前説

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とあるバンドマンが自分の所属していたバンドを勇退した。

そのことについて、少し書いてみたい。

本編

よくバンドマンは「俺たちは死ぬ気でライブをやっている」と言ったりする。

観客に対しては、「死ぬ気でかかってこいよ」なんて言ったりする。

これは「本気でやれよ」の言い返しであることが多いし、間違いなくそういうMCをするバンドの多くは、懸命にやっているのだろうと思う。

とはいえ、死ぬ気でライブをやっている人の多くは、死ぬつもりとまでは思っていないと思う。

決まっているはずの次のライブなんかも見据えながら、活動しているんじゃないかと思うのだ。

まあ、バンド側の話はわからないけれど、少なくともファン側は、「死ぬ気」という言葉に乗っかったとしても、その日が自分の最後のライブとは夢にも思っていないはずである。

死ぬ気で〜という言葉を安易に受け取り合うことができるのは、どこかで「何もかもが次もあるはず」と思っているからだと思う。

言ってしまえば、最低限の安心感が担保されているからこその、言葉だと思うのだ。

いつか終わりがくるものと分かってはいても、その終わりはまだずっと先だって思っていることが多いはずだ。

仮に。

そのバンドが「休止」をしたとしても、形を変えて音を鳴らしてくれる期待をすることは多いし、長い歳月をかけて戻ってくれるはず、と期待することだってよくある話だ。

でも、どんなものにだって、いつかは終わりがやってくる。

ドロスのサトヤスの場合、他のバンドマンとはちょっと違う形で、その終わりを迎えることになった。

きっちりと向き合い、考え抜いたうえでの決断だったからこそ、バンドから抜ける際に使った言葉が“勇退”だった。

「勇退」というある種前向きな言葉が見据える未来は、決して暗いものではないと思う。

多彩なサトヤスのことだから、きっとワクワクする未来を提示してくれるんじゃないかと勝手に期待している。

でも。

そこには、間違いなく「終わり」も含まれているわけだ。

サトヤスのドラムを、おそらくはもう聴くことができないという事実が、そこにあるのだ。

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[Alexandros]としてのサトヤス

多くの人が口にしていると思うが、ドロスのバンドサウンドの中核を担っていたのは、サトヤスのドラムだったように思う。

ドロスの音楽に、ロックバンドとしてピリッとしたカッコ良さを感じさせる一番の源は、サトヤスのドラムにあったように思うのだ。

サトヤスのドラムはかっこいい。

まず、細かくて正確にリズムを刻むところがかっこいい。

ワンパターン化しがちなフェスによく出るバンドのドラムにおいて、サトヤスのリズムパターンは常にアイデアに満ちあふれていた。

「city」も普通のロック・バンドではないカッコよさを感じるのは、ドラムのパターンに複雑さとキレを感じさせるからだと思う。

演奏がかっこいいのはもちろんのことだが、サトヤスのカッコよさはそれだけではなかった。

パフォーマーとしての存在感も際立っていたのだ。

「starrrrrrr」のMVを観てもらえばよくわかるが、サトヤスのトレードマークは高い位置に設定されたシンバルだった。

あの位置にあるシンバルを見るだけで、サトヤスのドラムを想像するリスナーだって多かったように思うし、あの位置のドラムをスマートに叩いてみせるサトヤスが、とにかくかっこよかったのだ。

スティックをくるくる回すことひとつとっても、サトヤスの動きはスマートだった。

アグレッシブさとスマートさを両立させていたところに、サトヤスのドラムの真髄があったように思うのだ。

今となっては日本を代表するロック・バンドとなったドロス。

そのドロスのサウンドが、より確固たるものになっていたのは、サトヤスのドラムがあったからだと思う。

ドロスの音楽が好きな人なら、多くの人がそう実感しているんじゃないかと思うのだ。

ドラマーという立場でありながら、プレイヤーとしてもパフォーマーとしても、ここまでバンドの中で存在感を示す人は、そうはいないと思う。

サトヤスという魅力あふれるプレイヤーだからこそ、為すことができた偉業だったんだと、改めて思うのである。

そういう偉大なドラマーのプレイヤーとしての終わりが、こんなにも唐突にやってきてしまったという事実。

どうしようもないこととはわかっているし、きっとそのどうしようもなさに一番の歯痒さを感じているのは当事者だってわかっている。

けれど、やっぱり、もうそのプレイを見ることができないという事実が、一人の音楽ファンとして、ただただ悲しいのだ。

まとめ

ただ、もし今、そんなサトヤスに対してできること(というとなんだかおこがましく聞こえるが)があるとするのならば、サトヤスっていう素晴らしいドラマーがいたんだってことを語ることなんじゃないかなーと思うのだ。

きっとドロスの歴史はもっとずっと長く続いていくって思うからこそ、これから先、今よりもどんどんドロスは大きくなっていくって思うからこそ、サトヤスっていうかっけードラマがいたんだぜ、っていうことを、事あるごとに語れたらなーと思うのだ。

だって、やっぱりサトヤスのドラム、かっこよかったって、強く強く思うから。

サトヤスのドラムがあったからこそ、ドロスのサウンドがよりかっこよく研ぎ澄まされたんだって思うから。

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