BUMP OF CHICKEN「アリア」歌詞の意味は?解釈と考察

BUMP OF CHICKENの新曲「アリア」。

ドラマ「仰げば尊し」の主題歌として起用されることでも話題になっていうこの歌。

この歌で藤くんが何を描きたかったのか、勝手に予想してみたいと思う。

作詞:Motoo Fujiwara
作曲:Motoo Fujiwara

1番の歌詞について

最初のフレーズでは登場しないが、これは僕と君の歌であり、後々に僕も君も登場する。

で、藤くんの歌における僕も君も人では何か(ほとんどの場合は心の中にある何か)である場合が多い。

そもそも最初のフレーズからいきなり「ため息」を擬人化してるあたり、流石である。

ため息が迷子になるとは、ため息つくような辛い感情も忙しい日々に忙殺されて、そんな感情になっていたことすら忘れてしまう、みたいなニュアンスであろう。

そもそも、ため息を吐くなんて日常茶飯事で、自分の心が弱っていることにいちいち気にも留めていないことがよくわかる。

自分の心にため息を吐くような辛い感情があることが日常の景色なんて言い切ってしまうなんて、ちょっと切ない話である。

で、そんな辛い気持ち=ため息に上手な言葉(例えば、大丈夫?とか、どうかしたの?とかかな)を使えば、その気持ちの真意に少しは近づけるけれど、その思いが本当はどんな理由で生じたものなのか、完璧には理解できないといっている。

要は言葉でやり取りすれば、相手の気持ちはある程度はわかるけれど、逆に言えば「ある程度」しかわからないということでもある。

ただし、前述は人と人とのやり取りの話。

この歌で迷子になっているのは自分と自分の心の話なのである。

僕が僕の中で僕の感情と迷子になったみたいな話なわけだ。

次のフレーズをみてみよう。

僕らはお揃いの~違う生き物

自分の心の中にいるひとつの生き物。

ひとつはため息=辛い感情。

つまり、ひとつは負の感情なのだとしたら、もうひとつは正の感情なのである。

ピクサーの映画の「インサイド・ヘッド」みたいなイメージかな(これは怒られそうな例えかな)

同じなんだけど、違う生き物ということは、つまりそういうことではないのかと個人的には思う。

見つけたら~触ってくれた事

鏡のように見つけ、応えるように触ってくれた、というのが少しイメージし辛いが、仮に正の感情も生きているとしたら、絶対に正の感情も負の感情を宿すことがあるだろう。

だから、負の感情を見つけたら、正の感情なのに「僕にも負の感情あるんだよ」っていって見つけてくれるということである。

で、その感情がここにいるよと訴えかけたら、「わかってる」といって合図するのである。

悲しかったら涙を流し、嬉しかったり笑うように。

2番の歌詞について

曲がって落ちた~世界になったよ

全て心の中の出来事として考えみよう。

紙飛行機とは希望とか夢の象徴であり、それが途中で別のもの(例えば失望)に変わり、落ちてしまったこと。

「まっすぐな瞳で」とは純粋な感情(夢を追いかける心とか人を信じる気持ち)とかそういうものに素直になれなくなって疑うことを覚えてしまうようになったこと。

そういうことに慣れっこになったからもう傷ついたり、センチメンタルになったりしないけど、昔ついたその傷が治ることはないのである。

大人になってしまったということである。

けれど、僕だって昔は子どもだったわけで、その頃はひとつのため息=辛い感情としっかり向き合っていたわけだ。

ため息が迷子になっても、それに名前をつけて呼んであげて、一緒に心の世界をより良くするために手を繋いでいたわけだ。

僕らの間には~育っていた

でも、大人になるということは、センチメンタルであることを卒業しなければならないということであり、自分の本音に対して極力無関心を装わなければならないわけだ。

そんな大人になっていく心の変化を上記のようなフレーズで表現する藤くんのロマンチストさにただただ脱帽する。

そして、サビである。

笑うから~繋がった気がしたよ

喜びの感情という生き物も生きていれば、悲しみの感情を心の中に宿しているだろう、と言っているわけだ。

仲良くならないと思っていた感情同士だって、一瞬でも繋がるときがあるのだといっているのだ。

(あの日の些細なため息は)
(あの日の些細なため息は)
(あの時くれただけで)

このフレーズはコラースとして歌われているわけだが、このコラースがまるで自分の内面、まさしく心の声のように歌われているのがポイントなのである。

そして、最後のサビである。

笑うから~忘れたくなかった

心の中に色んな感情が宿っていて、喜怒哀楽はすべて繋がっていて、どんなに尊い感情も、どんなに汚い感情も、それらすべてが自分を構成する要素であり、愛おしいものであることをこのフレーズで言明しているのである。

ただし、大人になれば存在感が薄くなっていく感情があることもまた確かである。

それが、君という言葉に代入される内容である。

その感情ひとつひとつはアリアのように美しいものであることを、この歌は歌っているのではなかろうか。

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