やっぱり、ヤバイTシャツ屋さんってヤバイなーってつくづく実感した。
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何がどうヤバイのか。
今回は「ハッピーウェディング前にソング」を通してそのヤバさを検証していきたい。
マジで中身がない
今の邦ロックシーンをみていくと、コミック系のバンドの躍進が目立つ。
色々な「現象」を面白おかしく切り取って歌にするバンドは多い。
けれど、ほとんどのバンドは、それを単なる「ネタ」に終わらせることなく、ちゃっかりメッセージを込めることが多い。
例えば、キュウソネコカミ。
彼らの楽曲は、ある対象を面白おかしくディスっているようにみえても、実はしっかりとメッセージ性を込めていたりする。
「No more 劣化実写化」は実写映画を単にディスっているような装いを取りつつも、「周りの評価で物事を判断せず、自分の目で確かめて価値判断しろよ」というメッセージが込められている。
「ビビった」も「ファントムバイブレーション」も単なるコミックソングというよりも、社会風刺的な「鋭いフレーズ」が散りばめており、ある種のパンキッシュさが宿っている。
要は、なんだかんだでキュウソの楽曲は「社会派」であり、「人情派」なわけだ。
例えば、岡崎体育。
彼も「ネタ」アーティストとして、時に褒められ、時にディスられたりしながら話題性を作っているわけだが、岡崎の場合、単なるネタ芸人ではないことは、彼のワンマンライブに行ったり、アルバムを聴いたことがある人ならわかると思う。
アルバムにはいわゆる「マジメな歌」「ちゃんとした歌」が多く収録されており、聞き応えのある名曲が収録されているのだ。
本人の談話を聞いている限りでは、ネタ曲はあくまでも「マジメな歌」を聴いてもらうためのきっかけ、つまりトリガー的な役割であり、本質的には「自分の歌を届けたい」という想いの強いシンガソングライター(まあ、口パクのことも多いが)なのである。
当然ながら、マジメな歌だとしっかりメッセージ性を込めている歌も多いし、岡崎体育は作りたい世界観が明確な、ビジョナリータイプのクリエイターなのである。
要は、なんだかんだで岡崎体育は「意識の高い作り手」であり、ネタ曲を作りつつも、メッセージ性の強い楽曲も世に送り出す「やり手のクリエイター」なのである。
つまり、キュウソも岡崎もコミック的な要素はあくまでも「掴み」であり、本質はコミックとは別のところにある。
が。
ヤバTの楽曲から、そういう「かっこいいアーティスト像」を掘り出そうとしても、それを許してくれないヤバさが楽曲から滲み出ている。
どれだけ彼の楽曲を深読みしようとしても、意味らしい意味を探り当てることができないのだ。
「あつまれ!パーティーピーポー」は、いわゆるパリピ系の界隈で人気の楽曲をメロディーに組み込み、その歌でパリピじゃない人も集めて「俺たちパリピ!」とネタにしてみせる意欲作だったし、ある歌では、メロコアバンドのアルバムで3曲目くらいにありそうな歌というフレーズを連呼しながら確かにメロコアバンドのアルバムで3曲目くらいにありそうなリズム・メロの歌を作り、その界隈を揶揄してみせるなど、「皮肉」を効かせた社会派な一面もあった。
が、メジャーデビューをきっかけに、わずかに残っていた「歌詞の意味」や「皮肉る精神」をかなぐり捨てて、「より意味のない歌詞」を志向するようになった。
それがヤバTのヤバさの一つである。
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そして、その一つの頂点が「ヤバみ」である。
当サイトでも「なんだかんだでヤバTだってちゃんとしたメッセージを込めて楽曲をパッケージにしているに違いない」と、半ばヤケクソな気持ちになって、マジメに歌詞を考察してみた。
それがこの記事である。
が、無理だった。
頑張ってみたが、結果として、ヤバTの歌詞は「より意味のないものにしていく」というメタ的なメッセージしか見つけることができなかった。
普通「意味のない歌詞」にこだわろうとしても自ずと意味が宿ってしまう。
奥田民生が「マシマロ」という歌で、「この歌のタイトルはマシマロだが、このマシマロというタイトルには何の意味もない」と歌ってみせても、それがむしろ何らかの<意味>に見えてしまったこともあった。
歌詞の意味を宿さないまま、年を重ねることができたバンドなんて、過去にはポリシックスくらいなものである。
なのに、ヤバTは「意味のない歌詞」というある種の境地をこの若さで達成しようとしているのだ。
新作「ハッピーウェディング前ソング」なんか、その境地である。
最後のサビの歌詞をみてほしい。
入籍してみたらええやん 後のことは責任取らんけど
きっと上手くいくよ 何となくそんな気がしてるんだ
入籍してみたらええやん きっと2年以内に別れるけど・・・
ノリで入籍してみたらええやん ええやん ええやんおめでとう!!!結婚おめでとう!!!
ハッピーウェディング
普通、4分ほどの楽曲のラストのサビの歌詞は何かしら「悟り」を開くものである。
例えば、BUMPの「才悩人応援歌」なら、死にたくなってた人が、それでも生きてみせようという心の変化を描いてみせているし、西野カナの「トリセツ」だって、メロディー部分では散々わがままばっかり言っていたが、サビでは「これからもどうぞよろしくね」と収まりの良い言葉を述べていたりする。
が、「ハッピーウェディング前ソング」は2年後に別れてるかもしれないけど、おめでとう!を結論部分に持ってきているのである。
全然おめでとう、っていう気ないやん。
メッセージ性もクソもないやん。
というわけである。
まあ、何より凄いのはこの歌よりも、カップリング曲の方がもっとメッセージ性がないことだったりするわけだが。
意外と単語レベルはセンスが良い
ヤバTの歌詞は、文章のカタマリとしてみたら「意味がない」で終わってしまうのだが、単語レベルでみると、けっこう筋の良い歌詞を書いている。
今作は執拗に語尾を関西弁にしているわけだが、これには二つの狙いがあるように思う。
もし、この歌が標準語だと「辛辣さ」が全面に出てしまい、ノリで結婚する人全員をディスるような棘の強い歌になってしまう。
けれど、同じ内容でも関西弁にするだけで、暗い雰囲気は払拭され、楽曲全体に陽気なイメージが滲み出るのである。
これをもっとも自覚的に使用しているのがウルフルズである。
また、これはまさしくウルフルズ談なのであるが、関西弁は「母音が強い」という特徴があり、これは英語の発音に近いのである。
つまり、この歌は語尾を関西弁に統一することで、英語で歌詞を歌った時と似たような感覚にしているのだ。
だから、よりメロディーの疾走感が際立っているのである。
つまり、歌詞に意味はないけど、計算はしっかりされているというわけだ。
能ある鷹は爪を隠す、というが、ヤバTもまさしくそれであり、そういうところをドラムのキャラの薄さとこやまのよくわからん茶髪で汚そうとするところが、「ヤバイ」のである。
関連記事:僕たちはヤバTにコミックバンド性や芸人性を期待してはいけないのかもしれない。
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