなメディアの存在が一番アレだとは思うんだけどなー。
という個人的な感想のアレ。
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