Mrs. GREEN APPLEは変わったけど変わっていない件

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キャリアが長くなると、「このバンドは変わった」と揶揄されるケースがある。

そりゃあどんな人だってめっちゃ人間なのだから、少しずつ、時には大胆に変わっていくと思う。

ただ、この「変わった」というのは、ケースごとによって意味合いが大きく変わる。

例えば、よくあるのが若い頃はめっちゃ尖っていたけれど、年を重ねるごとに丸くなっていき、その丸くなった具合を指さして「変わった」と言われるケース。

あるいは、新しい音楽性やジャンルにチャレンジした結果、「変わった」と言われるケース。

前者はキャラクターとしてのバンドマン像が変わり、後者はそのバンドのアウトプットの変化を指さして「変わった」と形容していることがわかる。

基本的にファンから「変わった」と揶揄される場合、その「変化」は必ずしもポジティブに迎えられるケースではないが、バンドは生き物である以上、時に少しずつ、時には大胆に変化していくものとは思うのだ。

そんな中で、上記とは違った形で、「変わった」と揶揄されるバンドも存在している。

Mrs. GREEN APPLEもまた、そんなバンドのひとつである。

なぜ、Mrs. GREEN APPLEが「変わった」と言われてしまったのか、についての大幅な説明はここでは省くけれど、バンドが掲げた「フェーズ2」と「フェーズ1」では、メンバーの構成も、ビジュアル的な部分でも、大胆な変化を加えたのだから、「変わってしまった」という印象を持つ人がいるのは確かに納得ではある。

そう。

Mrs. GREEN APPLEはかなり意図的に変化がわかる形で、次のバンド活動をスタートさせたのだった。

バンドの方針が変わったからバンドメンバーの構成も変わったのか、バンドメンバーの構成が変わることになったから、バンドの方針にも変化が生じたのか、という部分は、本当の意味では当事者にしかわからないことである。

ただ、傍目からみたとき、Mrs. GREEN APPLEの中で起きた変化はインパクトが強いものだったし、フェーズ1のMrs. GREEN APPLEが好きだった人からすると、その変化はより衝撃的だったように思う。

変わったか、変わっていないか、という話だけをすれば、確かにMrs. GREEN APPLEは変わったと思う。

でも、Mrs. GREEN APPLEが生み出すものが全て変わってしまったのかといえば、そんなことは一切ない。

「ケセラセラ」を聴いていると、そのことを改めて思うのである。

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「ケセラセラ」の話

「ケセラセラ」はどこまでも大森が作った歌という感じがする。

サウンドは明るくて華やか。

ポップな色合いも強くて聴きやすい。

冒頭からハイトーンで攻めまくる大森の歌声はどこまでも伸びやか。

サビで披露するファルセットも美しく、「このメロディーラインは俺にしか歌いこなせないだろう」と言わんばかりに、生命力溢れる歌声を披露する。

・・・なんだけど、歌詞を見てみると、良い意味で影が見える構成になっている。

単に明るくて揚々としているわけではない。

内面にある影的な要素もきちんと見つめ、それが言葉に落とし込まれている。

バンドの躍動感を持ちあわつつ、バンド外の音の取り入れや、音の加工のさせ方も絶妙で、Aメロ→Bメロ→サビの展開が鮮やかなのも、「ケセラセラ」の特徴である。

某テレビ番組にて、音楽プロデューサーが、Mrs. GREEN APPLEの歌は修正するところがない、なんて話をしていたが、音の足し引きが本当に絶妙で、歌を盛り上げるポイントやツボを的確に抑えているので、本当にスキがない構成になっている。

ということを考えたとき。

Mrs. GREEN APPLEの音楽って、ずっとそうだったな、ということに気づく。

明るくて揚々としている雰囲気はある。

でも、内面の色んな感情に向かっていて、ある種哲学的な歌にもなっている。

賑やかさも確かにあるが、憂いな部分も歌の中に綴じ込まられている。

そして、大森のハイトーンボイスと卓越したバンドアンサンブル、そして計算されたアレンジでもってポップで間口の広い雰囲気を作り魅了していく。

あの頃のMrs. GREEN APPLEにあった変わらない良さが、「ケセラセラ」にも脈々と注がれていることを実感する。

確かにMrs. GREEN APPLEは「変わった」バンドである。

でも、Mrs. GREEN APPLEの音楽は「変わらない」輝きと良さを解き放っている。

「ケセラセラ」を聴いて、改めてそのことを感じるのである。

まとめに替えて

きっと大森は”色んなことが見える”タイプのソングライターなのだと思う。

どの曲を聴いても、それが音にも言葉にも表れていると思う。

だから聴きやすさを持ち合わせつつ、聴きやすいだけに止まらない奥深さが楽曲に宿る。

「ケセラセラ」もまた、そんな楽曲のひとつなんだよな、と実感する、そんな自分がいるのである。

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