前置き
天の邪鬼な人間だからさ、「今回のアルバムは最高傑作なんです!」と言われると逆に冷めちゃうことがあるのだ。
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いや、そんなこと言っておきながら、どうせそんなに大したことないんでしょ?大したことないは言い過ぎとしても、どうせいつもと同じくらいのアルバムなんでしょ?と思ってしまうタイプの人間でして。
今回のフジファブリックのニューアルバム「F」もリリースされる前、ギターボーカルの山内総一郎がしきりにこう述べていた。
今回のアルバムは最高傑作だぞ、と。
いやーね。傑作であることは否定はしないよ?良いアルバムであることも否定はしないよ?
でもさ、「最高」まで言いすぎでしょ?そんなことを思ってしまうのだ。
こちとらそれなりにフジファブリックを聴いてきた人間である。青春時代特有のお肌がニキビだらけの時からフジファブリックをしゃぶるように聴いてきた人間である。
過去のアルバムだって大好きなわけだ。初期の頃のアルバムなんて思い出補正ありまくりで、自分の脳内で驚くほどの高得点を叩き出している。
そんな過去の名作たちと並べた上で「最高傑作ダァ〜?????」。
おいおいおいおい。総ちゃんよ、流石にそれは言い過ぎでしょうよ?MCで多少盛ってしまうことはあると思うよ?曲名を言い間違えてしまうことだってあるだろうよ?
けれど、「最高傑作」って言葉は安易に使っちゃいけないぜ?流石にそれは盛りすぎだと思うわけよ。
いや、脚色抜きで、マジでそう思ってました。この前まで。
で、聴いたよ。白状するわ。
最高傑作だわ、これ。
本編
色んなFが詰まっている
何がどう最高傑作なのか?という話になっていくが、このアルバムはアルバムとしてのまとまりがすごくある。
今回のアルバムは先にタイトルを決めていたということで、どの曲もアルバムタイトルにある「F」にまつわる曲となっているのだ。
というよりも、「F」というタイトルに色んな意味が帯びているというか。
だから、聴けば聴くほど味わい深くなるのだ。
この「F」ってワード、そもそもはフジファブリックというバンド名の頭文字である「F」から取っているわけだが、それだけじゃない意味性を帯びている。
例えば、このアルバムが最後のアルバムになっても構わない!という意気込みで作ったというところから<Final>という意味も込められているらしい。
なんなら、フジファブリックは今年15周年を迎えたバンドなので、<Fifteen>でもあるわけだ。
さらに、各楽曲に目を向けてみても<F>の要素は色濃く見えてくる。
「破顔」「手紙」「東京」などの曲からは否応無く<Furusato>を感じさせてくるし、「恋するパスタ」のように<Food>を感じさせる歌もあれば、「Feverman」のように、そもそもタイトルから「F」が入っている歌もある。
音感がないので何とも言えないが、たぶんKEYが<F>の歌もあるだろうし、曲の構成的に<F>のコードがポイントになっている歌もいくつかある。
いずれにせよ言いたいのは、このアルバムは<F>というキーワードから色んな物語や構成やまとまりが見えてくるということであり、アルバムという単位が希薄になりがちな昨今だからこそ、このアルバムの「計算されている感」が、すごく尊くて、やべえよこれ!!!という気持ちになるのだ。
もちろん、一つ一つの楽曲のクオリティーが高いことはいうまでもないが。
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「F」が紡いだ名曲の誕生
個人的にこのアルバムで好きな曲は「破顔」「手紙」「東京」の3曲であり、理由はすごく<Furusato>を感じるからだ。
フジファブリックというバンドを考えると「離れ離れになった大切な人」を歌われると、どうしても感極まるものが生まれてしまう。
だから、より心に響くのだ。
そんな中、特異性のある歌だなーと改めて感じるのが「東京」という歌だ。
この歌、独特のアレンジをしているというか、もともと幅の広いアレンジをすることで定評のあるフジファブリックにおいても、あまり耳にしたことのない、不思議なアレンジが施されている。
ところで、この歌が誕生するにあたって独特の物語があって、実はこれ、ライブ中のMCでの失言から生まれたものなのだ。
つまり、一つの<Fail>から生まれた作品なのだ。
詳細はこの記事では省いてしまうが、簡単に説明すると、東京という歌を作っていないにもかかわらず、誤って次に披露するのは東京という歌です、と発言してしまったことが根本にある。
その発言を収めるために、「東京」という歌を作ると宣言し、結果、この歌が誕生したのだ。
言いたいのは、この歌の誕生は一つの<F>から生まれたものだということであり、こんなところからもの繋がりが見出せるということだ。
ちなみに、この<Fail>という単語もまた、このアルバムのテーマの一つだよなーと感じていて。
「前進リバティ」もそういう歌だし、このアルバムはうまくいかない人たちに対して言葉を紡ぎがちだよなーと思うのだ。
かつ、このアルバムの歌は基本的に、大きなことを歌うというよりも、小さな範囲のこと、具体的にいえば、自分たちや近しい距離の人たちのことを歌っているように感じるのだ。
それは、アルバムのタイトルを<F>にしたからなのかもしれない。
「F」というタイトルだからこそ、パーソナルな匂いを強く感じてしまうのかもしれない。
どういうことかもう少し詳しく説明していこう。
フジファブリックという物語
2011年夏より、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一の3人体制で、このバンドを進めてきた。
今更フジファブリックというバンドの物語を紐解いて行くのは野暮なことかもしれないが、それまでに色んな物語があったことは多くの人が知っていることだろう。
色んな物語を背負ってきたバンドだからこそ、このアルバムのフレーズの一つ一つが胸に迫ってくるし、そういう物語を色んなレベルで更新してきたとはっきり感じるからこそ、このアルバムは最高傑作なのだと感じるのだ。
ところで。
初めてこのアルバムを通しで聴いた時、えらく「東京」で唐突に終わるように感じた。
なんというか、もっと「最後らしく」してもいいのではないか?と感じたのだ。
で、別メディアのインタビューを読んでいると、当初「東京」はアルバムの冒頭に持ってくる曲であった、という話を見つけた。
それを見て、なるほど、と感じた。
確かに「Final」という意気込みで作ったアルバムのはずなのに、その終わりに終わりを感じないというか、むしろ新たな始まりを感じさせるようになっていると感じたのだが、これって、まさしくフジファブリックのことだよな、って思ったのだ。
一度、フジファブリックが「終わり」を経験したことは、フジファブリックを好きな人のほとんどが知っていることである。
しかし、その「終わり」を経験したからこそ、新たな始まりを迎えたこともまた、よく知られていることである。
つまり、「F」という名前に相応しく、まるでフジファブリックの物語そのものを表現しているようなアルバムになっているわけだ。
故郷を感じさせる歌を歌いながらも、最後はまだ東京に残り、東京で「この続き」を紡ぐ決心をして、新たな始まりを感じさせるようにして終わる、このアルバム。
そして、そんなアルバムに「F」というタイトルをつけたこと。
全てが全て繋がっていき、一つのアルバムから大きな世界観を描いてみせる。
一曲一曲では浮びあがらなかった物語が、アルバムというパッケージになり、曲順があって文脈をつくることで、アルバムとしてのメッセージなり物語が見えてくる。
そういうアルバムこそが「傑作」だと感じるんだけど、この「F」というアルバムは、まさしくそういうアルバムだなーと強く思ったわけだ。
しかも、ここで描かれる物語は、他のバンドでは決して描くことができないもの。
フジファブリックだからこそ描ける物語であり、だからこそアルバムタイトルの「F」というワード含めて、グッとくるものがあるわけだ。
僕が、このアルバムを「最高傑作」だと感じた最大の理由は、まさにそこにあるのだ。
まとめ
ただね、このアルバムさ、聴いていると、あまりにもエモい気持ちになってしまうんだよね。
それくらいに、このアルバム、フジファブリックのパーソナルが詰まっているように感じるのだ。
だってさ、志村というもう一人のメンバーの影が、どうしても見えてきちゃうもん。
でね、その時思ったんだけど、今の3人に志村も合わせると、フジファブリックって4人のバンド、つまり<four>のバンドになるんだなーって思ったのだ。
ここにもまた、<F>が宿っているのかなーなんて思ったりしたのだ。
なあんてことを考えると、やっぱり涙なしには聴けないよなーなんて思ってしまったので、この記事のタイトルはあんなタイトルにしてしまったのでした。
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