スピッツの「メモリーズ・カスタム」の歌詞について書いてみたい。
作詞:草野 正宗
メモリーズの意味
メモリーズとは「思い出」という意味の言葉である。
なので、この歌は「思い出」について語られるわけだ。
で、この歌は最初「メモリーズ」という名前でリリースされていて、アルバム「隼」に収録されるタイミングで、このアルバムのプロデューサーである石田小吉さんがCメロ追加したのが「メモリーズ・カスタム」なのである。
つまり、「嵐が過ぎて 知ってしまった 追いかけた物の正体 もう一度 忘れてしまおう ちょっと無理しても明日を描いて 幾つも描いて」が追記された歌詞ということになる。
そして、この歌詞がすごく意味に満ちたフレーズになっている。
(メモリーズは)忘れてしまうべきで、ちょっと無理をしても明日を描くべきだ、と言い切ってしまうこのフレーズ。
要は、過去にずっと目を向けても仕方がないから、幾つも可能性がある未来に目を向けようよ、というのがこのフレーズの訳となるわけだ。
タイトルになっている「メモリーズ」そのものを否定しちゃう凄い歌詞なのである。
普通、タイトルの言葉は肯定的に描かれるはずだが、この歌はタイトルの否定が結末となる。
そもそも、この歌は最初から「メモリーズ」=思い出について、肯定的な言葉を述べることはしない。
最初のAメロだけでも、メモリーズのことは、肝心時に役にも立たないし、ヒマつぶしのストーリーだし、幼稚で切ないし、いつもカビ臭いとまで言ってしまう。
要は過去の記憶なんて簡単に改変されるし、明日のための挑戦的な動きを束縛させる=人に恐怖を与えるクソなものになりがちだと言っているわけだ。
記憶なんてカビ臭くなるほどすぐに「古いもの」になってしまうのだから、僕たちは脳みそをカビ臭くならないようにするため、いつも明日に胸を踊らせようよ、というメッセージも込められているように感じる。
再びCメロに話を移すが、ここでは、嵐が過ぎる=気持ちが高ぶって冷静な判断ができていなかった時代が終わり、自分が何を追いかけようとしていたかに気づくわけだ。
それは恋愛を指しているのかもしれないし、夢を追いかけていることを指しているのかもしれない。
それ自体は明確ではないけれども、結論として、過去の思い出が足を引っ張って、挑戦できないでいるなら、そんな過去なんて忘れてしまって、真っ白な気持ちで挑戦するべきだ、というわけである。
この歌は歌詞が意味不明と言われがちだが、個人的にははっきりとしたメッセージを述べているように感じる。
とはいえ、ややこしいと言われている所以はサビの歌詞のせいだと思う。
蝶ってなんやねん……で、蝶やのになんで小銭やねん……となるのだと思う。
なので、ここの部分だけ少し細かくみていきたい。
サビの歌詞について
サビの「あなたのために蝶になって飛んでゆけたなら…」というのは、述語の関係からみて、蝶=この歌の主人公だと考えられる。
ということは、僕自身が蝶になってあなたのもとに飛んでいけたらいいのに、と望んでいることがわかる。
なぜ蝶になりたいと考えるのかと言えば、簡単に会うことができないからだと思われる。
現実は「見えそうなとこでハラハラ」と漂うことも、「右手に小銭ジャラジャラ」させながら軽いノリで会いにいくことも、「気の向くままにフラフラ」と接近することもできないわけだ。
僕とあなたの関係が単なる恋人ならば、こんなことを望む必要はないだろう。
では、あなたって誰なのか?
もし、この歌にCメロのない「メモリーズ」の状態ならまた解釈は変わってくるが、Cメロのある「メモリーズ・カスタム」としてこの歌詞を読んでみると、あなたの捉え方も変わってくる。
Cメロの歌詞は相当にメッセージ性の強いものだと感じたし、かなり草野正宗の言葉感が強く出ているように感じる。
なので、この歌は正宗からリスナーに向けた言葉であり、主人公=マサムネ、あなた=リスナーと捉えてしまってはどうだろうか?と思うのだ。
マサムネが、リスナー一人一人に会いにいくことなんて当然ながらできない。
「見えそうなとこでハラハラ」しながらリスナーのことを監視することも、コンビニに行くようなノリで「右手に小銭ジャラジャラ」させながら会いに行くことも、「気の向くままにフラフラ」とお喋りに行くこともできない。
けれど、会えないからこそ、こうやって歌にメッセージを託し、リスナーに言葉を届けたい。
そういう思いが込められているのではないか?なんて思ったりするのだ。
「醒めない」を経て、まさしくスピッツこそが「メモリーズ」に縛られず、明日を描こうとしている身だからこそ、この歌の意味は更新されているし、「刺さる歌」に変化したのではないかと思ったりする次第。
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