ユニゾンの「fake town baby」について書いてみたい。
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前置き
この作品は「血界戦線」の第二期のOPである。
そして、この曲はそのタイアップを受けて作った曲である。
第一期では同アニメのEDを担当していたが、OPとEDでは担う役割が違うと考え、改めて作品のイメージを捉えなおし、楽曲を作ったとのこと。
また、この曲を作る上で意識したのは、第一期でOPを担当したBUMP OF CHICKENの「Hello,world!」であり、田淵は第二期でOPが変わったけど、これなら前の方が良かったなんて言われないようにするため、フンドシを締めて楽曲を制作したとのこと。
そして、アルバムのために一枠空けて、(というより、アルバムに収録するときに同じパターンにならないようにするため)ずっと枠としておいておいた「四つ打ちソング枠」を満を持して解禁した、狙いにいった曲だそうだ。
だから、この作品の歌詞について語るのであれば、ある程度は「血界戦線」を抑えなければいけないことは承知はしている。
が。
溢れんばかりの厨二病ワードが飛び交うこの作品がどうにも肌に合わない僕は、このアニメの視聴を諦めてしまった。
許してほしい。
不勉な状態でありながら、この作品について言葉を紡ぐなんて良い度胸じゃねえか、とお思いの読者諸兄もいるとは思うし、そんな駄文をネットの海に垂れながす廃棄汚染のようなマネは止めてほしいと願う方がいるのも承知はしている。
が。
そんな状態だからこそ書ける視点というのもきっとあるとは思うし、そもそもユニゾンの歌詞って、単純にタイアップで切ることができない魅力があるからこそ、面白いと思うのだ。
という言い訳タイムはこれくらいにして、肝心要の作品全体を見ていきたいと思う。
語彙の整理
案の定、日常では使わないような難解な単語が踊っている。
まずはその辺りから整理してみたい。
悪鬼羅刹
恐ろしい魔物のたとえである。
この歌詞でいうと、絶対に手を叩きそうではない奴らですら手を叩くというニュアンスになるわけで、ある種の強調表現して使用しているように思われる。
喝采万来
喝采は手を叩いたり大声をあげたりして、褒めそやすという意味。
万来とは、多くの人がくること。
要はたくさんの人からの喝采という感じ。
まあ、別に誰かに祝福されているわけではないんだろうけどね。
羅漢
尊敬を受けるに値する人という意味。
確かに万物を承諾することができる人なんて、尊敬に値する人物である。
俺もそれくらい度量を大きくして生きたいものである。
エゴイズム戦線
戦線ということで、アニメタイトルの血界戦線と繋がる語句になるわけだけど、言葉だけの意味を汲み取ると、エゴイズムは「自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式」ということになる。
自己中心的というわけだ。
そして、「戦線」は政治運動や社会運動で、闘争の場面・形態を戦争にたとえていう語なわけで、これらを組み合わせることで、そこの場(歌的に言うならば「街」が)エゴイズムを剥き出しにしている様相を表した語になっている。
session
生きるセッションとか、生命セッションという造語として捉えると意味が分かりづらいが、ここでいう「session」は、バンドセッションをする、とか言うときのセッションとニュアンスが近いと思うし、そういうごちゃ混ぜ感を表現する語句として使われている感じ。
call or drop
直訳するとわけわかんなくなるけど、まあ、(勝負に)のるか降りるか、みたいなニュアンスだと思う。
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英詞について
冒頭に出てくる英詞は下記である。
I’m sane, but it’s trick or treat?
I’m right, but it’s truth certainly.
Well then “awesome!” welcome to tragedy.
Fake town, Fake town, baby?
まず、「sane」は正気な、とか健全な、と意味になる。
「trick or treat」と聞けば、ハロウィンによく出てくる、お菓子をくれなきゃイタズラをしちゃうぞ、みたいなニュアンスのあの言葉を思いだす人も多いだろう。
ただ、ここでは少しニュアンスが違っていて、trick→負の意味 treat→正の意味みたいな感じの言葉で、日本語歌詞におけるの「甘いか苦いか」の二者択一に還元される言葉のように思う。
rightは正しい、とかそんな感じの意味。
truthは真実、certainlyは確かに、という意味。
awesomeは驚くばかり、tragedyは悲劇、fake townは偽物の街、となる。
文章を直訳するとなんだかよくわからない文になりそうだが、自分は正常で正しいと思っていても、その常識はガラクタであるということ、そんななかで決めた二者択一の選択が真実になっていくということ、異常な日常を受け入れるという悲劇があるからこそ、town=街は成り立っているということ。
そんなニュアンスを含意する英詞なのかなーと思う。
明るい日常の裏では奮闘している人がいるからこそ、街というのはfakeがあるから成り立っているわけで。(もちろん、アニメをみることで「街」の意味や輪郭がもっとくっきりとしてくるのだろうが、その辺りはごめんなさい)
二者択一していく世界
ところで、この歌は色んな二者択一を提示している。
英詞のtrick or treatはそのひとつだし、「甘いか苦いかは君が決めろよ」もそのひとつだ。
他にも「call or drop」「どこまでが本当でどこからが嘘なのか」などなど、ふたつの要素を提示しながら世界の混沌を描写している。
アニメに引っ張られながら「街」という言葉の意味を考えれば見えてくるものも違うのだろうが、現実に即して「街」という言葉を考えると、実に微妙な言葉のように思える。
「世界」というほどの大きさではないし、「生活」とか「日常」という言葉よりはスケールが大きい感じ。
だって、街というスケールで考えたら自分一人では絶対完結しないわけで。
ご飯屋さんとか、CDショップとか、道路街とか、駅とか、そういう単位を含むのが「街」なわけだ。
個人と街の関係を考えるならば、それは「社会」という言葉と密接している。
個々が個々の世界にとどまらず、他の様々なものと繋がる場所が「街」になるわけで、人と人の出会いの場も基本は街で生まれる。
だから、街=社会という言葉に還元される。
学生ならば学校、社会人ならば会社なんかで、つくづく実感するのは社会のルールの無茶苦茶さだと思う。
名言されてるルールは守られていないのに、名言されていないルールに縛られたり、カースト制や人間関係に苦労しながら人は生きるわけだ。
そして、知らず知らずのうちにまた別のルールを作る。
そうなのだ。
街=社会はこのように常に混沌としており、だからこそ、二者択一で迫り続けるこの歌詞は、ずっと混沌としたまま言葉を紡ぐわけだ。
他の歌詞で考えてみても、一番のBメロでは「いつからそう思っていたかわからなくなってる」と言ったり、「幸せのパーセンテージ忘れちまったよ」と歌うことで、ある種の混沌をより浮彫にしている。
街は混沌としている。
けれど、この歌は街って混沌としているよね、という提示で終わるようなマネはしない。
サビで全ての流れを変える。
「ぐたぐだ言っているだけじゃ見向きされないのがこの街のルール」と言い切ってしまい、世の中のルールがどうしようもないならば、塗り替えていくしかないことを明示するわけだ。
そう。混沌を切り開くには、自分の意志により、行動で示すしかない。
だから、神様はいないと言い切り、いても要らないと言うくせに、「運命だって所詮は君の手中さ」と言い切ってしまうのだ。
その発想が生み出す背景にあるのは、エゴイズム戦線だけど、それを貫いて逃げ切って一着になっちゃえば、悪鬼羅刹さえも手を叩いちゃうことを知っているからだ。
そういうメンタルとそういう行動が、ややこしい二者択一の連続で混沌としている街を生き抜くうえで「勝算万全」となる秘訣なのであり、あなたがそれをできると半ば確信しているから、末尾の言葉は「お待たせ」になるのである。
「シュガーソングとビターステップ」の繋がり
「甘いか苦いかは自分で決めろ」というのが今作のメッセージのひとつなわけだが、「甘いと苦い」のワードだとどうしても同アニメの主題歌でもあった「シュガーソングとビターステップ」が脳裏をかすめる。
ちなみに「シュガビタ」では、甘くて苦くて目が回りそうです、と歌詞で言っている。
「ショガビタ」は悲しいことがあっても、それを受け入れて笑っていこうよ、という感じの歌であり、意志の力で何かを切り開いてそんな悲しみをなぎ払おうよ、みたいな意志の強さはあまりなかったように思う。
けれど、「fake town baby」ではそういう悲しみも受け入れた上で、切り開こうとする意志の力をすごく感じる。
変わるのを待つじゃなくて自分で変えていけ、的な勢い。
だから、甘くて苦いこの日々に目を回すことはもうやめて、どちらにするか君が決めろと言っちゃうわけだ。
この方向転換が、田淵の言う「OPとEDの役割の違い」なのかもしれない。
そういえば、シュガビタとは違い、今作はやたらと命令形が多い。
シュガビタと今作を比べると、そこに漂う覚悟の違いが見えてきたりして、その違いがあたかも「成長」のようにも見える。
そういう成長ドラマも、なんだかアニメソングっぽい。
知らんけど。
田淵の髪の毛の長さにおける話
今作では、神様は要らないと公言したが、髪様は必要なようであり、田淵の髪は相変わらず長い。
けれど、次作のMVではみんなの髪型が変わることに期待斜め45度で、僕は心待ちしたい。
君の常識に用はないのだから。
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