星野源の「生命体」、楽器に生命力が宿りすぎな件

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アーティストの活動が長くなっていくと、そういえばこの人ってこういうタイプの人だったな、ということを忘れることがある。

例えば、テレビに出ることが多くなったから、知らず知らずのうちに”タレント”的な色眼鏡でみていたアーティストを久しぶりにライブで見たら、ゴリゴリの本格派のアーティストであることを思い出した・・・みたいな。

あるいは、ヒットチャートで名前を見かけることが多くなったから、すっかりポップで大衆的な音楽を生み出すアーティストだと思っていたけれど、ふいに聴いた新譜で、独創的で変態的で独自路線を駆け抜けるアーティストだったことを思い出した・・・みたいな。

そう。

長いキャリアの中で、いつの間にか別のイメージでそのアーティストのことを捉えていたけれど、実はこの人、こういう人だったわ・・・と、ふと思い直す瞬間ってあると思うのだ。

星野源というアーティストが生み出した「生命体」という楽曲もまた、そんな立ち位置にある楽曲なのではないかと、ふと思うのである。

どういうことか?

順を追って話を進めてみたい。

星野源の「生命体」の話

きっと今の日本のポップミュージックを彩る男性アーティストといえば?という質問を投げかけたら、きっと星野源の名前を挙げる人も多いと思う。

なぜなら、「恋」「アイデア」「不思議」をはじめ、数々のヒットソングを世に送り出してきたからだ。

しかも、どんなタイアップソングでも己の個性を埋没させることなく、常に良い意味で我を出す音楽を生み出すから、より存在感が鮮烈に映る。

かつ、近年はギターのみならず、鍵盤でも楽曲を作るようになったようで、生み出す楽曲の幅が広がったのも特徴だったりする。

確かにここ数年でも、色んな才能がシーンに躍り出ている。

が、星野源の個性は今なお際立っている。

新譜を出すと、またひとつ音楽シーンの表情を変えるという意味で、星野源の音楽がポップミュージックに与える影響は大きいように感じる。

ただ、この人、ポップな音楽を歌う男性ソロアーティスト、というカテゴリーだけでは捉えられる人ではないよなーとも思う。

役者をやったりコントをやったりするから・・・というだけの話ではない。

そういう点を除いて、音楽の面だけにスポットを当てたとしても、星野源って単純にそのカテゴリーだけで捉えられる人ではないよなーと思うのだ。

音楽のキャリアでいえば、SAKEROCKというインストバンドでキャリアを積んできたというところが大きい。

そうなのだ。

星野源って今では「どんな言葉で歌詞を描いて、どんなメロディーの歌を紡ぐのか」という部分に注目されがちだけど、最初は「歌う」ということをしていなかったアーティストなわけだ。

SAKEROCKでは確かに中心的なメンバーではあったけれど、別にバンドとして常にボーカルを取っていたわけではない。(もちろん、ボーカルを取るときもあったが)

SAKEROCKが生み出す音楽は、歌ではなく、別のところ・・・例えば、バンドサウンドが生み出すグルーヴであったり、交錯する楽器のリズムの妙で高揚感を生み出すバンドであった。

星野源の音楽には、歌を軸にした音楽だけではなく、ボーカルレスな音楽をやってきた人間だからこその視点が歌の中に混ざることが多い。

何が言いたいかというと、「生命体」を聴いて最初に感じたのは、楽器隊の生命力の凄さだったのだ。

男性ソロアーティストの音楽の場合、言ってもボーカルがメインであるため、そこを際立たせるためにサウンドがあり、アレンジがあり、楽曲の展開があるように思うわけだ。

でも、星野源の「生命体」って、そういう空気感とちょっと違うように感じるのだ。

聴いてもらうとわかるが、とにかくこの歌、バンドが躍動している。

かつ、そのバンドの音がスリリングで、不思議楽しい気分になり、軽快なサウンドの中に身を預ける心地を覚えるのだ。

冒頭こそ、歌入りで始まる楽曲になっているが、星野源のボーカルの後ろでは、楽器がじゃんじゃんに自由に動く。

鍵盤も打楽器も他の楽器も、ハネるように気持ちよくサウンドを鳴らしていく印象なのだ。

変な言い方になるかもしれないが、星野源のボーカルがいなくても成立するんじゃないかと思わせるくらいに、楽器の音が気持ちよくて、楽しい気分になるアレンジなのだ。

1番が終わると、ドラムが主役になる時間がある。

ここの音の質感と、楽器が刻むリズムも絶妙である。

そこから、ホーン隊がソロを披露するパートに繋がれる。

ジャズっぽいセッションの中で、楽器が生み出す心地よさに酔いしれる時間も絶品なのである。

そう。

自分は、この歌を聴いて、星野源ってポップミュージックを担う男性ソロアーティストだってずっと思っていたけれど、SAKEROCKというインストバンドでは中心人物となって様々なグルーヴを生み出してきた「バンドマン」であることを思い返したのだ。

もちろん、この歌、星野源のボーカルや歌詞の部分も素晴らしいし、ここだけを軸にしても色んな話が展開できる歌ではある。

でも。

自分はそれ以上に楽器隊の生命力を強く実感してしまったのだった。

そして、その楽器の生命力に痺れてしまったのである。

まとめに替えて

色んな音楽をインプットしてはアウトプットを繰り返す星野源だからこその刺激が、「生命体」という楽曲に宿っていた。

今、ポップシーンを担う男性ソロアーティストって何組か頭に思い描くけれど、楽曲の中でこういう刺激を生み出せるのは、星野源だけだよなーと思うし、こういう方向にも音楽的な刺激を生み出せるところが、星野源の凄さのひとつだよなーと改めて感じた、そんな次第。

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