ヤバイTシャツ屋さんがアルバムになると、いつもTシャツ屋さんのくせにTank-topを推す件

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フルアルバムを聴くことで、アーティストの魅力がより立体的になることってあると思う。

というのも、シングル曲やタイアップ曲の場合は、とにかくたくさんの人に聴いてもらおうことを意識しているから、作品としては”他所行き”になっていることが多い。

良いように言えば、キャッチーかつ間口が広くなっている。

ただ、楽曲全体としては丸くなっていることが多いし、型にハマった歌になってしまっているケースもある。

そう、シングル曲では。

でも、フルアルバムだと、そういう歌以外も収録されている。

シングル曲やタイアップ曲では絶対にやらないアプローチの楽曲も、普通の顔して収録されるのがアルバムの面白さだ。

さらに通常、フルアルバムは十数曲収録されているので、アーティストの色んな形式の楽曲を聴くことができる。

なので、自ずとそのアーティストの魅力が立体的になるのである。

ヤバイTシャツ屋さんの『Tank-top Flower for Friends』もまた、ヤバTの魅力を立体的に感じることができる作品だと思う。

ヤバイTシャツ屋さんの『Tank-top Flower for Friends』の話

ヤバイTシャツ屋さんって、トータルでアルバムを見ると、○○系というカテゴリーでくくりやすい楽曲がいくつか収録されている。

というか、どのアルバムでも共通点のある楽曲が収録されている、という方が正しい言い方かもしれない。

例えば、ヤバイTシャツ屋さんのアルバムの冒頭はいつも、Tank-topのことを歌った楽曲が収録されている。

メジャーファーストフルアルバムでは「We love Tank-top」というタンクトップへの愛をしたためた歌が収録されていたし、その後も「Tank-top in your heart」、「Tank-top Festival 2019」、「Give me the Tank-top」とTank-topシリーズが続き、今作では「Blooming the Tank-top」という歌が収録されている。

単にタンクトップのことを歌っているようにも聴こえるし、Tank-topとは何かの隠語なのではないか・・・と勘ぐりながら歌を聴くこともできる。

ただ、歌詞の意味がどうであれ、とにかく気持ちよく楽曲を聴くことができるのが特徴だ。

ラウド色の強めのサウンドに、Aメロは痛快なツービート。

こやまたくやパートと、しばたありぼぼパートでリズムパートが変わるのもポイントだし、シャウトのパートを小気味よく展開するのも良い。

シャウトが際立っているからこそ、しばたありぼぼメインのサビのキャッチーさが際立っていて、聴きどころの多い歌になっている。

もりもとのリズムアプローチの安定感と引き出しの多さが、楽曲の痛快さと直結しているようにも思う。

当初は、Tシャツ屋さんというバンド名のバンドがTank-topのことを歌う、というある種の”ボケ”がベースにあったが、ここまで連続してTank-topのことを歌にしていると、ネタがむしろネタじゃなくなるというか、逆にそれが安定感になる。

ひいては、今回のTank-top曲はどう攻めるのか、という視点で音楽が聴けて面白くなる。そして、毎回、この冒頭の楽曲がとても痛快なのである。

少し話がそれたが、冒頭のTank-top曲では、いつもヤバイTシャツ屋さんのラウド性を全開になる。

なので、ヤバイTシャツ屋さんのバンドとしてのかっこよさを実感することになるのだ。

コミック的な印象を持つ人がいるのだとしたら、いきなりこのバンドはそれだけじゃないんだぞ、ということを体感することになるのである。

タイプ別の楽曲でいえば、「なんでこれを歌詞にするねんシリーズ」など、他のアルバムと(ある意味)繋がり感じられる楽曲も散見できるのが、特徴。

この曲以外にもアルバムでは、「ダックスフンドにシンパシー」や「職務質問 ~1日に2回も~」ではメロコア的なかっこよさを感じさせてくれて、このバンドのルーツがメロコアやパンクにあることを感じさせてくれることになる。なんなら、こやまたくやはマキシマム ザ ホルモンにも多大な影響を受けているので、ホルモン的な要素を楽曲に落とし込むこともある。

なんにせよ、メロコアやパンク的なバンドに精通している人にも刺さるようなメロディアスさと疾走感を覚えさせてくれる。

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「dabscription」〜「インターネットだいすきマン」の話

ただ、それだけで終わらないのが、ヤバT。

ヤバイTシャツ屋さんって面白いふりをして実はかっこいいんだ・・・だけでは終わらないのだ。

フルアルバムを聴けば、そのことがよくわかる。

アルバムでは、そこに留まらず、さらに突っ込んだ跳ね方をしてくれる。

例えば、「dabscription」。

この歌、2分20秒まではチルっぽい感じのおしゃれな楽曲として聴くことができる。

・・・が、それを過ぎると楽曲の表情が一変する。

そういう面白い展開をする歌なのであ。

何気に歌詞の批評性が高く、メッセージ性も強く、楽曲の世界観が途中で大きく変わることもちゃんと”意味”になっているのが印象的である。

「インターネットだいすきマン」は、マジで急に作っている人、変わった??っていうくらい歌詞もアレンジも歌い方も展開もぶっ飛んでいる一曲である。

単なるコミックソング、というわけでもないし、完全にふざけた歌なのかというと、そういうわけでもない気がしなくもないしで、まさしくアルバムを聴くからこそ堪能できる一曲となっている。

アレンジ的にはアルバムの中で完全に浮いている歌ではあるが、作品の流れからすると、そこまで浮いた歌ではない(と自分では思う)。

しばたありぼぼが作詞作曲を手がけた「もし僕が石油王やったら」も、面白い。

サビが一回しか訪れない面白い展開の楽曲で、キャッチーさもあるけれど、どことなく哀愁が漂う展開になっているのも良い。

まとめに替えて

トータルで言えるのは、アルバムを聴くことで、ヤバイTシャツ屋さんの色んな魅力を体感できるということだ。

かといって、アルバム全体がとっ散らかっているといえば、そんなこともなくて。

「Blooming the Tank-top」から「hurray」に至るまでに、ある種の一貫性も覚えるのだ。

これはヤバTが、きちんと自分のルーツを大切にしながら、各楽曲を構築しているからだと思っている。

いつも、”ベストアルバム”ではなく、”オリジナルアルバム”になっているのが良いなあ、と思うのだ。

で。

あと今作を聴いて自分が一番感じたのは、ヤバイTシャツ屋さんって日本語を日本語のままに、こういうロックのメロディーやサウンドに載せるのが上手いなーということ。

例えば、マキシマム ザ ホルモンもそういう上手さが際立つバンドではあるんだけど、ホルモンの場合って、日本語であったとしても英語っぽい音にして一度落とし込むことで、痛快さを際立たせるケースが多い印象だ。

でも、ヤバTはそういうアプローチとはちょっと違う。

ガチンコで日本語を日本語のままに、海外生まれのサウンドに落とし込み、英詞でそういうビートに載せて歌っているバンド顔負けの心地よさとかっこよさで、日本語ロックを突き抜けるのである。

なので、ヤバイTシャツ屋さんはよく歌詞をネタっぽくしたり、なんでこの歌にこんな歌詞やねん的なボケをするけれど、むしろ自分は楽曲を聴くと、その歌詞の必然性を感じることが多かったりする。

この歌、このリズムだからこそ、この歌詞が映えているよな〜と感じるし、『Tank-top Flower for Friends』で、よりそういう魅力が洗練された印象を受けるのである。

・・・ということを今回のアルバムを聴いて、改めて思った、そんな次第なのである。

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