BUMP OF CHICKENの歌詞が刺さる理由を考えてみた

ふとBUMP OF CHICKENのことを書きたくなったので、BUMP OF CHICKENの歌詞について書かせてほしい。

本編

BUMP OF CHICKENの話

BUMP OF CHICKENがめっちゃ好きなのである。

ただ、BUMP OF CHICKENの場合、仮にメロディーと歌詞のどっちが好き?って問われたら、わりと速やかに「歌詞」と答えてしまう気がする。

そんな珍しいタイプのバンドなのである。

もちろん、人によって。どこに重点を置いて、音楽を聴くのかは変わると思う。

自分の場合は、基本的にまずメロディーを重点に置いて聴くことが多い。

というか、メロディーが刺さるかどうかが、その曲をリピートするうえで大きな指標となっている、とでも言えばいいだろうか。

そして、自分に限らず、リスナーの多くはメロディーを重要視して音楽を聴いていると思うのだ。

あいみょんの「マリーゴールド」や、米津玄師「Lemon」や、Official髭男dismの「Pretender」が大きなヒットを果たしているのは、すげえシンプルな言葉でいえば、メロディーが良いからである。

なぜ良いと感じるのか?というところまで踏み込むと話はややこしくなるけれど、これも雑に言ってしまうならば、90年代的な美メロと通ずるキャッチーさが、上記3曲に内包しているからなんだろなーとは思うのである。

だからこそ、90年代のヒットソングを親しんできた人にも、これらの音楽は刺さっており、ヒットしているという背景はあるのかなーと思っている。

正直、新しい音楽や未知の音楽は刺さりにくい。

でも、自分にとって馴染み深い音楽ならば、刺さりやすいというのは絶対にあると思うから。

まあ長々と講釈を垂れてしまったけれど、ここで言いたいのは、聴くときってメロディーを重要視しがちだよね、という話である。

でも、BUMPの場合、言うほどメロディーを重視していない。

もうちょっと言えば、BUMPの歌ってそんなに中毒性のあるメロディーとは思っていなくて。

「キャッチーなメロディー」という言葉から距離が遠いというか、そんなにメロディーとしての人懐っこさはないというか。

でも、そのメロディーに歌詞がのると、大幅に魅力がアップするというか。

というよりも、言葉が届くためにメロディーがある感じとでも言えばいいだろうか。

何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけれど、要は歌詞がめっちゃ良いよね!という話なのである。

BUMP OF CHICKENの歌詞について

で、ここで掘り下げたいのは、じゃあなぜそんなに歌詞が良いと思えるのか?という話である。

もちろん、藤原基央が歌うから、であり以上も以下もないのが現実ではあろう。

そういう理屈の身も蓋もなさは、「ベイビーアイラブユーだぜ」の一言で証明してしまった気がする。

要は、フレーズの意味ではなく、誰がその言葉を歌うかで、言葉の質が決まっていることを、あの歌で明らかにしてしまったというか。

とはいえ。

当然ながら、そこだけでは終わらないフレーズの魅力があることも、また確かである。

僕がBUMP OF CHICKENの歌詞で感じるのは、ずっと「内面」のことを歌っているよなーということ。

心について歌うことが多い、と言い換えてもいいかもしれない。

もちろん、back numberや西野カナだって、歌っているものは、自分の想い=心なのではないか?という話があるかもしれない。

が、BUMPの場合、さらにこの「心」とか「内面」の描き方が、巧みなんだよなーと思うのだ。

例えば、「ラフ・メイカー」。

この歌は自分の心を物語的な言葉で表現することで、より内面の感情を丁寧に描いて魅せている。

他にも「天体観測」や「スノースマイル」や「メーデー」や「Aurora」も、僕と君という登場人物が出てきて、物語的に話が進むため、色んな解釈をすることが可能だけど、ベースにあるのは、内面のことを描いてみせているように思うのだ。

というよりも、外側と内面が巧みにシンクロしている、とでも言えばいいだろうか。

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で、こういうことを考えるとき、自分の頭の中に浮かんでくるのが「新世紀エヴァンゲリオン」なのである。

藤原基央もこのアニメに出てくるヒロインを歌の題材にしたことがある。

つまり、おそらくは「新世紀エヴァンゲリオン」には大きな影響を受けていると思うのだ。

BUMPの歌の内面世界の描写が独特なのは、エヴァ的なモチーフを組み込んでいる部分が大きいということだ。(あるいは「ファイナルファンタジーVII」を始めとする、ゲーム的リアリズムとの距離も近さも重要な部分だとは思うが、この辺は面倒くさいので、今回はスルーする)。

まあ、そもそもこのブログを読んでいる人のどれくらいがエヴァを認知しているのかわかんないので、どこからどういう話をしたらいいのかわかんないんだけど、あのアニメもかなり内面世界を描くのだ。

なんせ、元ネタとして心理学的なものを相当に取り入れている。

「A.T.フィールド」というワードも、「シンクロ率」というモチーフも、「逃げちゃだめだ」というセリフが印象的になるのも、内面がモチーフとしてあるからなわけだ。

そして、エヴァという話の最大のテーマが、フロイト(という昔の心理学者)が言うところの「エディプスコンプレックス」的なところに、帰着させようとしているふしがあるところまで含めて、あの作品は内面とか心理的なものとすごく距離が近いのである。

まあ、なんかエヴァのことを知らん人からしたらなんのこっちゃとなると思うけど、要は、内面と物語が密接に結びついているのがエヴァの面白さであり、BUMPの歌詞も、かなりそのイズムに引っ張って作られている感じがするんだよなーという話。

だからこそ、歌の感じが<僕と君の物語>だとしても、どこか自分の心を描かれているような不思議な心地がして、ある部分のフレーズがぐさっと刺さるのかなーなんて思うのである。

「プラネタリウム」だって、内面のことを「プラネタリウム」になぞらえた歌だし、だからこそ「一番眩しいあの星の名前は僕にしか知らない」わけだし、「涙のふるさと」だって主人公は涙だけど、涙を主人公にすることで内面のことを歌った歌なわけで、結局、テーマは他の歌と通じているのである。

心のことをこんなにも色んな角度で歌うからこそ、喜怒哀楽すべての心に宿る色んな感情を丁寧にひろって、それを感情の言葉以外で巧みに表現するからこそ、BUMPの歌詞はぐっとくるんだろうなーという話。

だから、BUMPの歌詞が好きだし、メロディーより歌詞が好きという理由の一端は、そういうことにあるんだよなーという話。

まとめ

というところで、この記事は終わろうかなーと思うんだけど、BUMPって変わったと言われがちだけど、内面を描くときの視座みたいなものは、ちっとも変わっていないよなーと思うのである。

それは『aurora arc』という作品を聴いて、改めて思ったことでもある。

近いうちに、エヴァの最新映画が公開されるという話もあるし、BUMPの次の作品が「何を」「どう」描くのかが、今から楽しみである。

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