前置き
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歌詞で描かれる物語が繊細で、その物語を想像するだけで胸がきゅっとした気持ちになる。
おまけにそんなきゅっとする物語を、信じられないくらいに表現力豊かなボーカルで歌にされたら鼻血ものだと思いませんか?
思いますよね?
でも、そんなアーティストいるんですか?
そう尋ねたくなるそこの貴方。
それが、いるんですよ。
え?誰かって?
それがこの記事でご紹介する、吉澤嘉代子なのです。
本編
歌詞の表現力
吉澤嘉代子の歌詞って、情景が思い浮ぶような歌詞である。
登場する人物の生活が見えてくるというか。
きちんと「今」だけじゃなくて、その前後も見えてきて、かつ、今、何を思っているのかもなんとなく想像できるというか。
「残ってる」であれ「ストッキング」であれ、それは通底していて。
かといって、吉澤嘉代子の歌詞は別に多くを説明するわけでもない。
どちらかといえば、あまり感情の描写自体はしない。
そういうものは直接な言葉で表現しないで、絵になる何かの描写にそれを託すことが多い。
基本は、フレーズとフレーズの行間に意味が宿るタイプの歌詞なのだ。
だからこそ、言葉の可能性をどこまでも大きく広げていくし、聴き手の想像力の分だけ、その歌詞にある物語の解像度は変わってくる。
例えば、back numberや西野カナなら、その歌詞から見えてくる物語に、そこまで種類は多くないだろう。
なぜなら、説明できるだけ感情の多くを言葉にしてしまっているから。
けれど、吉澤嘉代子は感情という部分において、余計な言葉で「語る」ことをしない。
情景の一つ一つから、想像をさせるのだ。
あと、平仮名と漢字の使い方が巧みで、そこは漢字表記なのに、ここは平仮名表記にするんだ!みたいなことが多い。
「ミューズ」で言えば、貴方というワードは漢字表記なのに、かがやきというワードは平仮名だったりする。
こういうところに拘るタイプの人って、歌詞で伝えるイメージが固まっている人が多く、実際吉澤嘉代子はそういうタイプだと思う。
歌詞で狙っているのは、共感されるかどうかじゃない。
自分が想像し描いた物語を、相手に届けられるかどうか。
そういう気骨が見えるからこそ、吉澤嘉代子の歌詞って胸に迫るものがあるのだ。(まあ、本人がどういうつもりかは知らないけども)
でもね、こういう語らない歌詞でも楽曲が成立するのは、吉澤嘉代子の声が感情豊かだから、というのは大きいと思うのだ。
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声の表現力
吉澤嘉代子の声はフレーズごとに表情が変わる。
猫撫で声のような甘い声の時もあれば、キリッとした大人な女性の声を見せることもある。
溶け入るようなウィスパーボイスもギリギリまで声の「顔」が見えてくるし、ファルセットなんかだと、どこまでも官能的に響いていく。
変な話、歌詞がラララだったとしても、そこに物語が見えてしまいそうなくらいに、声そのものが語り部になっているのだ。
だからこそ、隙間のある物語調の歌詞が恐ろしいほどの解像度になって、脳内にぶち込まれてくる。
声のお化粧の仕方が、吉澤嘉代子は神がかかっているのだ。
まとめ
音楽がフランチャイズ化、ファーストフード化しがちな昨今において、ここまで想像力を喚起させる音楽を作る吉澤嘉代子ってすごいと思うし、その想像のさせ方が、一般的なそれとは違う。
吉澤嘉代子の作品って、独特の怖さと艶めかしいを同居させた、不思議な作品であることが多いのだ。
それ故、あんまり元気じゃないときは吉澤嘉代子を聴くことを躊躇するときすらある。
あまり吉澤嘉代子にとっての良い聴き手でなくて、申し訳ない。
まあ、ただこれは言えると思う。
吉澤嘉代子って、もはや、脚本も書ける、声の女優なんじゃないかって。
僕はそう思っている。
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