UNISON SQUARE GARDENの活動休止前、鈴木貴雄脱退前最後のライブとなる、LIVE 2026「Sentimental Period」を観た。

今回のユニゾンのニュースを受けて、いろんな形で感情を揺さぶられている人も多いと思うし、SNSにはいろんな形のライブの感想が上がっていると思う。なので、今さらこのブログでわかったようなことを書いてもなーとは思いつつも、あのライブをみて心が動いたことについては言葉にしたいなーと思ったので、駄文よろしくなブログ記事を更新してみようと思う。

あのライブを観て思ったのは、めっちゃ変な話だけど、「言ってたことって本当だったのかもなあ」という感覚だった。

例えば、鈴木貴雄は「これからもユニゾンで表現したいことがたくさんあったけど、折り合いがつかなくなり、ユニゾンを残すために、脱退を選んだ」という説明をしていたが、あのライブを観ると、その説明がすごく腑に落ちた感覚があったのだ。

それこそ、最初に鈴木貴雄が脱退する、というニュースを観たときに色々と意味がわからなかった。「バンドがバンドとして、もうやることがなくなった」「飽きてしまった」という理由から解散を選ぶならまだバンドの哲学として理解ができるが、この3人が揃わない形で、でもユニゾンというバンドはまだ形として残っている、という道を選ぶのが意味がわからなすぎたからだ。

それほどまでに、UNISON SQUARE GARDENはあまりにもこの3人のアンサンブルがかっこよすぎるバンドだったから。この3人以外のメンバーで音を鳴らすことが、あまりにも考えられないバンドだったから。

だってさ、クソ難しいボーカルをクソ息継ぎしにくい割振りの中で、リードギターでも弾くのがクソ難解なギターを涼しい顔をしてプレイして、なんならギターソロでもゴリゴリに見せ場を作る斎藤宏介がいて、激しさも繊細さも丁寧に使い分けながら踊るように自由自在に複雑なリズムメイクをどっしりと作り上げる鈴木貴雄がいて、色んな意味でバンドの軸になり、ステージでは縦横無尽に走り回りながら、誰よりも楽しそうに音楽をプレイしながら、メインボーカルを食ってしまいそうな出力でパワフルなコーラスも披露しながら、計算されつくした完璧なセトリで我々を常に興奮の渦に巻き込む田淵智也がいて、どう考えても、誰かがいないステージなんて想像できないバンドすぎたから。

だってさ、人の身体があるとして、心臓のない身体なんて想像できないわけじゃないですか?「身体がない人」なんて想像できないわけじゃないですか?いや、それで「生きている」とは言えないでしょ?って突っ込まれると思うんですよ。

そういう状態のUNISON SQUARE GARDENになろうとしている感があって、その状態で「続く未来」があまりにも想像できなくて、意味がわからなかったのだ。

3人のまま休止か、解散だったら、まだわかる。

でも、体制が変わって活動休止、っていう選択が自分的にあまりにも腑に落ちなかったわけだ。

こんなにも誰かが欠けると成立しないし、そもそも今の時点で「似たようなバンド」が存在しない(できなくてもできない)、UNISON SQUARE GARDENというバンドが、解散ではなく、脱退の上での休止で、まだバンドとしては「あえて」ピリオドをうたない選択をしたことが腑に落ちなかったし、今後の活動がどうなるにせよ、仮に「物語の続き」を紡ぐとして、この3人ではないUNISON SQUARE GARDENの「続き」を観るのはちょっと「きつい」と思ってしまっていたタイプの人間だったから。

で。

この日のライブもマジでユニゾンというバンドの超人さを飽きるほどまでに目撃するライブになっていた。この3人だからこその激しくて、切なくて、でもどれだけ心情はセンチメンタルになっていても、ひとたびワクワクするビートが狂いだせば、我々は「ゴリラ」にならざるをえないほどの、強烈な3人のアンサンブル。

言葉を使わずして一切煽らないのに、言葉以上に雄弁なバンドサウンドだが、どんな「かかってこい」よりも、完膚なきまでに興奮に陥れるスキのないサウンド。高速的に繰り出される中毒的な歌とメロディーという土台があって、変幻自在なドラムとベースのリズム隊が麻薬のような快楽を次々に生み出し、そのうえでギターが難解複雑なアプローチで常に見せ場を作り続けて、がっちゃんこ。マジで演奏レベルが高いバンドだからこそ作り出せる興奮を、MCもなく、楽器のチェンジもなく、ほぼほぼ余計な間もなく、ノンストップで作り上げるからこその高揚感が、このライブでも切れ味鋭く炸裂していたわけだ。

そのうえであえてライブの多方面から感想を書くなら、斎藤宏介のボーカルはちょっと調子が悪そうな気もした。後半は満身創痍感があったし、シンプルにコンディションというかイヤモニとかそういう機材的なトラブルの中での調整に苦労していた感もあったからだ。逆に言えば、もしあのパフォーマンスが100%じゃないのだとしたら、それはそれでエグすぎるという破壊力が展開されていたことは強調したい。自分は配信ライブで今回のライブを観たけど、マジで、配信ライブ史上、もっとも集中してライブを観たんじゃないかなくらいには、ずっと画面に釘付けだった。(あと、配信ライブのカメラワークが神すぎたことはこの場で、言及しておきたいと思う)

セトリの並びも良かったし、アップテンポとしっとりのバランスも絶妙だった。確かに他にも聴きたい歌なんていっぱいあったけれど、よく考えたら「聴きたい歌ばかり」のバンドだから仕方がない贅沢だし、その中での満足度は高かった。

なんとなく登場した直後はバンドとしての「硬さ」を感じたけれど、ひとたびステージで暴れ出せば、その「硬さ」が溶けていって、UNISON SQUARE GARDENとしての楽しさをステージ全面で表現している印象があった。プロとしての凄みがそこにはあった。

鈴木貴雄にスポットが当たったラスト

そのうえで、自分が今回のライブを観て感じたのは、<このライブをするうえで、鈴木貴雄は(少なくとも今の状況においては)脱退をする必要があったんだな>ということだった。

ちょっと表現がむずいんだけど、これからも休むことなく、UNISON SQUARE GARDENで表現したいことがあったと思われる鈴木貴雄の「表現」が、このライブの中で否応なく詰め込まれていたように感じたからだ。

しかも、「脱退をするという事実」があるからこそのスポットの当たり方の中で、紛うことなき「今の自分がしたい表現」をあのライブで行っていたように思うのだ。特に、最後のドラムソロと最後の身近なMCはその骨頂だったのではないか。

少なくとも、仮に3人のままで活動休止になる場合、こういうライブをするとして、あの「魅せ方」「終わり方」はなかったと思う。

仮に「解散」を選んだとしても、ああいう「魅せ方」「終わり方」はなかったと思う。

脱退と休止。

そういう状況だからこそ、できた表現であり、魅せ方であり、展開のさせ方だったように思うわけだ。

どういう話の経緯の中で、今回のライブの魅せ方になったのかはわからないけれど、少なくとも、あの日のライブは「ライブの最後」という時間に、鈴木貴雄一人が好きなように表現していい時間を渡したライブであるように感じたし、その中で鈴木貴雄がしたい、するべきと考えている表現をした真っ直ぐに行ったライブであったように感じたわけだ。

その表現をみて、何を考えるのかはきっとファンの数だけいるとは思う。

なので、あんまりひとつひとつを語るような野暮な真似はしたくないが、ドラム・ソロの最後、バスドラムを心音に見立てて、だんだんゆっくりになる表現だけでも、色んな考察ができる、凄い表現だなあと感じた。

そんなパフォーマンスをしたあと、鈴木貴雄は最後、こんなMCをしてステージから去っていった。

「どうか俺もまたあなたに、火を渡せていますように。そしてまたいつかどこかで会えたら、あなたに火を渡せる自分であれるよう、それまで自分を燃やし続けます」

ここの「あなた」に一番最初にやってくるのは、きっとこのライブを観た人であり、自分たちを応援してくれているファンを指して向けた言葉なのかなーと思う。その一方で、あのドラムソロをユニゾンの他のメンバーにも観てもらう、という魅せ方にしたうえで、自分が最後までステージに残って述べた言葉であると考えたとき、「火を渡す先」は、もっとそれ以外の部分にも向けたものだったのかなーなんてことを、ぼんやりと考えている自分がいる。

確かにUNISON SQUARE GARDENの「今後」がどうなるのかは今はまったく想像できないし、別に安易にポジティブな想像もネガティブな想像もまだしたくもないし、別にするつもりもないんだけど、ライブを観た今の今においては、

  • 鈴木貴雄は「表現」を追求するために、脱退する必要があった
  • UNISON SQUARE GARDENは「解散」ではなく「活動休止」を選んだ

という現実については、めっちゃ腑に落ちたのだった。

少なくとも、そういう事実を選んだからこそ、あのライブはああいう魅せ方にならなかったし、色んな意味で今のタイミングにおいては、そうする必然性があったような、そんな不思議な何かがライブに宿っていたように思ったからだ。

「センチメンタルピリオド」で終わらなかったライブ

今回のライブ、ライブとして満足した点を言葉にすると、とんでもないことになる。何千・何万文字でも足りなくなって、そんなもん誰が読むねん的な内容になりそうなので、基本は割愛しつつも、ひとつだけ触れたいなーと思うものがあって。

それは、「センチメンタルピリオド」を最後の曲にもってこなかったという今回のセトリだ。

ただ、今回のライブは「センチメンタルピリオド」のあとに、あと3曲用意していた。しかも、斎藤宏介はわざわざ「あと3曲」であることを口にしてから、残りの楽曲をプレイした。

自分のライブを観た感覚として、「センチメンタルピリオド」までは本編であり、この「あと3曲(そして、ドラムソロ)」の部分は、このライブにおけるアンコールのような感じがした。

UNISON SQUARE GARDENは1曲だけアンコールをすることも多いバンドだけど、3曲アンコールをしていた時期もある。Revival Tour “Catcher In The Spy”くらいのときは3曲アンコールしていた気がする。

だから、自分は、あの3曲は実質アンコールだったんじゃないかと思っている。そして、「Catch up, latency」を最後の曲にしたことは、ひとつのメッセージだったとは、やはり感じる。

「Catch up, latency」は『20th BEST MACHINE』のツアーでも締めくくりとしてあった曲だし、「センチメンタルピリオド」と対して語られることもある楽曲だし、けっこう象徴的になるフレーズも多い歌だ。

なので、最後にもってきて納得できる歌ではある一方で、たくさん名曲があるのだから、他の選択もあった中で、なぜ最後にあの曲を選んだのか、という妄想は色々と捗る。

ここについてもこういう考えがあったのでは?という考察は色々頭をよぎるが、少なくとも今書いてしまうのは蛇足になる気がするので、なるべくわかったようなことを書いた、余計な言明は避けたい。

でも、総じて言えることは、「休止」するけど、「解散」はするわけではないというところへの立ち返りなのかなとは思った。

いつ再開するかもわからないし、少なくとも今は再始動するつもりもたぶんないのだと思うし、気分にならなかったらそのままフェードアウトする可能性だって全然ありそうな中での、今の結論が底に集約されている気がしたのだ。

そういう今のムードをちゃんと表現に落とした結果がアレなのだろうし、だからこそ、鈴木貴雄は鈴木貴雄で「やりたいことがまだまだあるからこそ」のドラムソロであり、あのMCであり、「またね」の締めくくりだったように思うわけだ。

なので、めっちゃポジティブになれるわけでもないけど、めっちゃネガティブである必要もないのかなーなんてことをぼんやりと感じたのが、あのライブを観終わったあとの不思議な感覚。

文字通り、この先がどうなるかはわからないけれど、わからないことに頭を巡らせても仕方がないからこそ、今はどっちにも偏らずにいておこうという気分になれたような、そんな不思議な魔法だったという話。

で。

結論として、やっぱりUNISON SQUARE GARDENのライブで得られる高揚感は、UNISON SQUARE GARDENでしか体感できないということを改めて感じた。

つまり、どうあれUNISON SQUARE GARDENの音楽とライブが好きだなーと改めて感じたという、そういう話。