スピッツの「正夢」について書いてみたい。
今回は1番、2番、大サビと分けて、歌詞について色々と深読みしながら考えてみたい。
作詞:草野正宗
作曲:草野正宗
1番の歌詞の考察
タイトルの「正夢」って、簡単に言えば“夢で見たこととと同じようなことが現実に起こったときの夢”って意味の言葉。
この歌は夢で起きたことが現実に起こることを期待して1日を過ごす人間が主人公となっている。
だから、冒頭から「ハネた髪のまま飛び出す」主人公を描写する。
なんで髪の毛がハネているのか⇒髪の毛をセットする時間がなかったから⇒なんでセットする時間がなかったのか⇒寝坊したから⇒なんで寝坊したのか⇒良い夢を見ていたから。
そういう繋がりを示すわけだ。
ご丁寧にも「今朝」の夢の残りを抱くという表現までしてくれている。
そして「冷たい風をどんどん受けて」というフレーズから、おそらくは自転車を漕ぎながら商店街を駆け抜けていることもわかる。
冷たい風をどんどん受けるということは、下り坂を疾走しているようなイメージかもしれない。
「届くはずない」のは君のことなんだけど、「予想外の時を探す」のもまた君のことで、夢で見ていたのも君とのことだとわかる。
君に会いたくて会いたくて仕方がない主人公。
うわわわわ。なんて甘酸っぱいんだ、これ。
で、サビではもっと具体的に、そんな夢の内容に踏み込むわけである。
サビを見ていくと、夢では君と会えたこと、何かを話したこと、話したことで君が笑ってくれたこと、それにより浅いプールでじゃれ合うような小さな幸せを感じたことが説明される。
けれど、逆に言えば、今は会うこともできなければ話すこともできないし、笑いあうこともなければ幸せを感じることもできない現実を示すわけだ。
それくらい「遠い距離にいる君のこと」を想い続けてしまう主人公は、自分のことを「ずっとまともじゃないよなあ」と自分で結論付けてしまうわけである。
甘酸っぱいけれど、なんだか切ない話。
ところで、なぜ主人公は君とこんなにも「遠い距離の関係性」になってしまったのだろうか?
元々知り合いだったのか、別にそうじゃなかったのか、あるいは死別してしまったのか。
それで話は変わってくる。続きをみていこう。
2番の歌詞の考察
「八つ当たりで傷つけあって巻き戻しの方法もなくて」
このフレーズがすごく象徴的で、これが現実に起こったこととして差し挟むフレーズなのだとしたら、僕と君はケンカ別れしたから「もう会えない関係」になったことが想像される(草野歌詞において、2番のAメロはもっとも現実を描写することが多いので、これは妄想ではなく、リアルに起こったことと捉える方が正当な読み方なのである)
でも、主人公はそのことを後悔している。
「デタラメでいいからダイヤルまわして」というのはケータイ世代の人には分かりづらいだろうが、番号はわからないけれどマグレでも何でもいいからテキトーに番号をかけてもう一度君と電話して話したい、というニュアンスのフレーズである。
そう、昔の電話はダイヤル式で番号を入れていくものだったっていうね。
つまり、ケンカ別れしてからは連絡を取る手段がなくなった。だから、会うこともできないし、話すこともできないらそういうわけなのだと想像される。
けれど、主人公は後悔しているし、もう一度話したい。
そんな想いが強いから夢にでも出てきちゃったわけで。
そんな想いが口惜しく、切なくなる。
ところで、「似たような道をはみ出す」ってフレーズはどういう意味だろうか?
似てる道ってどういう意味で、そこからはみ出すってもっとどういう意味?って感じてしまう。
ここはわかんないので、このフレーズは一旦置いて、先にサビをみていこう。
「正夢」にしたい夢は、君に会うこと。
そして、心に引っかかっているのはケンカ別れをしてしまったことである。
あの時なんであんなこと言っちゃったのかといえば、それにはこんな裏側があってさ、でも、実は本音の部分ではこう思っていてさ・・・みたいなことをすべて打ち明けたいなあ、って主人公は言っているのである。
君に会える可能性なんて限りなくゼロに近くて、それでも夢の中では君がいて、それがいつか正夢になることを信じられるのは僕が君に対して「愛」をずっと抱いているからであり、その愛があれば必ず最後に勝つ=会うことができると信じれるから、生きていけると言うのである。
だから、Aメロでは下っていった商店街の坂道と対比するかのように、ここでは「キラキラの方に登っていく」と言い切るのである。
ちなみ「愛は必ず勝つ」は、KANの「愛は勝つ」からの引用であり、これはシングルCDにもスペシャルサンクスとしてクレジットされていたりする。
この歌、亀田アレンジのストリングスが妙に壮大にしているから見えづらいけれど、かなり切ないこと歌っていますよ、これ。
最後のサビの解釈〜まとめ
2番では裏側まで打ち明けたいなんて息巻いていた主人公。
ケンカしたことの言い訳をしたいなんてあれほど豪語していたのに、やっぱり会えるんなら笑ってくれたらそれでいいって思っちゃう主人公像が最後に浮き彫りになる。
なんだか微笑ましいなあと思うとともに、やっぱり切なくも感じるフレーズ。
たぶん先ほど解釈をスルーした「似たような道をはみ出す」っていうのは、別れた後に復縁をする、ってことを指していると思うのだ。
普通は、別れたらそこから幸せを目指してキラキラの方へ向かっていく、なんてあまり考えない。
だから、別れたら別々の道に進む=似たような道、となる。
けれど、それをはみ出そう=復縁しよう、というわけである。
それが主人公の今の気持ち。
ただ、ここで一旦考えたいのは、浅いプールでじゃれ合うような幸せって何だろうかってこと。
おそらくこれは、浅いプールでじゃれる=溺れる心配がない=安心、ということだと思うのだ。
刺激はないけれど、穏やかな日々が続く、そんな幸せ。
もっと言えば、当時はそれを幸せと思えなくて退屈だと思っちゃったからケンカをして、壊してしまったのかもしれない。
それを退屈と思って壊してしまったことも、なくしてからそれを欲しがってしまうことも、それを繋ぎ合わせたいと思ってしまうことも、全部含めて「ずっとまともじゃないとわかっている」と自分のことを結論づけているのかもしれない。
そもそも、ハネた髪のまま飛び出したのは、夢に君が出てきたからであり、夢の記憶が冷めないうちに急いで街を飛び出したら君にまた出会えるかもしれないと心のどこかで期待したから、身支度もしないで自転車に乗って商店街なんかを突っ切ってきたのではないかと思うのだ。
けれど、君はいなかった。
坂道の向こうに見えたのはキラキラの太陽だけ。
あのキラキラの太陽を希望のアイコンとして今は据えて、あそこを目指して自転車を漕げば、少しは輝く未来が見えるかな、なんて思いながら自転車を漕ぐのである。
けれど、本当はわかっているのかもしれない。
君に会う未来は、二度とこないことを。
そんなありもしない希望を抱いていることも含めて「ずっとまともじゃないとわかっている」と言ってしまっているのかもしれない。
キラキラなんて本当はないし、愛は必ず最後には勝つことがないことも知っている。
けれど、君のことがまだ好きな主人公はやっぱり「まとも」にはいられず、何よりまともになってそんな現実を認めてしまうことが怖いから、まともじゃないふりして、今日も生きてしまうのだ。
今日見た夢がどうか正夢になりますように。
そんな怪しい希望にすがって生きてしまう、いや、生きざるを得ない無力な男の歌。
それが「正夢」という歌の正体なんじゃないかと僕は勝手に思っている。
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