スピッツ「ロビンソン」歌詞の意味は?解釈と考察

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スピッツのハチミツリリースから20年が経ち、トリビュートアルバムも発売されたということで、それを記念して歌詞考察をしていきたいなあと思う。

今回はスピッツの不朽の名作「ロビンソン」にスポットを当てたい。

早速、「ロビンソン」の歌詞をみてみよう。

本編

1番の歌詞について

まずは出だしのフレーズから。

「新しい季節は~君を追いかけた」の部分。

新しい季節ということは、おそらく4月と思われる。

新学期なり新年度になった直後である可能性が高い。

さて、ここでひとつの違和感が生じる。

普通、4月だとワクワクする人も多いと思うが、この主人公は「なぜか」せつないのだそうだ。

確かに新天地になってブルーな気持ちになるのもわからなくはないが。

ただ、この主人公、具体的なブルーな理由は申さず、それを「なぜか」ということにしてはぐらかしている。

何かかから目を背けているのではないかと言わんばかりに。

では、次のフレーズでせつない理由が見えてくるのかといえば、そんなことはなく、自転車で走る君を追いかけるというのだ。

どちらかというと、楽しそうな光景が頭に浮かんでくる。

これだけでは何とも言えないので、次のフレーズをみてみよう。

「思い出のレコード~まぶしそうに」の部分。

疲れた肩ということは、この主人公は仕事で日々忙殺されているということなのだろうか。

また、思い出のレコードと大げさなエピソードというフレーズは、君との思い出がたくさんあること匂わせるフレーズではなかろうか。

なんとなくリーマンとOLの恋愛であり、付き合って1年そこらが経っているカップルというイメージが想起される。

しかし、最近仕事が忙しくてろくにデートもできていないのかもしれない。

でも、悪くはない生活をしている印象を受ける。

次のフレーズをみてみよう。

「同じセリフ~つくり上げたよ」の部分。

いつも口にする簡単な言葉とは、おはようとかおやすみのような挨拶なのかもしれないし、愛してるとか大好きとかそういった類の言葉なのかもしれない。

ただ、ありふれたものだそうだから、そこまで難しい言葉ではないのだろう。

そんな言葉で作り上げた世界とはどんな世界なのだろうか。

そんな疑問を抱きながら、歌詞はサビに繋がっていく。

「誰も触われない~宇宙の風に乗る」の部分。

ここでポイントになるのが、空に浮かべたらというフレーズ。

昔のマサネムの歌詞は飛ぶことをイメージさせることが多い。

そして、ほとんどの場合、それは死のイメージを想起させる不吉な言葉として意味を広げていく(だから、三日月ロック以降、あまり飛ぶという言葉が使用されなくなったのであろう)。

宇宙の風になるほど飛ぶのだから、相当な飛行である。

それにしても、誰も触れない国なんだったら、わざわざ宇宙にまで届くくらい空に浮かべる必要なんてないのではないか。

そもそも、こんなにも君とラブラブなのだとしたら、「なぜか」せつない日々になる必要なんてないのではないか。

主人公の身になにかあったのだろうか。

2番の歌詞をみていこう。

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2番の歌詞について


「片隅に捨てられて~無理やりに頬よせるよ」
の部分。

ここがすごくキーポイントだと思う。

片隅に捨てられた猫(おそらくはノラ猫だろう)をみて、主人公は似ていると言っているのだ。

君とふたりだけの国を作るはずの主人公が、独りぼっちのノラ猫と似ている?

そんなのおかしい。

ここで、もう一度歌詞を見てみると、そのノラ猫はまだ「生きている」といっている。

なぜ、ここでわざわざこの猫のことを「呼吸をやめない」という言葉をくっつけて表現したのだろうか。

弱弱しくもなんとか生きていることを表現したかったのだと思うが、その猫と主人公が似ているということになれば、この歌の様相が少しずつ変化していくことになる。

だって、主人公は死にかけということになってしまうから。

とりあえず、次のフレーズをみてみよう。

「いつもの交差点で~三日月も僕を見てた」の部分。

このフレーズを絵でイメージしてみればわかるが、位置関係がよくわかならい。

主人公は丸い窓を見上げているのだから、おそらく交差点で高層ビルの窓を見ている感じだと思う。

その高層ビルがどれくらいの高さなのかはよくわからないが、その窓は三日月と僕=主人公を見ているというのだ。

普通に考えて、地上にいる主人公と空に浮かんでいる月を平行して「見る」というのは位置関係から考えておかしいではなかろうか。

これではまるで、主人公が少しずつ浮かんでいるようではないか。

やがて、浮かんだ主人公は月と同じ高さまで昇っていくような。

ここで追い打ちをかけるように、次のフレーズがやってくる。

「待ちぶせた夢のほとり~生まれ変わるよ」の部分。

夢のほとりがどこなのかはひとまず置いておくことにする。

ただ、君が驚いているというのだから意外な場所であることは間違いない。

恋人同士ならば、浮気現場でも目撃されない限り、町中で出会ったところで驚く必要なんてあるのだろうか。

おそらく君からしたら、僕がこんなところにいるわけないのに、なんでいるの?と思ったから驚いているのであろう。

だが、主人公はそんなよくわからない場所で生まれ変わろうとしている。

何に生まれ変わるというのか。

次のフレーズをみてみよう。

「誰も触われない~宇宙の風に乗る」
の部分。

生まれ変わることで、二人だけの国が終わらないものになるのだとすれば、それは平たく言えば天国なのではないかと思ってしまうフレーズ。

青い車では輪廻の果てに飛び降りたマサネムである。

ここでいう宇宙の風というのは地球レベルではない身体に乗り換えようとする一瞬なのではないかと思う。

思えば、主人公は最初からなぜか思いつめていた。

冒頭、主人公の日々がせつなかったのはそこにもう君がいなくなってしまったからなのではないか。

新しい季節とは、君がいなくなってからの時間経過を表現するための言葉だったのではないか。

河原の道というのはこの世とあの世を繋ぐ道で、君は自転車に乗りながら走り去ろうとするから、(つまり、何かしらの理由で死んであの世に向かおうとしている)から主人公は走って追いかけようとしたのではないか。

思い出のレコードと大げさなエピソードという、君とラブラブだった頃の思い出を糧になんとか日々生きてきた主人公。

それこそ片隅に捨ててなんとか呼吸をやめようとしない猫と似ているほど精神的にやつれた主人公であったが、限界は近くまできていたのだろう。

いつもの交差点というのは人生の分岐点を示唆する言葉。

そこで主人公が選んだのは、上の方向。

三日月と同じ高さになるまで空に向かって飛んでいく(天国に向かう)という選択だったのだ。

やがて、たどり着いた夢のほとりで君を待ち伏せた。

君は僕を見て驚く。

だって、君は先にあの世に向かったはずなのだから。

こんなところで僕に会うなんて、と。

でも、僕は言うのだ。

「ここで生まれ変わろう」と。

ここで誰も触れないふたりだけの国なんていうのだ。

おまけにその国が宇宙の風になるのだ。

もう答えは見えたも同然である。

その国とはあの世の「天国」なんだ

ということで、先に死んだ君を後追いで追いかける恋人の歌、というのがロビンソンのひとつの解釈。

もちろん、これすらもひとつのメタファーで実はさらなる仕掛けを施しているのかもしれないし、穿った見方をしすぎて論点を外しまくっていると言われても否定はできない。

でも、恋の歌に死の予感を漂わせているのは間違いないし、だからこそ草野正宗の歌詞は面白いのだ。

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