藤井風のカバーがシンプルなのに深すぎる件
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どんなアーティストでも”持ち上げられる時期”と”急に風当たりが強くなる時期”がある。
というのも、基本的に一般的なアーティストより秀でた能力や技術を持つアーティストって、比較という視点でそのアーティストを観たとき、色んな意味で普通じゃない部分が際立って、その普通じゃない部分が魅力になる一方で、揶揄的な人からするとツッコミどころに映ることもあるわけだ。
そう考えた時、確かに藤井風はわかりやすすぎるほどに魅力が溢れたアーティストだと思う。
そして、その”わかりやすさが、捉える人によっては揶揄の対象になることもあるのかもしれない。
たくさんの人に注目されて、色んな価値観の人に存在を知られてしまうというのは、そういうことなのかもしれないと思うからだ。
ただ、改めて自分が藤井風の音楽に触れて感じるのは、圧倒的な美しさだったり、他のアーティストでは感じられない明確なる艶やかさだったりする。
特に、最近自分は藤井風のボーカルとしての表現力に惹かれがちなのである。
カバー曲を改めて、そんなことを思った。
というのも、藤井風のオリジナルアルバムにはいつも、カバー集もセットでリリースされている。
アルバム『LOVE ALL SERVE ALL』では、『LOVE ALL COVER ALL』というカバーアルバムが付いており、最近、配信のリリースもされている。
このカバーアルバムが、めちゃくちゃに良いのである。
『LOVE ALL COVER ALL』の話
冒頭の「Sunny」からすごい。
この歌では、ソウルフルかつ艶やかなボーカルの魅力が全開だ。
原曲は、ボビー・ヘブの代表曲。
この歌は”Sunny”というタイトルの楽曲ではあるけれど、ボビーの悲しみが投影されて一曲になっている。
藤井風のボーカルは、ボビーがこの歌に滲ませた悲しみを丁寧に掬いながらメロディーにのせている印象を受ける。
淡々としながらもリズムカルな音の連なりの心地よさをピアノとボーカルで巧みに表現して、原曲をリスペクトしながら藤井風ならではの温度感で楽曲を歌い上げている印象。
この<楽曲構成としてはどこまでもシンプルなのに、音楽世界の中に確かな深さを感じる>ところに、藤井風のアーティストとしての凄さを感じるのである。
ボーカルとしての表現力と、原曲への確かな造形を兼ね備えているからこそ、こういうテイストながら、息を呑んでしまうようなカバーを生み出せるんだろうなあと思うのである。
次に収録されている「no tears left to cry」は、アリアナ・グランデの楽曲だ。
この歌は、アリアナ・グランデのコンサートが、テロリストの襲撃によって爆破されたことを踏まえた歌での楽曲となっている。
ただ、そういう歴史を下地にしたうえで、希望を見出す歌になっていて、それがタイトルにも現れている。
藤井風のカバーもまた、そういう繊細な感情と絶妙な眼差しをカバーの中に落とし込んでいる印象である。
「grace」を聴いているときにも感じたことであるが、藤井風ってどこまでもその眼差しが繊細かつ鋭敏なのである。
普通の人だったら素通りするような事柄や感情にも丁寧に目を向け、切実に向け合っている印象なのだ。
だからこそ、生み出す音に深みが生まれるし、歌の中に宿る美しさが際立つ。
シンプルでも深みがあるのは、そういう藤井風の才能があるからこそ、だと感じる。
カバー曲がどこまでもリスペクトに包まれ、深みのある歌になるのは、そういう藤井風の眼差しがあるからのように思うわけだ。
藤井風って、良い意味で普通ではない部分が多くて、キャラクターとしても魅了的な部分をたくさん持ち合わせているから、メディアをみていると揶揄的に語ってしまったり、少し面白おかしく形容することもある扱ってしまうこともある印象だ。
本人はコメディー的なものも好きだから、狙ってやっている分には良いと思うんだけど、時にそれが過剰に映ってしまうこともある。
でも、藤井風の魅力ってそういう凹凸でいうところの凸だけにあらず、ということをカバー曲を聴いていると改めて感じるし、そういうことをどんどん言葉にしたくなる。
表の表出する部分も魅力があるけれど、外には出てこない要素やある種の内面性も素晴らしさが宿っているということを、言葉にしたくなるのだ。
というか、そういう部分があるからこそ、歌やピアノに深みが宿っている、ということが言いたいのである。
まとめに替えて
・・・・なんて大袈裟なテンションで言葉にしてみたけれど、僕が言いたいのはシンプルに一言。
『LOVE ALL COVER ALL』、めっちゃいいやんという、そういう話。
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