Omoinotakeの「幾億光年」が、ついに何かを突出させた件
[ad]
好きなアーティストの音楽って、どれだけ新曲をリリースしたとしても、新曲がどれだけ新しいアプローチをしたとしても、的確に自分のツボに刺さる興奮を覚えがちだ。
好きなアーティスト=そもそもボーカルのトーンが好きだから、どの歌を聴いても刺さるのかもしれない。
あるいは、そのアーティストの作る音楽のクセ=自分が好きなポイントだから、どの歌を聴いても刺さるのかもしれない。
よっぽどのテイストの楽曲でない限り、どの歌も良いと思うからこそ、好きなアーティストになっていくのだとも言えるが、あなたにはそんなアーティストはいるだろうか?
自分もいくつかそんなアーティストがいるけど、Omoinotakeもまた、そんなアーティストの一組であるように感じるのだ。
「心音」「トニカ」「モラトリアム」「Blanco」「幸せ」・・・。
好きな歌や自分的に思い出深いを挙げたら枚挙にいとまがない。
ただ、今年、そんな好きな楽曲の中に、さらなる煌びやかな彩を与える楽曲が登場することになる。
それが、「幾億光年」だ。
火曜ドラマ『Eye Love You』の主題歌になった本作は、これまでのOmoinotakeの楽曲以上の話題を集めている。
軒並み、サブスク内にあるOmoinotakeのトップソングをのぞくと、「幾億光年」がトップになっていることからも、そのことが伺える。
これまでいくかタイアップソングを手がけてきた。
ヒットソングだって、いくつも生み出してきた。
そんな中で、新曲がきちんとトップになる凄さ。(これは、他の同じくらいのキャリアのアーティストをみても、そこまでないことである)。
ついに何かを突出させた、と言えるこの状況を踏まえて、この記事ではそんな「幾億光年」の話をしてみたい。
「幾億光年」の話
この楽曲はイントロがなく、歌から楽曲が始まる。
そして、ここにOmoinotakeの真骨頂が早速漂う。
Omoinotakeが凄いのは、ボーカル始まりでがっと心を掴んでくるところだからだ。
これまでのOmoinotakeの歌でも、同様のアプローチを行う楽曲はいくつかあったが、どの歌でも、Omoinotakeはここでばっちり歌の世界観を作り上げるのだ。
穏やかものを歌のテーマにしている、ゆったりとしたトーンの歌であれば、それに相応しいささやかくようなボーカルでメロディーを紡ぐ。
激動的な要素を歌のメッセージにしている、アッパーなチューンであれば、のっけから勢いのあるハイトーンボイスを展開して、楽曲が持つビート感を痛烈にしていく。
そう。
短いセンテンスとメロディーと冒頭のボーカルのトーン。
これだけで、確実かつ的確に歌の世界を作るため、Omoinotakeの歌ってどこまでも惹かれることになるのだ。
ちなみに、「幾億光年」は切なさと暖かさを滲ませた絶妙な温度感の歌だと自分は思っているんだけど、冒頭のボーカルによって、その絶妙さが見事に歌声の中に落とし込まれていることに気づく。
ファルセットを効果的に使っていたり。
高低差のあるメロディーで「強さ」を感じさせる部分もある。
のだが、そういう動きの多いメロディーの動きに対して、ボーカルは過剰な力みは見せない印象で、絶妙な力配分を感じることになる。
もし仮にここで、あまりにも高音でどかーんといっているとしたら、きっと楽曲の持つ繊細さのバランスが崩れると思うんだけど、冒頭の歌声は絶妙な押し引きを展開している。
五線譜的な話をすれば、「幾億光年」って、かなりキーが高い歌だと思う。
で、キーが高い歌になると、ボーカルの音程も高いが故に、耳がきーんとするケースもある。
でも、「幾億光年」ってそういうことがなくて。
高音のパートを耳にしても、穏やかな何かが耳に残るような優しさがあるのだ。
歌詞に書かれたものを読んだときに感じる感動と似たようなものを、ボーカルの響きからも感じるというか。
歌詞のトーンとボーカルのトーン、あるいはアレンジのトーンがリンクしているというか。
だからこそ、「幾億光年」という歌が持つ世界観がしっかり構築されていくように思う自分。
[ad]
メロディーとアレンジの美しさ
「幾億光年」は一度耳にすると、頭に残るメロディーラインだ。
それだけメロディーが洗練されているということ。
かといって、既視感のある歌という感じもないし、何かの焼き直しという雰囲気もない。
音楽シーンになかったところに足跡がついた歌でありながら、でも確かにメロディーは頭に残る・・・そんな不思議な歌なのだ。
これって簡単に聞こえることだけど、凄いことだと思うし、ソングライティング的な素晴らしさが際立つからこそ、Omoinotakeの歌って、耳にすると残るんだろうなあと思う次第。
さらに、このメロディーに、この歌詞ありと言わんばかりの、フレーズ群があるのもOmoinotakeの素晴らしさ。
メロディー優位すぎて、メロディーに当てはめ込むように歌詞を書くバンドもいる。
あるいは、言葉が強すぎてメロディーの印象が残らない歌を書くバンドもいる。
でも、Omoinotakeって、どちらでもない。
言葉も強いし、メロディーも頭に残る。
この辺りは、分業で楽曲制作を行なっているOmoinotakeだからこその聴き心地なのかもしれないと思う。
ちなみに歌詞の話をすると、自分はサビの「デイバイデイ」はカタカナ表記なのに、I love youは英語表記にして楽曲を締めくくる言葉の嗅覚が好きだったりするし、そこにメロディーのはめ方と歌いこなし方含めて、好きな部分だったりする。
歌詞・メロディー・ボーカル・アレンジが四位一体となって、鮮やかなアンサンブルを生み出していく。
そうそう。
「幾億光年」は、メロディーに寄り添うようなアレンジ力も、絶大なのだ。
「幾億光年」って全体的に煌びやかな雰囲気が漂っていて、何かの音が必要以上に強くなる・・・ということがない印象。
全体のバランスをみて、そのパートに相応しい音が音符を紡ぐ心地を覚える。
どのパートでも、丁寧かつ的確なアレンジをすることで、「幾億光年」の光がより明確に解き放つことになっている。
この辺のアプローチも素晴らしいからこそ、ぐっと耳に残るように思うし、何かを突出させたような心地を覚えるのかもしれない、と思う。
まとめに代えて
なんだか話としてとっちらかったが、Omoinotakeの「幾億光年」が良いということを伝えたかったという、そういう話。
なお、カップリング曲となる「アクトレス」も、「幾億光年」に負けず劣らずに良い歌だったりする。
この辺りにも、Omoinotakeの名曲量産具合を如実に表している次第。
なにとり、「幾億光年」は末長く色んな人に聴かれてほしいし、このまま2024年を代表する楽曲になってほしいなーと思う。いや、もうなっているか。
関連記事:2020年、大きく存在感を放つOmoinotakeについて
関連記事:Omoinotakeの「幸せ」で感じたゾクゾクの考察
[ad]