Omoinotakeの「フェイクショー」の話
Omoinotakeを何年も聴いている身として、思うことがある。
ちょっとOmoinotakeの楽曲、ハズレがなさすぎやん、と。
いやね、どのアーティストだってどの楽曲も本気で作っているわけで、そういう意味で別に”ハズレ”なんてものはないとは思うんだけど、キャリアが長くなると楽曲の種類は多様になるし、初期の頃の濃厚な楽曲に比べると、だんだん薄まる感覚は往々にしてある。
どんなアーティストだってずーっと名曲を作るのは難しいだろうし。
しかも、インプットのスピードに対してアウトプットのスピードの方が早くなるから、どこまでアイデアがなくなったり、刺さりづらい楽曲を生むようになるというケースは一定数あると思うのだ。
そして、そういう楽曲が新曲のシングルリリースで出会ってしまうと、今回は”ハズレ”だったという感覚を持っちゃう。
でも、Omoinotakeの場合、マジでそういう”ハズレ”の感覚がない。
いつも新しくて、いつも自分の感情にクリーンヒットする。
「フェイクショー」を聴いて、改めてそう感じる自分がいたのだった。
じゃあ「フェイクショー」はどこがハマったのか?
この記事ではそんなOmoinotakeの「フェイクショー」の感想を書いてみたい。
ギターレスバンドが生み出す自由な音世界
一般的にバンドの場合、メンバー構成にギターがいることが多い。
だから、良くも悪くもどの楽曲でもギターの音色が楽曲のカラーを決めるケースが多い。
しかし、Omoinotakeの場合、違う。
ギターレスなバンドだからサウンドの世界観をつくるうえで、ギターの束縛から自由になっている。
かつ、鍵盤がいるバンド・サウンドだからこそ軸にしながら、他のサウンドと自由に接続していく面白さがある。
「フェイクショー」もまた、そういう面白さが宿った作品である。
冒頭、エフェクトのかかったボーカルと華やかなサウンドが融合する場面。
綺羅びやかでカラフルなポップソングを予感させる華やかな世界を生み出していく。
そして、華やかに楽曲が始まったかと思うと、Aメロのタイミングでさーっと音が抜けていき、鍵盤の伴奏と藤井怜央のボーカルで淡々とメロディーを紡いでいく。
この10秒にも満たない時間の中で、あまりにも鮮やかに楽曲が展開していく。
今作は作曲とアレンジに蔦谷好位置が参加していることもあって、歌をゴージャスにする塩梅が絶妙で、「フェイクショー」の楽曲を立体的なものにしている。
この流れが秀逸かつ痛快で気持ち良い。
メロディーラインの上質さ
「フェイクショー」のメロディーラインは、日本のJ-POPの伝統を踏まえながら、耳心地の良い楽曲になっている印象。特にサビのメロディーは、一度聴いただけで口ずさめるキャッチーさを持ちながら、何度聴いても飽きない深みがある。
このメロディーの上質さは、単純な音の並びではなく、和音進行との絶妙な関係性から生まれている感。音の運びとメロディーの流れ、さらにはボーカルの温度感との融合によって、歌が持つ世界観が絶対的なものになる。
そこからサビへの盛り上げ方も素晴らしい・・・!
んだけど、さらに注目したいのは、1番のサビが終わって2番に入るときのサウンドの流れ。
1番の空気感をきちんと踏襲したうえで、1番の繰り返しにならないように、サウンドを構成する音色やフレーズが細かく変化していることがわかる。
これにより、ポップながらも意表をつく展開になっており、新しいドキドキを継続させながら、「フェイクショー」の音楽を楽しむことができる。
冨田洋之進と福島智朗が支える強固なリズムセクション
冨田洋之進のドラムは、単なるリズムキープを超えた存在感を示す。
特に注目すべきは、Aメロでの控えめながらも存在感のあるビートメイク。
ここでは、キックとスネアの配置が絶妙で、藤井のボーカルを支えながらも、次の展開への期待感を煽っている。
この楽曲に必要なビートを必要な存在感で組み立てているからこそ、歌がより際立つ印象を受けるのだ。
福島智朗のベースと密接に組入り、蔦谷好位置とのアレンジとも良い感じで手を繋いで音を紡ぐからこそ、「フェイクショー」のワクワクが際立つ。
歌詞に込められたメッセージ
福島智朗の作詞・ベースワークも見逃せない。
彼の歌詞は、単なる歌詞としてではなく、メロディーと完全に一体化している。
次から次へ 幕開ける フェイクショー」
この歌詞から、歌が始まるのも良い。
冒頭のワンフレーズで楽曲のテーマをばちっと凝縮して、以降、このフレーズにそって歌のテーマが展開している印象を受ける。
現代社会を見据えるようなフレーズにも見えるし、もっと個人的な感情を凝縮した言葉としても捉えることができるし。
タイアップ先の作品を踏まえながらのテーマ性ではあるんだけど、単にタイアップ先に寄り添うのではなく、テーマを拡張しながら、Omoinotakeの歌だからこそのテーマとしても機能させる流れが秀逸だ。
藤井怜央の圧倒的なボーカル表現
藤井怜央のボーカルは、単にハイトーンが出るというレベルを超えて、楽曲の感情的な起伏を完璧に表現している。特に「フェイクショー」では、静かに語りかけるような低音域から、感情が爆発するサビの高音域まで、シームレスに移行していく技術が光る。
彼の声には、透明感と力強さが共存している。
キャッチーながらも、奥深く歌が響くのは、藤井怜央のボーカルとしての表現力があるからこそ。
メロディーの流れや、ボーカルが作り出す起伏にふれるたびに、そんなことを強く思う自分がいる。
まとめに替えて
なーーんてことをぱらぱら書いてみた自分。
ちょっとパソコンのトラブルで、他にも色々書いていたんだけど、なんか消えちゃったので、残り香を集めるように文章を構成したというアレ。
いずれにしても、またしてもOmoinotakeに引き込まれている自分がいる。
「フェイクショー」という楽曲では、自由自在なアレンジと上質なメロディーライン、歌を際立たせるビートメイク、練り込まれた福島智朗の歌詞、そして藤井怜央の洗練されたボーカルという5つの要素が完璧に調和している。
そこに蔦谷好位置のクリエイティブが混じり合うからこそ、ポップながらも深みのある味わいを音楽の中で感じることができる。
そんなことを感じながら、そんなことを思う、そんな夜。