フジファブリックが活動休止するというニュースを聞いて思ったこと
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「僕たちは絶対に解散しません!」
「死ぬまで、生涯、バンドを続けます!」
「我々は、不滅です!」
「俺たちが死ぬのは、板(ステージ)の上だ」
そういったMCをするバンドってたくさんいる。きっとこの言葉に嘘はないと思う。本気で続けようと思っているし、本気で死ぬまでバンドを続けるつもりでいると思う。でも、その言葉を全うできるバンドって、想像以上に少ない。
多くのバンドは、何かしらの理由で、どこかのタイミングで、活動を止めてしまうからだ。
自分は、そういう場面を何度も目撃した。
「嘘をつかれた」とか「騙された」とか、は一切思わない。けれど、辞めるつもりなんて毛頭なかったはずのバンドが、何かしらの理由で活動を止める様子をみると、悲しさが胸に残る。好きなバンドだと、もっとライブを観たかったバンドだと、その思いはより強くなる。
音源は、ずっと不変である。
活動休止してから、あるいは解散してからしばらく経っても、ずっと音源を聴いているバンドなんてたくさんいる。その音楽は変わることなく、自分にとって宝物のように大切な楽曲として残る。その素晴らしさは、時間が経っても色褪せることはない。
でも、バンドの活動が止まることと、楽曲が素晴らしいことには、別の思いが生じる。好きなバンドであるほど、そのバンドに思い入れが強いほど、そのバンドの活動が止まってしまうことへの喪失はどうしても大きくなる。
フジファブリックが活動休止をするというニュースを観て、久しぶりに安易に言葉で表現ができない、何とも言えない喪失を覚えた。
なぜこういう決断を下したのかは、バンドが発表したコメントを見て納得した。
その決断自体に納得がいかないものはなかった。長く活動をしていった結果、そういう決断をくだすことだって理解できる。むしろ、メンバーそれぞれが次のステージでどんな活躍をするのか、期待に膨らむ部分もある。
でも、好きなバンドの活動が止まるというのは、そういう思いとはまた別に、何とも言えない悲しみを覚えてしまう。
とはいえ、色んなバンドをみてきて思うのは、複数人のメンバーがいると、色んな考えがあるんだよな、ということ。
バンドマンの知り合いも増えていくことで、それを感じることが増えた。
というのも、同じバンドのメンバーの中でも、各々によって微妙に考え方や価値観に違いがあることって多い。仮に、最初はまったく同じ方向に向かっていたバンドも、時間が経過する中で、そこにズレが生じることがあることはある。メンバーの中で、大切なものの優先順位が変わることもある。違う夢を見つけて、そこに時間を割きたいというケースもある。
そしてこれって、イコール、バンドの面白さにも直結している。
個性や考え方が違うメンバーが集結しているからこそ、バンドが生み出す音楽って面白いし、それが個性になっていることも多いからだ。
なので、ここに良し悪しは一切ないと思っている。
その上で事実として、操縦桿を握るような立ち位置の人と、その後ろで見守っているメンバーで別れることが往々にしてあって、各々の視界に映るものが違うことも多い。
結果、ライブでは「一生解散しない」というMCがあって、それは本気で言った言葉だとしても、時間が経過する中で、その言葉が潰えてしまう瞬間が出てくる。そんなことを思うのだ。
もちろん、バンドごとによって解散や活動休止の理由はまったく違うし、本当の本当の理由は当人にしかわからない。ファンが知る情報は、断片的なものでしかないとは思うので、ここで書いたことは想像の域を出ないわけだけど。
別に、何が言いたいというわけではない。
ただ、フジファブリックの活動休止のニュースは、自分にとって色んな思いを想起させるトピックだったという話。
フジファブリックの話でいうと、フジファブリックは自分の青春時代から強烈な存在を放っていたバンドで、自分が知っている<オルタナティブ・ロック>をぶっつぶされた。それくらいの衝撃のバンドだった
曲の構成も。
歌詞の視点と切なさも。
サウンドの組み立て方も。
各楽器のリフのあり方も。
ボーカルの存在感も。
何もかもが、新鮮で、これまでの自分のバンド史が一変するような衝撃を与えた。
そこから先に、このバンドに起こったことは、当ブログでもいくつかの記事に分けて書いたので、今更ここでおさらいをすることはしないけれど、ここまでの軌跡が奇跡のような連続であったことは改めて記しておきたい。
バンド史を更新するような存在だったバンドが、生まれ変わることで、確かに<あの頃>とはまったく違う魅力のバンドに変わったけれど、以前と以後を比較することが憚れるくらいに、新生のフジファブリックも、他のバンドにはない、これまでのフジファブリックにもない輝きを放っていた。
それは確かだと思う。
これは、
山内 総一郎
金澤 ダイスケ
加藤 慎一
の3人がプレイヤーとして素晴らしく、色んな音楽的引き出しを持ち合わせたメンバーだったからだと思う。
こんな才能もあったんだ!、こんなこともできたんだ!が、どんどん積み上がっていったのだった。
特に、自分は「徒然モノクローム」と「Green Bird」
が印象的だったし、今なお大好きな楽曲のひとつである。
振り返れば振り返るほどに、フジファブリックって魅力に満ち溢れたバンドだったと痛感する。
若手の粋の良いバンドがどんどん出ており、フェスシーンもどんどん若返っており、自分もそういう若いバンドをたくさん観るようになっているけれど、フジファブリックの存在は不動だと思う。
逆に言えば、フジファブリックのイズムを継承しているバンドは、フジファブリックっぽく進化するのではなく、Cody・Lee(李)をはじめ、己のオルタナティブを磨き続けている印象があるなーと思っている自分。
何が言いたいかわからなくなったけれど、今はただただフジファブリックの偉大さを改めて噛み締めていたい、そんな自分の心情。
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