ロックとは何か?
毎年6月9日のロックの日は「ロック」とは何なのか?ということを考える記事を書いている。
とはいえ、ロック好きにおいても、「ロック」の概念が人によって違いすぎる。
だから、年々ロックという言葉がカオス化している。
いわゆる大きなフェスとかに行くタイプの人にスポットを当てても、それぞれが考えるロックって異なっている。
例えば、SiMとかcoldrainとかHEY-SMITHみたいなバンドこそ「ロック」でしょ?という人もいれば、いやいや04 Limited Sazabysやハルカミライみたいなバンドこそ「ロック」でしょ?という人もいる。
いやいや、ストレイテナーやBase Ball Bearみたいなバンドこそロックでしょ?という人もいれば、UNISON SQUARE GARDENとかgo!go!vanillasこそがロックみを感じると考える人もいる。
ヤングスキニーのようなある種の唯一無二な感じこそがロックだと考える人もいるし、Awichみたいなスタンスこそがロック的と考える人もいる。
あるいは、King Gnuはロックでしょ?演奏もバチクソにかっこいいしという人もいれば、King Gnuなんてもはやポップスでしょ?という指摘をする人もいる。
あるいはバンドであり、かつロックというジャンルでサバイブしてきたバンドを参照しながら音を鳴らせば十分ロックでしょと考える人もいるし、近年のロッキング・オンよろしく、ロックである十分条件にバンドである必要すらなくて「●●の部分において、このアーティストはロックといえる」みたいな、捉え方によっては何でもロックにしてOKみたいな論法を繰り出す人もいる。
確かにロックはパッションとかマインドとかあり方みたいな様相を指す言葉にも使われがちで、文脈によっては色んな解釈ができる言葉であるように感じる。
その結果なのかどうかはわからないが、年々ロッキンという大型フェスは、バンド以外のアーティストのメインステージのパフォーマンスする数が増えてきている印象も受ける。
小さいステージでサバイブしてきて、ひとつずつステージのフェーズを上げるのではなく、大きなステージを埋めるくらいのアーティストになったら、あるタイミングで突然ロッキンに出演する。
そういうケースも増えてきた。
少なくとも、2000年のロッキンと、今のロッキンにおいて「ロック」の捉え方は変わっている。
そして、きっと2000年頃のロッキンだと「出たい」とアーティスト側が談判しても出演させなかったアーティストが、今のロッキンではわりと出演している感覚がある。
それだけロッキンというフェスは多様かつコンセプトを変えながら、その規模を大きくしてきたことが伺える。
だからこそ、余計に思う。
何がロックなのかを考えるのはけっこう難しい、と。
ただ、ここ数年で音楽シーンにおけるふたつの変化を考えながら、せっかくなので、ロックの変化についても考えてみたい。
近年の音楽で変わってきたこと
音楽を「広報」させる一番の場として、アニメの主題歌という枠が出来ている事実
近年よく言われていることだが、良い音楽を世界レベルに普及させる最短ルートとして、近年はアニメ主題歌を利用しているケースが多くなっている。
昔だとドラマ主題歌とか、実写映画主題歌とかが一番の花形みたいなところがあったが、いつの間にかそれが変わっている。
社会の「流行りになる」という意味において、アニメ主題歌こそが一番の近道になっている感。
YOASOBIもCreepy NutsもMrs. GREEN APPLEもAdoもLiSA、アニソンでさらにその知名度を轟かせたところがある。
なんならスピッツくらいのレジェントですら、アニメソングのヒットによって、さらにその名をより轟かせた感がある。
人気アニメの主題歌の枠を誰が手掛けるか?
次の音楽のヒットが何かを考えるうえで重要なキーになっているし、わりと近年の某バズリズムのランキングでも、アニメタイアップが決まっている(と思われる)アーティストがランキングの上位に名前を連ねるケースが出ている印象も受ける。
もちろん、別に音楽を宣伝したいからこそ、アニメ主題歌の枠を取るという話ではないのだろうけれど、実態としてはアニメ主題歌になる=最大の音楽の宣伝の場、になっていると印象は受けるわけだ。
だからこそ、人気アニメ主題歌はTOPアーティストが順繰りで手掛けている気もする。
フェスもまた、プロモーションとしての意味合いが強くなっている
それに合わせるかのように、フェスも年々プロモーションとしての意味合いが強くなっている印象を受ける。
昔はライブハウスの延長でフェスというものがあったり、ライブハウスで普段過ごしている人間が夏くらいはでっかい野外で音を浴びたい・・・のマインドで夏フェスを展開させたところがあるけれど、今は少し様相が異なる。
カルチャーと地続きのうえでフェスがあるというよりは、どことなくマーケティングの範疇にフェスというイベントが用意されている(ように見える)ケースもある。
いや実際のところ、今でも残っているフェスの多くが、強いカルチャーに根ざしていることが多いし、内側でフェスを成功させようと動いている人は、強いマインドでイベントの制作にあたっているとは思うんだけど、その一方で、こういう匂いがするケースもあるよねーという視点。
アーティストはプロモーションという視点にたってフェスに参加して、フェス側は興行という側面で集客力を優先でブッキングをする。
もしフェスが必要以上にそういう側面で成り立っているように見えたとしたら、確かにその部分においてロックの色合いが見えづらくなるのかもなーと思う。
というのも、ロックというのは、ジャンルとかアーティストのカテゴリーを分ける言葉というよりも、そのアーティストだったり、その場所だったりが、カルチャーに根ざしたものであるかどうかを示す言葉であるのかなーと思うのだ。
ロック=カルチャー
例えば。
ロックかどうかを判断するうえで、「モッシュやダイブの許容」を挙げるキッズが一定数いる。
個人的にはモッシュやダイブそのものはロック的であるかどうかを判断するうえで、別に重要なことではないとは思う。
けれど、特定のジャンルにおけるカルチャーのリスペクトしているかどうか、つまりはその場にカルチャーがきちんと根ざしているかどうかを判断するという意味においては、モッシュやダイブをどのように扱っているのか、は確かに重要な要素だよなーと思うわけだ。
ロックと一口においても、いろんなカルチャーが混在している。
そのうえで、こういう背景を持つバンドを呼ぶのだとうしたら、カルチャー的にこういう文化はリスペクトする必要がある、というケースはわりとある。
そういうものを全部無視したルールが支配的になっており、その理由が興行的な意味合い以上のものがないとしたら、確かにそのフェスはあまりカルチャーを大切にはしていないのかも、と判断されても仕方ないのかもなーと思う。
また、ここでいうカルチャーは、そのカルチャーに精通しているからこそ実感できるものであることが多く、そのカルチャーの是非を論じるのはちょっと野暮になってしまう。
いずれにしても、特定のカルチャーをないがしろにしているとしたら、確かに=ロック的ではないという話になることもあると思うし、ロックとは何かを考えるうえでも、その対象が何かしらのカルチャーを背負っているかどうか、という視点は、けっこう重要になると思う。
そのカルチャーというのが、いわゆるラウドロック特有のものであることもあるだろう。
あるいは、もっと別の何か、極端に言えば、ゲーム的な世界線におけるカルチャーであることもあるかもしれない。ニコニコ動画みたいな視点から出てくるカルチャーであることもあるかもしれない。
そのカルチャーが「何になるか」は、ケースや場所による。
でも、何かひとつでもカルチャーを持っているかどうか、その軸となるカルチャーを大切にしているかどうかは、ロック的であるかどうかを判断するうえで、けっこう重要になっているんじゃないかと思う自分がいる。
ロックとは何かの結論
なので、ここではロックとは何かという結論は出さない。
でもロック的ではないなーと感じるものは何かを考えたとき、ちゃんと何らかのカルチャーがあるかどうか、はけっこう大事ではないか、ということは今回の結論のひとつとして言葉を残してみたい。
あなたにおけるロックとは何か?
よかったら教えてほしい。