別に、誰が悪いとかってわけじゃないし、そもそも、それぞれ事情は違うと思う。
でも、思うのだ。
明らかに実力があって、ライブがかっこいいバンド。
そんなバンドが活動を終えていく一方で、生成AIでアウトプットするバンドが脚光を浴びている。そんな昨今の光景が、どうにもやるせないなーと。
だってさ、何年も楽器と向き合い、頭を悩ませながら曲を作り、人前で演奏してきたバンドたちがいる。そんなバンドが浮き沈みを経て解散する一方で、そういう「努力」の時間を経なくても、生成AIでアウトプットするバンドに注目が集まっているとしたら。ちょっとなーとは思わずにいられない。
少なくとも、泥臭いライブバンドたちにだって、もっと光が当たるべきだったという気持ちは拭えないよなーと思う。
いやね、光が当たるとか当たらないとかが、解散の理由になったのかはわからないんだけどね。でも、「もしもっと光が当たっていたら」と、ついつい考えてしまうわけである。
努力が、ちゃんと音になっているのに
やっぱりかっこいいバンドって、かっこよさを磨くための時間の使い方が「自分好み」であることが多いように感じる。
歌を磨き、演奏を磨き、曲を磨いてきたバンドだからこそ到達できるタイプのかっこよさ。そういう境地って今でもあると思う。
たとえば、速く弾けるとか、難しいことができるとかだけではなくて、ほかのメンバーの音を受けて、自分はどう鳴らすか。そのやりとりが噛み合っていると、ひとりずつの上手さを足しただけでは説明できない気持ちよさが生まれる気がするのだ。
もちろん、その裏でどれだけ練習したかを全部知っているわけじゃない。でも、そういう演奏に触れると、何度も一緒に音を出してきた時間を想像してしまう。その時間の使い方ごと好きになる、ということなんだと思う。
一方、アイデアがあれば生成AIの力を借りて「良い音楽」を生み出せる今の時代にも、良さはあると思う。ただ、生成AIを使う場合って、「かっこいい」に到達するための時間の使い方がちょっと違うからこそ、自分好みかどうかという軸で考えると、うーむと感じるケースが多い。
というか、音で勝負しているのに、出来上がった音源の音質が悪かったりするから、そういう詰めの甘さに、もやるのかもしれない。ぶっちゃけ、生成AIをガチっている人の場合、「どこに生成AIを使っているのか」わからないくらいに仕上げることもあるんだろうなーと思うし。
なので、生成AIを使うこと自体がダメというよりも、音の仕上がりに粗さを感じるのに、話題ばかりが先に立つことに、もやるのだと思う。
ただ、音の仕上がりとは別に、生成AIの仕組みそのものにも引っかかるところがある。
音楽を生成するAIには、膨大な楽曲データを学習して、新しい音楽を生み出すものがある。その学習元の作品には、誰かが時間をかけて磨いてきた技術や、試行錯誤してたどり着いた表現が詰まっているわけで。いわば、いろんな人が積み重ねてきたノウハウが、作品を通じて学習の土台になっている。
そう考えると、その仕組みを使ってアウトプットしたときの、「その人だからこそのクリエイティブ」って、どこにあるんだろうなーと思う。
人間だって、ほかの人の音楽を聴いて学ぶ。でも、自分の手で弾いてみると、思ったようにはいかなかったりする。そのうまくいかなさと付き合ううちに、独特の弾き方や、妙なこだわりが生まれたりもする。自分は、そういう遠回りが音ににじんでいる感じが好きなんだと思う。
生成AIを使う人にも、何を選び、どう手を加えるかという個性はあるだろう。ただ、出力されたものから、その人が何に悩み、どこにこだわったのかを感じ取れないと、どうしても物足りなくなる。
言ってしまえば、その人自身が時間をかけてもがいた跡というか、泥臭さが薄まって感じられるのが、あんまり好きじゃないのだと思う。きれいにまとまっているかどうかとは別に、そこで引っかかってしまう。
だからこそ、地道に音を磨いてきたバンドに、もっと光が当たってほしいと思うのだ。
何にしても、そういううまさとかとは違う次元の話で、あえて言えば青臭さだったり、泥臭さだったり、汚さだったり、ぐちゃぐちゃ感だったり。そういう表現には、音楽に時間を注いできた人だからこその、魂みたいなものがやっぱり宿るよなーって思うわけだ。
こと音楽においては。
少なくとも、今の時点での音楽においては。
同じ曲を何度も演奏して、うまくいかなかったところを考えて、次のライブでまた試す、みたいなことの積み重ねをひたすらしてきたバンドだからこそ生み出される類のかっこよさを感じたりするわけだ。
そして、そういう方向性で「かっこいい」を磨いてきたバンドには、今後もちゃんと光が当たってほしいよなーと思うわけだ。
あれだけかっこいいバンドに、もっと光が当たってほしかった
音楽の世界では、実力と人気が必ずしも比例しない。そんなことは、AIが登場する前からあった。
話題になるきっかけや、タイミングや、届け方によって、聴かれ方は変わる。演奏を磨くことと、多くの人に見つけてもらうことは、同じ作業ではない。
ただ、それを理解することと、仕方ないと受け入れることは別だと思う。少なくとも、ファン目線であれば、そういう御託は別にいらないよなーと思うわけで。
売れそうとか売れなさそうとかとはまったく別の話で。
こういうスタンスのこういうバンドが好きっていう、ただそれだけの直感ってやっぱりある。
でも、好きだと思えるだけの実力があっても、ここまで頑張れば大丈夫、という線はない。実力をつけた先にも、続けていける保証はない。
作れる音楽が増えるのと、音楽に人生を費やしてきた人たちが報われるのは、別のことなのだ。
好きなバンドが解散を選択したとき、ふとそんなことを思う。
仕方がないけど、いたたまれないやるせなさを感じる瞬間。
解散するバンドがいたとして、ほとんどの場合、自分は太客と言われるほどお金を使ってきたわけではないから、偉そうに語れることなんて本当はないんだろうけど。それでも、好きな音楽を生み出していたバンドが1つ、その活動を止めるという事実は、やっぱりいつだって悲しいなーと思う。
生成AIでアウトプットするバンドの作品がバズっている一方で、解散のニュースも飛び込んでくる。そんな昨今だからこそ、ふいに感じた、とりとめもない話。

