テンプレ化された「大切なお知らせ」という告知の仕方の殺傷能力がエグい件

好きなバンドが解散を発表する。そういうニュースを見ることも増えてきた。

マジで頼む、俺のメンタルを攻撃するのは年に3回までにしてくれ。こちとら、ムスカですら引くレベルの人口密度の交通機関をギリギリ潜り抜けて、坂上忍と闇契約を交わしたみたいクソ顧客と対峙する業務時間を切り抜けて、極悪マリオカートのレインボーロードみたいな時間を乗り越えた先、せめてそこで触れる音楽だけは我の側にいてくれ、と思う。

もちろん、側にいる時間の方が長い。だから、そういう音楽に救われてきた。でも、様相が変わるタイミングってある。残りHPが1になったくらいで、なんとか生きながらえた身体を引きずってSNSを開くと、

 

「バンドからの 大切なお知らせ」

 

こういうフレーズをみると、心臓が一気にバクバクになる。

でも、SNSでこういうフレーズを見たときというのは、実はまだワンチャンある。「大切」とか言いながら、そんなレベルのニュース、かりこまりました畏しこな感じで言うなや!ライブのMCとバンドの告知には、変な「間」はいらんのよ。即時即答。NON STYLEくらいの息つく間もない掛け合い。マジでそれを心掛けてほしい。告知の世界で、スリムクラブのテンポ感が許されるのは、ポケットモンスターの新作発表くらいなんよ。

悪いのは、マジで「大切なお知らせ」を発表するバンドがいるから。

そう。別に悪いニュースであることが確定したわけではない。フタを開けると、ライブの告知とか新作の告知とか、なぜか本業とはまったく異なる料理本を発売することになった告知とか、色んな可能性がある。

 

だから、こういう文字列を見るときは、まずこう思うのだ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であってくれ。喜報であっ

 

 

 

【XXXXXXXからファンの皆様へ】
⚪︎月△日(□)XXXXXX公演をもちまして、解散する運びとなりました。

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

真顔のままフリーズして、無音になった世界の中心で、己の心の中にいる藤原竜也はただ叫ぶしかない。

いやね、わかるんですよ。

解散する背景自体は。特に大人になった今だと、色んな想像ができちゃう。職業としてそれを「続ける」上では、やっぱり障壁がある。お金なのか、人間関係なのか、生活が変わったからなのか、契約の問題なのか、将来のビジョンなのか、理由はバンドごとにある。だけど、バンドも我々と同じ生き物。あの頃と今では変わるものはたくさんある。その果てに、こういう結論を出さないといけないケースが訪れるのも、わかる。

わかる。

わかる・・・んだ・・・。

でも、わかってしまうからこそ、自分が好きだったアーティストもまた、無慈悲な現実と接続してしまったとき感じは、何とも言えない厳しさがある。「おれたちは絶対にあなたたちの側でいます。またライブハウスで会いましょう」と言っていた、MCの言葉が何度も反芻される。本音だったけど、叶わなかった夢の言葉。それが、ボディーブローのように効いてくる。難攻不落の現実マリオカートは、音楽の世界と地続きであることを知ってしまうから。

そして、思う。最近このバンドのライブに行けてなかったなーとか、気持ちはとなりだったけど実態は疎遠だったかもなということも思い知る。もし、そうじゃなかったら、違う未来もありえたのかもしれないなーなんてことを。

某人気アニメのように、パラレルワールドに行けるわけではないのだから、そんな想像は無意味なのに・・・ね。

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