スピッツの「ホタル」について歌詞を書いてみたい。

Aメロも含めKEYが高いから歌うのがしんどい、という理由だけでシングルでありながら滅多にライブで披露されないこの曲。

しかし、スピッツ随一の切なソングであるこの歌。

この歌にどんな解釈ができるのか、深読みしてみたい。

作詞:草野正宗
作曲:草野正宗

時を止めてしまう〜ささやかな光

君の笑顔=この主人公にとって大切なもの

ということがひとまずはわかる。

「胸の砂地に染み込む」とは、蟻地獄の中に君の笑顔の記憶が飲まれていってしまうような光景が連想される。

「時を止めて」と懇願していることからわかる通り、どうやら主人公は君の笑顔をしばらく見ることが叶わぬ状態であることがわかる。

闇の途中とあるように、おそらく主人公は君を失い「孤独」という暗い未来に足を踏み入れようとしているのではないか?

「すぐに消えそうで悲しいほどささやかな光」とは、ニアリイコールで「君の笑顔」のことだと思われるが(そして、この光すらも比喩にしてタイトルはホタルと付けられている)、なぜ主人公は君を失うことになるのだろうか。

その辺も踏まえながら歌詞の続きをみていきたい。

なまぬるい〜懐かしい歌にも似た

「なまぬるい優しさ」とは何だろうか?

おそらく安定的な幸せみたいなもんだと思う。

おそらくこの歌の「君」は主人公の恋人のことであり、君との生活は「なまぬるい優しさを求め合う日々」だったのだろうと思う。

「変わり続ける街」というのは、この二人は生活環境が変わるくらいの期間、一緒に時間を共にしたということであろう。

三ヶ月付き合って別れましたとか、そんな安い関係ではないということだ。

街が変わるというのは、転勤とかで引っ越しをしたということを意味しているのかもしれないし、四季によって人の服装や足取りが変わり、それに伴い、街のイルミネーションや装飾も変わっていくことを意味しているフレーズなのかもしれない。

いずれにせよ、それなりに長い期間を共にしたということを匂わせるフレーズであることは間違いない。

さて、気になるのは「懐かしい歌にも似た」というフレーズ。

これは何に掛かっているフレーズなのか?

文章だけみれば、「終わりない欲望を埋めること」より「懐かしい歌」に「それ」は似ているんだよ、という風に捉えられることができる。

終わりない欲望=食欲or性欲だと思われる。

懐かしい歌=自分にとって居心地の良いもの、みたいなニュアンスだと思われる。

子供の頃に聞いた歌って、不思議なくらい愛着が湧くものである。

で、「それ」はイコールで「なまぬるい優しさ」と考えてみてはどうだろうか。

まとめると、こうだ。

僕と君の生活に求めていたのは、なまぬるい優しさであり、なまぬるい優しさとは、性欲とかではなくて居心地の良さだったんだよ、みたいなニュアンス。

僕が求めていたのは、身体の繋がりではなくて気持ちの面での繋がりだったんだ、みたいな話だろうか。

歌詞の続きをみてみよう。

甘い言葉〜鮮やかで短い幻

甘い言葉とは、何だろうか。

普通ならば「愛してる」とか「大好きだよ」みたいな言葉になるんだろうけど、そこは想像するしかない。

いずれにせよ、君の言葉をたくさん聞くことで、主人公は君色にもっと染まりたいと欲するわけだ。

そんな君色に染まることを正しいことじゃないかもしれないと疑ってみせたあと、それは鮮やかで短い幻、と締めくくる流れ。

ところで、一体何が幻なのだろうか。

実はそれによって、この歌の解釈は大きく変わってくる。

考えられるパターン3つである。

①君との甘い思い出も、君に染まっていったその想いも、いつかは幻のように消えてしまう、というニュアンス。

②君と甘い生活を送ったという記憶そのものが主人公の脳内妄想の話であり、全ては幻であるというニュアンス。

③君という存在そのものが幻であり、本当はそんな人すら存在していないという意味で、幻であるというニュアンス。

どれが正解なのか。

それを踏まえながら、歌詞の続きをみていきたい。

2番の歌詞をみてみよう。

ひとつずつ〜遠いところまで

生まれて死ぬまでのノルマとは、簡単に言えば仕事をしなければならないとか、社会に溶け込んで角の立たないように生きていかなければならないとか、そんな感じのことだと思う。

そんなノルマから逃げ出して、どこか遠い所に生きたいと主人公は訴えかけるわけだ。

ただし、紙のような、ちょっとした刺激で破れてしまいそうな脆い翼しか自分は持ち合わせておらず、少しでも誰かに邪魔をされたら、飛ぶことはできない「主人公の弱々しさ」もここで表現される。

なぜ主人公はノルマから逃げたいと考えたのかといえば、おそらく自分の生活から「君」がいなくなったからであり、君という存在は闇夜に光るホタルの光のようにささやかではあるけれど、大切な希望の光だったわけだ。

それが消えてなくなってしまったから、主人公は今の生活がどうでもよくなり、「逃げたい」と口にしたのだ。

しかし、主人公は決して行動力もバイタリティもある人間ではないから、所詮紙の翼で羽ばたくくらいの覚悟と決意しか持ち合わせておらず、誰かに「おい戻れ」と言われて翼に石を投げられたら、その翼に穴が空いて飛べなくなってしまったと言い訳して、結局ノルマある日々の暮らしに戻ってしまうのである。

時を止めて〜それは幻

一度出てきたサビがもう一度繰り返されるわけだが、ここでさっき提示した予想とすり合わせながら、歌詞を考えてみたい。

2番のAメロから考えると、君という存在自体は実在しているように思われるので、③の解釈は不適当と考えられる。

では、①か②どちらが妥当なのか。

そこで一度、もし僕と君が恋人関係でそれなりの歳月を一緒に過ごしたのだとしたら、なぜ二人は別れることになったのかを考えてみたい。

ここに明確な説明ができれば、最後のフレーズである「それは幻」の「それ」が何を意味するのかも判明するはず。

まず、大前提として、僕は未だに君のことを思っているわけだ。

しかし、僕はノルマを放棄して羽ばたきたいと考えたとき、「君のいる場所」ではなく「どこか遠い所」に行きたいと願っている。

これは少し妙である。

もし、主人公がヨリを戻したいと考えているのであれば、君のいる場所に行きたい、と願ってもいいはずである。

また、「時を止めて」と懇願した際に願ったのは、君と一緒に過ごした日々や君との生活そのものを永遠にすることではなく、君の記憶を風化させたくないという願いを叶えるためであった。

これも妙である。

もし、君と恋人生活をしていた人間ならば、時を止めれるならば、仲がもっともよかった頃の生活を永遠と続けることを願うはずである。

なのに、それをしないのはなぜか。

結論はひとつだ。

君と過ごした日々という記憶そのものが幻だからだ。

だから、君という存在は、僕にとって「すぐに消えそうで 悲しいほどささやかな光」なのであり、ホタルのような光でしかなかったのである。

もしかすると、君はずっと憧れの人であり、遠くの方から眺めていただけなのかもしれない。

しかし、何か理由があって、その人ともう会えなくなってしまった。

少しずつ消えていく君の記憶とともに、僕のホタルのような生きる気力も消えていく、そんな歌なのではないかと思う。

そう考えると、他のスピッツの歌とはまた別のベクトルですごく切ない歌に聞こえてしまうから不思議だ。

あえて提唱する。

この歌は「恋する凡人」の切なさMAX verである、と。

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