バンドは生き物である。
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当然ながら、バンドのキャリアが長くなれば、バンドのあり方や方向性はどんどん変わっていく。
例えば、アルバムの色もそうだ。
リリースする作品のタイプは少しずつ変わっていくし、より広いところに届けよう、次の世代にも自分たちの音楽を届けようという意識が強いバンドは、わりと極端に音楽性を変えていくことが多い。
そうじゃなくても、前回と同じような作品しか生み出さないバンドの方が少数だろうし。
つまり、どういう形であれ、バンドは変わってしまうものなのだ。
で、バンドが変わっていくと、昔からのファンの一定数は、こういうことを言ってしまう。
あの頃が良かったなーと。
自分が好きだった頃のバンドのイメージを引きずり続け、そのバンドの今を否定する人間が出てくる。
過激派懐古厨の誕生だ。
もちろん、誰しもそのバンドの思い出のピークとなるタームはあるだろうし、そのバンドの変わり方が嫌いということもあるとは思う。
それは仕方のないことだ。
別にそのバンドの全てを受け入れる必要なんてないし、この変わり方は微妙なのでは?という意見を表明してもいいと思う。
けれど、それが過激化すると、なんだかなーとは思う。
バンドは生き物である。
自分の思い通りに動くものでもなければ、自分のニーズを埋めるためだけに、バンドが存在しているわけではない。
よりたくさんの人に音楽を届けたいという使命でバンドをやっているのか、単純に表現したいものを追求していった結果、変わってしまうのかはケースバイケースだと思うが、バンドの存在が不変ではないことだけは確かである。
傍目から見たら「あいつらは売れてしまったから変わったのだ」「大人側に行ってしまったらビジネス的になってしまったのだ」そんな風に見えてしまうこともあるのかもしれない。
けれど、バンドの変化そのものを否定する言葉が過剰なまでに踊り回ってしまうとしたら、それはちょっと微妙だなーと思う。
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人は何に懐古するのか?
ところで、なぜ人は懐古厨になるのか?
そこを考えてみたい。
まず、売れたら変わってしまいがちな要素って大きく分けて四つだと思う。
ライブをするキャパ
衣装のおしゃれ具合
音楽性
ファン層
ざっと考えたらこんな感じかなーと思う。
一つ一つ、考えてみたい。
ライブをするキャパ
当然ながら、売れるとライブをするキャパは大きくなりがちだ。
バンドのスタンスとして、大きいところでどんどんやりたいと考えていたり、ライブを観たいと思うお客さん全員にライブを楽しんでもらえるようにしたいと考える場合、人気になれば、自ずとライブをする会場は大きくなる。
小さなライブハウスでやってる頃から応援している人ほど、そのバンドがどのキャパでライブをするか?ということは拘りがちで、大きなところでライブをしだすと「遠くに行ってしまった」という気持ちになって、冷めてしまう人も多い。
この辺のキャパの話に関しては、どうしようもない部分もある。
あまり大きなところではライブをしない、というスタンスの売れているバンドもいくつかいるが、これも結局のところ、チケットが取れなくなるとか、そういう不満が出てくる事態になりやすい。
自分にとって最適なキャパでライブが行える人気を継続し続ける、という状態が続くことが一番嬉しい話なのかもしれないが、さすがにそれは現実的に難しいなーと思う。
衣装のおしゃれ具合
バンドが売れると、やたらおしゃれになりがちだ。
昔は青臭さをウリにしていたバンドも小綺麗になることが多く、これはワンオクであれウーバーであれクロフェであれ、どんなバンドでも起こることだと思う。
で、昔の親しみやすい感じが好きだったのにとか、ロック然としていた態度が好きだったのにとか、そういうビジュアルありきであの頃が良かったのに、ということはあるのかなーと思う。
まあ、ビジュアルそのものが変わることに対する文句というよりは、ビジュアルが変わったことにより、ファン層が変わってしまうことに対して「懐古」する人の方が多いのかなーという気はするが。
音楽性
こちらに関しては冒頭で記述したこととも繋がる。
なんにせよ、音楽性というのは変わってしまうものだ。
が、今いるバンドの多くは「既にファンでいる人たち」を意識したうえで、次にどうしていくか?を考えがちな気はする。
それこそ、フォーリミの新譜はそういう意識で作られた作品のように感じたし、ユニゾンのアルバムなんかも前の作品と比較した上で今回はどういう立ち位置にするか、という計算して作った印象を受けるし。
もちろん、いまやれることをただひたすらにこなしていたら、知らず知らずのうちに大きく変化していたというパターンもあるだろう。
あるいは、タイアップありきで音楽をやらざるを得なくなった結果、大きく変わってしまったとか、メジャーデビューしたレコード会社の方針により、大きく変わったというパターンもあるだろうし、音楽性に対する「懐古」でも色んなパターンがあるとは思う。
ロックバンドでありがちな懐古パターンは、昔は荒削りなバンドサウンドだったのに、あるタイミングから、ストリングスを入れたり、やたらポップ寄りになったり、EDM化するようになったみたいな批判。
こういう変化をすると、昔の方が良かったのにと文句を言われることが多い印象を受ける。
ファン層
同じ懐古でも、一番何とも言えない気持ちになるのがファン層が変わってしまったことにより「懐古」してしまうパターンだ。
音楽は好きだし、そのバンドは好きなのに、ファン層が嫌いで、そのバンドから離れてしまうということはある。
これって本当に難しい話だなーと思う。
ファン層こそ、どうしようもない話だからだ。
ただ、総じて言えるのは、そのバンドのことを「懐古」したところで昔に戻れるわけではないし、それに対して声を上げて、不平不満を述べたとしても、あまり意味はないということ。
バンドって生き物なわけで、お客さんもまた生き物なわけで、変わったものは戻らないし、逆にいえば、時間が経てば、また別の形に変わっていくことも大いにある。
だから、今のファン層はなんか微妙だなーと思ったら一旦距離をあけるしかないと思うのだ。
とりあえず距離をあけて、またそのバンドが好き!って思えるタイミングがくるまでは、最適な距離でいたらいいのではないか?と思うのだ。
離れてみることで、やっぱりそのバンド好き!って気持ちになるかもしれないし、そのバンドに触れていくにはこの距離感が最適かも!みたいなものが見つかれば、それが一番精神的に幸せなことだと思うし。
懐古すること自体は悪いことではないが、そこから不必要にネガティブな感情が生まれてしまっては、本末転倒のように感じる。
バンドにとっても、あまり嬉しい話ではないし。
好きなバンドだからこそ色々言いたくなる気持ちはわかるが、バンドは生き物なのだから、またどこかのタイミングで、自分の好き!って感情と、そのバンドのあり方がガッチリとハマるタイミングはいつか訪れるはずだ。
だから、むむむむ!って思うときはあえて無理に追いかけないようにして、一旦少し距離をあけて様子をみる方が良いのではないか?
それが過激化懐古厨における、一番最適なあり方なのではないか?
それはどのパターンの懐古厨にも言えることなのではないか?
そんなことを思ったり思わなかったりする次第なのである。
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