ライブのアンコールで感じることと、ドキドキが多い方が良い件

アンコールって、いつの間にか「もう一度を求める時間」というよりも、「次の出番を待つ時間」になっていることがあるよなーと思う。

本編が終わって、アーティストがステージを去る。でも、客席の多くはこれでライブが終わったとは思っていない。しばらくすれば、また出てくる。その続きを待ちながら、手を叩く。

もちろん、もう一度観たいという気持ちはあるのだ。ただ、本当に出てきてくれるかどうかにドキドキするというよりも、出てくるまでの時間をやり過ごしている。そういうアンコールって、わりとある気がする。

そして自分は、たぶん、その定型になっている感じがおもしろくないよなーとは思うタイプ。

ライブは一期一会だと思っている。

その日、その場所でしか出会えないものがあるから、ライブを観たい。アンコールも同じこと。出るか出ないかわからないアンコールは燃える。「定型」のアンコールはアンコールまでの時間そのものにはあんまり燃えない。(アンコール自体はめっちゃ楽しいというのは前提のうえで)

「アンコールはあって当たり前」という前提

ライブの本編が終わる。アーティストがステージを去る。しばらく待つ。もう一度アーティストが出てくる。どうせそこからグッズ紹介するんでしょ。本編では喋ってなかったメンバーが喋るんでしょ。そこから1曲ないしは2曲くらいやって終わるんでしょ。みたいな空気が蔓延していること、わりとある。

嫌いじゃないけど、燃えるかどうかという話で言えば、燃える寄りとは言えないことはまあある。良くも悪くも「あって当たり前」の空気すぎるとなーというのはある。

まじでアンコールやるかやらないかわからない系のバンドにおける、アンコールの時間のガチ度はえぐい。「ワンモアー」の絶叫の気合いの入り方が半端なかったりする。どうせなら、それくらいヒリヒリする方がワクワクすることはある。まあ、アンコールが絶対ない系のアーティストの場合、本編が終わってからステージを去る客のスピードがえぐかったりするんだけど、まあそれはそれでいいかなーとも思う。

いやね、アンコールだからこそ披露される神曲もいっぱいあるし、アンコールのグッズ紹介のくだりも好きなので、アンコールそのものがいらないとは思わないんだけどね。

でも、手拍子のときの熱の入り方という視点だけでいえば、「あるかないかわからない」方が燃えるよなーとは思うわけだ。色んなアーティストのライブを観たうえでの感想としては。

セトリを事前に見たくない理由

ちょっと話は逸れるけれど、自分は、これから観るライブのセトリを事前に見たくない派である。少なくとも、わざわざ見たいとは思わないタイプだ。理由はわりとシンプルで、次に何が起こるのかわからない状態で、そのライブに出会いたいからだ。

何の曲から始まるのか。

どんな曲が披露されるのか。

すべてがわからない状態のドキドキに触れたいからセトリは見たくない。なんならフェス尺ですら「ヒントになる」から、同じじゃない可能性があるとしてもそのセトリは見たくないタイプだ。ライブが答え合わせになったらつまらないと思うから。

なんにせよ、その瞬間のドキドキを大切にしたい派という話。

アンコールにも、一期一会のドキドキがほしい

アンコールの手拍子には、ステージの裏にいるアーティストに「もっと観たい」を届ける、という意味があると思う。もうステージにはいない人に、まだここであなたの音楽を聴いていたいと伝えるために音を鳴らす。そういう手拍子には、やっぱりぐっとくるものがある。

なので、アンコールの手拍子そのものも熱を帯びていると興奮することも多々ある次第。結論としては、「定型」と「その場だからこそのドキドキ」がブレンドした系のライブのアンコールはアガるよなーという話。

アンコールはともかくダブルアンコールとかトリプルアンコールはそういう熱を帯びやすいので、わりと好きだったりするし、一回アンコールで「みんな、すぐ帰る」ライブよりも、いつまでも客がステージに向かい続けるライブの方がいいかもなーくらいの感じはあるアレ。

なーんて贅沢なことを書いているけど、ライブは全部楽しいんだけどね。

結局のところ、胸がドキドキするライブを1本でも多く観れるのであれば、それが一番の幸せという、そういう話。