“終わり”がきても後悔しないためにファンができること

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人によって感覚は分かれると思うけど、自分は「推しは推せる時に推せ」という言葉を乱用するのは、あまり好きではないし、アーティストを「好きで聴くから」ではなく、「応援」という言葉を用いてお金を払うように誘導する流れも、あまり好きではない。

どんなものだって価値があって、どんなものにだって対価が存在している。

ライブで言えば、ギャラや経費や販売状況などを加味して、3000円なり10000円なり、値段が設定されるわけで、「原価」を考えたらその価格が安いのかとか高いのかとか、完売しても実は赤字であるとか、グッズを買うことで初めて黒字になるとか、”裏側”の人だとわかる事情というのはあると思うけど、3000円払ってライブを観たい、と思えばそのチケットを払うべきだし、グッズだってまた然りだと思うわけだ。

それが欲しいなら、設定されている金額のお金を払うべきだし、色んな事情で「これは買えない・買わない」の判断をするんだったら、それで別にいいと思うのだ。

こと、好きなアーティストにおける触れ合い方、というのも基本はそれでいいと思っている。

そりゃあお金が無限にあれば、好きなだけお金を使ったらいいと思う。

無限に時間があるのであれば、そのアーティストに無限に時間を捧げばいいと思う。

でも、どんな人だって必ずしも潤沢とは言えない財政の中で、取捨選択をしながら「あれは欲しいけど、あれは我慢をする」を決めているわけだし、時間のやりくりだって同じだと思う。

そして、その選択をする軸としては、アーティストを応援するみたいな、アーティスト軸の考えではなくて、自分がどう思うか、自分がどうしたいか、を軸にしていいと思うのだ。

少なくとも、好きな音楽に対する接し方なのであれば。

ファンによっては「○○にお金を払わないなんてファンじゃない」なんて声もある。

そりゃあ明らかに違法な部分で視聴していたり、違法な形でばかりライブに触れていたら苦言を呈する部分もあると思うけれど、そうじゃないのであれば、あくまで自分を軸にして選択した結果「これにはお金は払うけど、これにはお金を払わない」「これには時間を使うけど、これには時間を使わない」を決めたのであれば、それでいいじゃん、それが一番いいじゃん、と思うのである。

もちろん、どんなアーティストだって、”プロ”として活動している場合は、お金がまわらなくなると活動の継続が困難には、なる。

だから、ベットするべきところはベットした方がいいし、それが継続的な活動に繋がる、という事実はある。

でも、ファンという立場なのだとしたら、そういう部分は過剰に考える必要はなくて、あくまでも自分軸で考えたらいいのではないかと思うのだ。

ただ、そう考えたとき、本来であればアーティストに入る”利益”であったはずなのに、横から関係の第三者が奪ってしまう構造になっている高額転売に関しては、問題があるとは思っていたりするが、まあ、それはこの記事の言いたいことと少しずれるので、置いておこう。

要は、「推しは推せる時に推せ」は健全な形で回すべきだよな、という話である。

これは、どんな事象に出会ったとしても、もう二度と「その音楽に触れることができない」という経験をしたとしても、思うことである。

その一方で、それ以上に大事だと思うのは、そこにお金を費やすると決めたとき、そこに時間を費やすると決めたとき、それに対峙するときの”本気”さである。

仮に好きなアーティストのライブに、一回しかライブに行けないのだとしたら。

そのアーティストのライブを、悔いなく一回楽しむ、ということがとても大切だと思うのだ。

むしろ、行けるライブが一回だろうが、10回だろうが、そのひとつひとつが満足度100%になるくらいに楽しむ、ってことが大切だと思うから。

どうせ、どんなことだって”終わり”が来たら悔いが残る。

ならば、大切なのは、終わりを迎えた際にその”悔い”が少しでも減らせるように、ひとつひとつをしっかりと、自分が納得のできる形で、楽しむことだと思うから。

もし、”推し活”において、大切なことがあるのだとしたら、そういうことなのではないかと、ふと思った、そんな日曜日。

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