前説
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今年、成人式を迎えた人たちは1999年4月〜2000年3月(4月)生まれの人たちらしい。
その年に名を馳せていたバンドってなんだったのかをせっかくなので振り返ってみたい。
本編
GLAY
この時代は特にカリスマ的人気を放っていたGLAY.
ライブ動員数も、CDセールスもモンスター的な数字を叩き出し、圧倒的な存在感を放っていた。
この1999年も凄まじくて、「Winter,again」をはじめ、4曲をCDセールスの年間チャート50位に以内に4曲ランクインさせているという偉業。
「Winter,again」は160万枚を超えるセールスをリリースしている。
この歌が良いのは、単に雪が降るのがきれいとか、冬が寒くて本当によかったとロマンチックに冬を語るのではなく、雪に人生の無情を重ねるような厳しさのあるところなのである。
きっとこれらはGLAYが北海道出身のバンドだからであり、“冬”や“雪”の厳しさを身にしみて知っているからこその歌なんだろうなーと思うのだ。
L’Arc~en~Ciel
ラルクも本当にすごかった。
「Driver’s High」はアルバムからのリカットだけど、ものすごく売れたし、それ以外にも「HEAVEN’S DRIVE」や「Pieces」をリリースしているし、なにより「ark」「ray」という2枚のアルバムをリリースしているところに、この時代の勢いが現れている。
その立ち位置から、ラルクとGLAYはある種並べられて語ることも多かったが、GLAYは王道的な大衆路線を進めているのだとしたら、ラルクはテレビに出るスターのようなバンドでありながら、けっこうコアでキレキレなこともやっていたように思うのだ。
メンバー全員が曲を作り、かつそれぞれが得意とする曲の世界観が違うということもそのひとつだし、この年にリリースされた曲を聴いてみても、そのことを強く感じる。
ってか、あれからもう20年が経っているというのに、メンバー全員がまだキレキレなのはどういうことなんだ、と思ってしまう。
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Dragon Ash
Dragon Ashもすごかった。
なぜロッキンをはじめとするフェスでDragon Ashがある種レジェンド的な扱いをされているのかといえば、フェスが勃興しはじめた90年代後半、Dragon Ashの影響力ってとんでもないものだったから、ということが挙げられる。
そして、それはセールス的な話だけではなく、日本で鳴らされるロックのジャンルを拡張したという意味でも、彼らの存在はとてつもなく大きいのだ。
今でこそミクスチャーロックという言葉や、ロックなサウンドでラップをして歌うという魅せ方は珍しいものではなかったけれど、当時の音楽シーンからしたら決して普遍的なものではなかった。
ポップに対するロック、とまでは言うつもりはないけれど、海外の音楽を意欲的に取り入れ、それを自分たちの感性で落とし込んでいくDragon Ashの音楽は、眩しいくらいにかっこよかったのだ。
Mr.Children
99年にリリースされたオリジナルシングルは「光の射す方へ」のみであり、前作「終わりなき旅」と比べるとリリースにおける数字は落ちている。
97年に活動を休止を発表し、98年10月に再び活動の再開をアナウンスしたということもあってか、セールス的なピークは終わりを迎えていたんだけど、それでも年間のシングルチャートを見れば、当たり前のようにミスチルの名前があるのだから、本当にこのバンドの存在の大きさを実感する。
まあ、ロックテイストの強いミスチルのシングル曲はあまり売れない(あくまでもバラードと比べて)ということもあり、そこが理由だとは思うけれど、今から振り返ってミスチルの楽曲を聴くと、この時期の刺々しい感じのミスチルの楽曲が好きである。
まとめ
というわけで、まとめになるわけだけど、4組とも今でも現役だし、フェスとかに出ればパワーバランスを壊すようなバンド(出られていない方もいるので、想像でしかないが、たぶん壊すことだろう)ばかりなことがすごい。
99年の音楽シーンがいかにすごいものであったのかが実感できる。
ここには名前を挙げなかったB’zもしっかりランクインしていたし、99年の年間チャートに名前をあがっている人のほとんどが今でも存在感を示している。
メガヒットを量産されがちだった音楽シーンだけど、それだけ良い歌がたくさんあったということの現れでもあるわけだ。
曲を聞き直していると、そういうことを実感させられる。
Something ELseとか19とか、今年の新成人はわからいかもしれないけれど、彼らの歌もめっちゃ良いもんな〜。
特にオチはないけれど、今回はこの辺で。
ではではでは。
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