前説
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メンバーが変わるバンドはわりといる。
色んな事情でメンバーを変えるバンドはいる。
でも、ボーカルはちょっと別。
ボーカルがバンドから抜けるとなると、一旦そのバンドを終わらせるバンドの方が多いと思う。
それでも、ボーカルが変わっても、変わらずに活動を続けるバンドもいる。
この記事では、ボーカルが変わっても活動するバンドを紹介したい。
本編
フジファブリック
ボーカルが変わっても活動しているバンドというお題で、最初にこのバンドを思い出す人は多いのではないだろうか。
ボーカルが変わった経緯という部分を抜きにしても、ボーカルが変わることでバンドに与える影響の大きさを実感した人も多かったのではなかろうか。
やはり、そのバンドが持つ魅力は大きく変わる。
あの頃好きだった「ここ」がどうしても変わってしまう部分はある。
ボーカルが、代替不可能な才能を持ち合わせた人であればあるほど、その違いは色濃くなってしまう。
ただ、どっちが良くてどっちが悪いというものではない。
というか、「良さ」の種類が変わっただけで、どっちも良いバンドなんだよ。
そういうことを教えてくれたバンドでもあると思うのだ、フジファブリックは。
少なくとも、今のフジファブリックは、「あの頃」の呪縛から解き放たれたバンドだと思う。
WANDS
WANDSもボーカルが変わったバンドである。
まあ、ぶっちゃけ自分はWANDSに関しては曲のイメージが強いので、それぞれのボーカルの違いを丁寧に把握しているわけではない。
ただ、新体制のWANDSが明らかに変化していることだけは手に取るようにわかる。
おそらくWANDSのファンだった人からすれば、その変化により驚いていると思う。
こういう音楽がやりたいからそこにハマるボーカルを招いたのか、それともメンバーが揃ってからこういうサウンドに仕立てていったのかは定かではないけれど、今のWANDSの音楽を奏でるうえで、最高のボーカルがメンバーになった印象を受ける。
バンドってボーカルありきの音楽性になりがちだけど、必ずしもそうである必要はないのかもしれない。
音楽の核とする部分が、ボーカルの声に依存する必要は必ずしもない。
最近のWANDSの楽曲を聴いていると、そんな気持ちになるのである。
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Fishmans
Fishmansの場合、ボーカルが変わったというよりも、ボーカルが不在なままで、ときよりライブを行うという立ち位置である。
ゲストボーカルを採用しているわけだ・
他の楽器隊が不在の場合、サポートを用意してライブを遂行することはそんなに珍しいことではない。
しかし、これがボーカルとなると事情が異なる。
楽器の場合「似せる」ことはできても、ボーカルはそれができないことが理由だとは思う。
でも、ライブって毎回絶対違うものになるはずなのだ。
そう考えた時、ボーカルが変わることでいつもと違うものになることだって、極端に変なことではないのかもしれない。
スカパラで演奏するときとは違う表情をみせる、端的に言えばすごく楽しそうにドラムを叩く茂木欣一をみると、そんなことを感じるのである。
なにより、今みるFishmansのライブもすこぶる素晴らしいからこそ、よりそういう想いが色濃くなるのである。
ヒトリエ
それでも続けることを示したバンドとして、名前を挙げるとすれば、やはりヒトリエだと思う。
ボーカルに非凡な才能があって、それがバンドの大きな魅力で、その魅力を補うことはできないことはわかっている。
その中でも、活動を続けることを示したバンドだった。
正直、ヒトリエがこれからどういう個性を生み出していくのかはまだわからない。
あの頃とは違うなにかを示してくれる気がするけれど、今はまだその道半ばというイメージだから。
高速ビートだったり、ボカロとロックの親和性だったり、ヒトリエが果たした役割はとても大きいものだった。
ヒトリエが打ち出した唯一性のある可能性を継承しつつ、次への一歩を踏み出していく。
そんな気がするのだ。
まとめ
というわけで、ボーカルが変わったバンド特集、なのでした。
他にも色んなバンドがいるわけだけど、なるべく自分がその「変化」を実感しているバンドを中心に取り上げたかったので、この並びとなりました。
他のバンドとは違う歴史を歩むバンドだからこそ、作れる景色とか音楽ってあるんだろうなーと改めて思う。
それは演者だけではなく、ファンだってそう。
そこにある色んな感情は、長く音楽を聴き続けてきた人だから受け取れる類のものだと思うから。
夏の終わり。
やっぱり色んな想いが入り混じってしまうなーと思う、とある晴れた秋の日の夜。
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