須田景凪が「メロウ」で放ったストレート具合の考察
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自分が好きな音楽はパターンとか傾向っていくつかある。
そんな複数あるパターンのうちのひとつとして、「その逆をいくもの」というものがある。
どういうことか?
例えば、普段はめっちゃネガティブなアーティストがここぞのタイミングで歌うポジティブな歌うとする。
それって、自分的には「その逆をいくもの」として感じるのである。
同じポジティブな歌を並べて聴いても、普段ネガティブなアーティストが歌う”希望”の歌だからこそ、よりその希望が切実に響く・・・というイメージだ。
他にも、「その逆をいくもの」のケースを挙げることができる。
例えば、普段はふざけた歌ばかり歌うバンドがここぞのタイミングで歌う渾身のメッセージソングとか。
某ふざけがちな歌を歌いがちなバンドは、いつもフルアルバムをリリースすると、最後の曲で胸が熱くなるようなハートフルな歌を歌うのだが、そういう歌が刺さるのである。
面白いもので、いつも熱い歌を歌うバンドよりも、ここぞのタイミングで熱い歌を歌うバンドの方が、その熱さに胸を震わされるケースfが多いのである。
他にも、普段は一切恋愛をモチーフにした歌を歌うこともしないしそういう浮いた話も一切出てこないアーティストが、ここぞのタイミングで歌うド直球なラブソングとかも自分的には刺さったりする。
まあ、ぶっちゃけ要素は何でもいいのだ。
大事なのは、このアーティストってわりとこういうイメージよね、という固まりつつあること。
そして、固まりつつあるタイミングで、鮮やかにその逆をいく作品を生み出すこと。
これが重要であり、こういう作品が自分のツボなのである。
しかも、その「逆」が、どこまでも真っ直ぐであると余計に刺さる。
例えば、ひねくれがウリのバンドが真っ直ぐなメッセージソングを歌うとする。
その場合、同じメッセージソングでも、本当に真っ直ぐなメッセージソングを歌うパターンと、少しそのバンドらしいひねくれを混ぜ込むパターンのふたつがあると思う。
で、自分は、その二択であれば、前者の方が刺さりがちなのである。
逆をいくときは変に「いつも」を意識する必要はないと思っていて。
逆をいくときに、その逆に突っ切ってくれる方が、ぐっとくる度合いが高くなるのである。
・・・という前振りをしたうえで、今回紹介したいのが、この歌。
須田景凪の「メロウ」である。
須田景凪 「メロウ」の話
須田景凪って自分らしい世界観を持っているタイプのアーティストだと思う。
そして、バルーンでキャリアを積んでいたということもあって、色んな手段で魅了するタイプのアーティストである。
ピッチャーに例えたら、多彩な変化球と自由自在な緩急をつけたピッチングを披露するタイプの技巧派というイメージ。
ワインドアップで投げていたと思ったら、唐突にクイックモーションで投げることもできる・・・みたいなイメージ。
少なくとも、豪速球なストレート一本で魅了する、というタイプとはちょっと違う。
須田景凪には、そんな印象を持っているわけだ。
でも、「メロウ」って変化球を投げることなく、グローブめがけて真っ直ぐにボールを放り投げるような、どこまでもストレートな心地を覚える歌なのだ。
なぜ、そう感じるのか。
順を追って説明してみたい。
まず、今作はTVアニメ「スキップとローファー」のオープニング主題歌である。
ここがひとつのポイントである。
というのも、「メロウ」はそのアニメ作品の顔となるオープニングの主題歌ということもあって、メロディーが人懐っこいのだ。
頭からボーカル入りのサビで始まるこの歌は、トントン拍子に楽曲が展開していく。
サビが終わるとわかりやすく華やかなイントロを10数秒鳴らし、その後、小気味よく、Aメロ→Bメロ→サビへと変化していく。
その流れが秀逸なのである。
アニメ主題歌ということは、当然ながら歌の展開に合わせて、アニメの絵が切り替わるわけだ。
しかも、この割り振りがきっとけっこう厳密に決まっていると思われる。
オープニングという枠の中で起承転結を描き、サビではアニメ側の映像も盛り上がりのピークを作り上げる必要があるわけだ。
「メロウ」は、そういうアニメの展開に波長を合わせるかのように、メロディーが進んでいく。
このサビ→イントロ→Aメロ→Bメロ→サビ、という流れの王道的な真っ直ぐさ、ピッチャーの球種で言えば、ストレートの輝きに、自分はぐっとくるのである。
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須田景凪屈指のストレートな言葉選び
須田景凪のフレーズって、時にオシャレに、時に複雑に響くことがあって、あえて直接には何かを言及をせず歌詞を紡ぐというケースもよくある。
というよりも、色んな想像を喚起させてくれる歌が多い印象なのだ。
そんな中で、「メロウ」はどのフレーズを切り取っても真っ直ぐな色合いがあって、このフレーズってこういう意味なのかなとか、原作でいうところの「ここ」を指したフレーズなのかな、ということを考えやすいような言葉を組み立てている印象である。
そう。
メロディーも真っ直ぐであるこの歌は、メロディーと同等に、歌詞も真っ直ぐに彩られているのである。
眩しくて
僕は目を逸らしてしまう
似合う言葉ひとつだって
何も言えない僕だ軽やかに
跳ねる背に見惚れていた
青い温度の正体が
恋だとしたら
このフレーズは、この歌を聴いていくうえで重要なフレーズだが、良い意味でこのフレーズにも変化球的な匂いを感じることはない。
裏を読まずに、真っ直ぐに言葉の意味を受け止められる歌。
そんな印象を持つのである。
変化球が得意なのかなと思っていた須田景凪が「メロウ」という歌において、ここまで鮮やかに真っ直ぐに感情を揺さぶってくる。
だからこそ、ぐっときてしまう自分がいるのである。
まとめに替えて
サウンド、アレンジ、歌詞。
全ての要素において、これまでの須田景凪の楽曲から考えても、「メロウ」は実に真っ直ぐで素直な歌だと思う。
そして、「メロウ」はとても素直な歌だからこそ、これまでの須田景凪の歌とは異なる刺さり方をしているし、その刺さり方が深い心地を覚える。
でも、これってこれまでの須田の作品があるからこその刺さり方であるようにも思う。
色んな作品を通じて、色んな方法で変化球を投げてきた須田景凪がいたからこそ、「メロウ」の真っ直ぐが際立つわけだ。
しかも、その真っ直ぐは、どこまでも鮮やかで寄り道をしない純真さがある。
そんなことを思うのである。
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