キュウソネコカミのフロントマンであるヤマサキセイヤが30歳になったということで、彼の魅力みたいなものを改めて書き記してみたい。
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1.歌詞について
セイヤの歌詞は世相を機敏に反映したものが多い。
カッコいい言葉で言えば、時代の空気を鋭敏に切り取った歌詞が多いというわけだ。
「若者」「スマホ世代」などに刺さる歌作りは見事なもので、特に「ファントムバイブレーション」で登場した「スマホはもはや俺の臓器」というフレーズは秀逸さたるや。
例えとしても面白いし、言いたいことがすっと入ってくるし、スマホの依存度がよくわかるという意味でも、このフレーズはただただ素晴らしいものだと思う。
もちろん、このフレーズだけでなく、セイヤは幅広く、様々な人や物をターゲットにして歌にしている。
「童貞」「コミュ症」「DQNにビビる奴」「就活に失敗した奴」などなど、いわゆる「負け組」をあえてdisりつつも、「安心しろ。俺も似たような立場や」的な、生々しさと温かさで包みこむ歌詞が多い。
セイヤが非リア充な人間だったからこその着眼点。
なのに、ただ風刺するのではなくコミカルさもあるし、社会風刺な側面もあるけど、ギャグ的な側面もあって、そのバランスがまた巧みなのである。
また、若者や同世代のことはもちろんのこと、「泣くな親父」に代表されるように、おっさんや年上世代を代弁した歌も書けるのがセイヤの凄いところ。
なんだって歌にできちゃうのである。
なにより凄いのは、この業界でメシを食っている人間でありながら、あろうことか「細美武士」までもネタにしてしまったこと。
普通ならあんなムキムキなお方をネタにするなんて怖くてできないはずだが、セイヤはそれをやりきった(岡崎やヤバTはその辺り聡明だから、固有名詞を出すようなやばいマネはしない)。
幸いなことに、セイヤはトシローにも細美さんにもボコボコにされず、なんとさ30歳を迎えることができた。
というか、あんな歌詞書いておきながら、ちゃんと面と向かって挨拶できちゃう、メンタルの強さも流石なものである。
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2.歌詞ではコミュ症なふりしてるけど、実は全然コミュ症じゃないところ
俺は非リア充であり、コミュ症である感を出しまくっているセイヤであるが、それはビジネスコミュ症であると言わざるをえない。
彼がどれだけ対バンでもイベントでも引っ張りダコなのかをみれば、それがわかるだろう。
だって、セイヤがめっちゃ嫌な奴だったら「俺のライブに出てくれや」なんて電話はかかってこないだろうし、「俺の対バンライブに出てくれや」って電話したら「いけたらいくわ」って言われて断られるに決まっている。
結論。セイヤはコミュ力ある疑惑。
それを物語るエピソードはまだある。
彼は、関西の夏フェスの雄的存在である、京都大作戦、ラッシュボール、オトダマに、同年で全て出演するという前代未聞の偉業を達成した。
普通、こんなこと、ありえない。
過去、この三つのイベント全てに一度でも出演することができたアーティストは東京スカパラダイスオーケストラ(名義違いを認めたら奥田民生も達成しているが)だけである。
でも、それは当然ながら年度違いの話だ。
同年で、その偉業を成し遂げたのは、後にも先にもキュウソネコカミだけである。
なぜ、こんなことができたのか。
運営だって人間なわけで、呼ぶバンドを決めるうえで集客力も大切なわけだが、それ以上に大切にしているのは、このバンドに出てほしいという「気持ち」の部分だと思う。
キュウソに出て欲しい!と、どのイベンターにも思われたからこそ、全てのフェスに出演することができたのだ。
そんな人間が、コミュ症の代表格なわけないじゃん!という話。
めっちゃくちゃコミュ力ありまくりで、色んなイベンターとめちゃくちゃ仲良しだからこそ、この偉業を達成できたと思うのだ。
アーティスト主催フェスをみてもそうだ。
先ほどの京都大作戦はもちろんのこと、ヨンフェスだって数少ない連続参戦バンドになってるし、SiMやロットンからも主催フェスに誘われている。
こんなに主催フェスに誘われてるバンドそうはいない。
みんなから愛されすぎやん!というわけである。
3.意外と常識人
ラジオやライブなんかではめっちゃテンションあげまくりでうるせーって感じで、なんだか破天荒な人というイメージだが、実は普段はめっちゃ大人しくてただの常識人で、人のことを考えながら行動できる、普通に気遣いのできる人なのである。
つまり、その辺のええ感じの兄ちゃんというわけだ。
きっちりするところではきっちりして、頑張るところで頑張って、ボケるところはボケて、必要であれば、キャラとしての「キチガイ」感を出す。
だからこそ、イベンター的には「応援してあげたい」となるのかもしれない。
ああみえて、毎日ボイトレに通って、少しでも歌が上手くなるように日々努力を積み重ねているし、少しでも周りを喜ばせようと常にネタを考えてきたりしているし、献身的な日々を過ごすのがヤマサキセイヤなのである。
要は、努力家というわけだ。
ウィアーインディーズと歌にした後、すぐにメジャーデビューを発表して、所詮ヤマサキセイヤも金儲け優先かと思われたりしたこともあったけど、違うのだ。
彼の魂はインディーズとかメジャーとか、そんな「立場」で変わるものではなかったのだ。
メジャーになってもインディーズの精神を忘れずに活動している。
そんな思いがあの歌に込められているのだ。
そんな思いを常に形にして行動できるからこそ、セイヤは凄いし、偉大なのだという、そんな話。
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