![[Alexandros]の「超える」を聴いて感じた話](https://sinario19.com/wp-content/uploads/2025/04/UP1AS-02572_Dzg_extralarge.png)
[Alexandros]の「超える」の魅力を言葉にする
[Alexandros]の「超える」を聴いた。
良い。かっこいい。[Alexandros]らしい疾走感は特に素晴らしい。
[Alexandros]ってつくづくバンドサウンドをシャープかつスリリングにするのが凄い。
余計なものが一切ない。だから、音がダイレクトに突き刺さってくる。「上手い」だけじゃない。「技巧的」なだけじゃない。「上手い」も「技巧」もパラメーターの五角形なら頂点にありながらにして、余計なものを削ぎ落としていったような気持ち良さがある。
[Alexandros]に感じる、いつもの”良い”を「超える」は超えるような、そういう清々しさがある。
しかも、演奏力で魅了させながら、メロディーにキャッチーさも宿らせていて、歌としてもすっと耳に入ってくるのが良い。タイアップソングだからこその口当たりの良さと、[Alexandros]としてのバンドのかっこよさを融合させたような塩梅。
しかも、「超える」の歌詞を堪能していくと、川上洋平の美学が見えてくるというか、どことなくこのバンドの生き様も投影している印象を受ける。
私が私を超えていく
というか哲学っぽいフレーズをしれっと差し込まれるのも、[Alexandros]がまさしくそういう歴史を積み上げてきたバンドだから。
そんな気分にさせられるし、フレーズのひとつひとつが地に足ついている感がある。
なお、日本語のインパクトが強い歌でありながら、ちょくちょく挟まれる英詞があまりにもなめらかで流れるように展開されるのも、[Alexandros]だから感が強すぎる。
というか、川上洋平のボーカルとしてのレベルの高さに起因した話ではあるんだけどね。
日本語歌詞だからこうとか、英語歌詞だからどうとうか、わりとロックソングだとそういう切り口から語ることも一定数ある中で、どちらも然るべきメロディーとリズムに落とし込み、どちらも変に言語の違いを感じさせず、あるべきタイミングにあるべき言葉を用意するような気持ち良さがある。
ボーカルとして、英語の扱い方に定評がある川上洋平だからこその聴き心地だ。
そんなわけで、すっかり[Alexandros]の「超える」に魅了される自分がいるのであった。
[Alexandros]の「超える」で気になった部分を言葉にする
でも、あまりにもすーっと歌として耳に入ってくるからこそ、感じる部分もある。
あまりにも、口当たりが良すぎるぞ、と。
いやね、これは完全にわがままの話なのだ。
でも、[Alexandros]ってロックバンドとしてかっこいいバンドだからこそ、口当たりの良さの中にも独特のイガイガ感というか、溢れ出てくるある種の反抗心というか、そういうものも接種したくなる自分がいるのだった。
あえて言えば、綺麗すぎると言えばいいのだろうか。
いやね、これは完全にわがままな話なのだ。
今の歌が100点だとしたら、「でもおれは違う100点のやつも見たい」みたいなことを言っている話なのだ。極上の高級ステーキを食ったあとで、「でもなんだかお寿司も食いたいな〜」と、わけのわからん文句を垂れているような話なのだ。
でも、[Alexandros]ってスタンスもさることながら、音楽にも独特のアナキーさ(それは質がどうとかとはまたちょっと違うところで感じる、微妙な聴き心地の話なんだけど)があるように思っていて、だからこそ、色気もあるし大人なかっこよさもあるけど、でも、それとは違うかっこよさにも迸っている唯一無二のバンドだと思っている。
で、「超える」については、ぱっと聴いた印象だと、綺麗な部分があまりにもストレートに出ている印象を受けたから、もっとイガイガしたものもついつい求めちゃう・・・とどこかで感じる自分もいるという話なのだ。
「超える」を聴き続けて感じた結果
でもね、これって軸の問題かなーと思う。
たぶん普通のバンドが『ウマ娘 シンデレラグレイ』のタイアップで曲を作った場合に本来着地する位置と、[Alexandros]が手掛けたからこそ着地した地点は、おそらくあまりにも違う。
確かに[Alexandros]の中でみると、いろんなタイプの歌がある中での話だから、比較的にまとまりを重視した印象も受ける。
でも、これだけ疾走感を大切にしながらも、言葉の部分も大切にして、単にポジティブで陽気な歌にするんじゃなくて、どことなく暗い部分もきちんと歌の世界観に投影させつつ、どちらのアプローチからもぐっとくる展開にした上で、サウンド・歌・言葉・音色、すべての項目で満点を叩き出すような、強烈な五角形の作品を生み出したあたり、[Alexandros]のロックバンドとしての凄まじさを感じずにはいられない。
何をやってもいい、のタイプの中で作られた楽曲ではおそらくない中だからこそ、逆に[Alexandros]の凄さを感じる楽曲なのだ。
こういう要素の中に、こういう要素も入れつつ、ひとつの線で美しく繋いでいく凄さというか。
リアド偉武のドラムがあって、白井眞輝のギターがあって、磯部寛之のベースがあって、全員がシャープでダイナミックで、技巧的。
かっこいいの想像があって、それを正確に音に表現してみせる凄さがあるからこそ、辿り着ける境地。
そうやって考えた時、やっぱり[Alexandros]は凄いし、こういう形の興奮は[Alexandros]でしか味わえないよなーと、しみじみ感じている今。
改めて、偉大なバンドだよなーと、そう感じる夜。