凛として時雨の「アレキシサイミアスペア」が放つ気持ち悪いくらいの不動感

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新曲であろうとも、歌い出しだけで「あ、このバンドだ」ってわかるバンドってそれなりにいる。

ただし、「あ、このバンドだ」ってわかる距離は、短くなればなるほど難易度が上がる。

例えば、歌い出しでどのバンドかわかるバンドであったとしても、イントロだけでわかるどうかは微妙である。

ジャンルとしては絞ることができても、ピンポイントでこのバンドである、と断言できるケースはわりと稀かもしれない。

それでも、ギターの音色に個性があったり、そのバンドでしかあまり使うことのない楽器が入っていれば、イントロをずっと聴くだけでも特定のバンドであると断言できるのかもしれない。

じゃあ、それよりもさらに短くなったら、どうだろうか。

例えば、冒頭のイントロだけ、とか。

最初にメンバー全員が楽器を鳴らす、無音から音を塗りつぶすその瞬間。

そこの部分だけで、「あ、このバンドだ」とわかるバンドは、きっともっと稀だと思う。

普通のバンドだったら、そこだけで個性を出すのは、無理だ。

でも、それだけの尺でも、「この音、お前らの音だろう」と言えてしまうバンドが存在している。

それが、凛として時雨、である。

新曲である「アレキシサイミアスペア」を聴いて、そのことを強く思うのである。

下手をすりゃあ、楽曲が始まる冒頭の1秒で「あ、これ、時雨やん」ってなりそうなほど、初っ端の初っ端からゴリゴリに自分たちの色を投じりまくるのである。

確かにこの歌はボーカル始まりの歌なので、TKのボーカルで、はっ、ってなる人は多いだろう。

が、仮にこの部分はTKのボーカルを伏せていたとしても、このギターとこのベースとこのドラムの感じ・・・・あのバンドしかいないなあっ!となる人は相当に多いと思う。

なぜなら、凛として時雨のアンサンブルは、マジで凛として時雨にしかないものだからだ。

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「アレキシサイミアスペア」の話

そもそも、「アレキシサイミアスペア」という楽曲が、あまりにも凛として時雨が凛として時雨を全うしている歌だよなあ、と思う。

名刺ばりにしっかりと自分の名前を、ボーカルと音と楽曲構成に記載している感じ。

逆にいえば、個性が大渋滞しているフシすらある。

もともと時雨って、TKのボーカルひとつとっても個性的で唯一無二のものである。

なのに、そこに345のボーカルが加わることで、男女ツインボーカルとしても唯一無二のものとして君臨することになる。

しかも、繊細さが際立った不思議な轟音で展開する感じも無二性がある。

マジでいわゆる、ベタが通じない。

ギターをがっつり引き倒すタイミングで予測不能だし、ドラムが急に爆撃のように攻めてくるタイミングも意表をつくことが多い。

そうそう。

こんなにボーカルや弦楽器が暴れ散らしているのに、きっちり軸の中でまとまっているのも凛として時雨の面白さだ。

サウンド面で感じるのは、土台を組んでいるのがピエール中野のドラムだからこそだと本当に強く思う。

あと、構成も素晴らしい・・・という、刺激的で。

楽曲を聴いていると、シンプルとは程遠いメロディー構成になっていて、油断すると、「今、自分は何番のどこを聴いているのか」と不思議な気分になる構成になっている。

でも、不規則かつ大胆な構成になっているが、きちんと楽曲の道中でカタルシスが開放される瞬間があって、そこが楽曲の一番気持ち良いところになっていることを実感する。

要は、独創的な楽曲展開にはなっている一方、然るべき秩序と美学をもって楽曲を構成されていることを実感するのである。

TikTokで流行っている、「エモい」で消費される全てのバンド音楽を一発で塗り替えてしまうような、そんなとんでもない破壊力を持った楽曲になっている。

しかも、「劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」主題歌として、きっちり成立しているのもすごい。

逆にいえば、この音を聴くと、サイコパスのイメージが喚起できるくらいに、凛として時雨とサイコパスの一心託児している。

その感じも楽曲の良さに大きな寄与している。

まとめに替えて

「アレキシサイミアスペア」を聴いて、改めて凛として時雨の無二性を感じた。

でも、とっつきにくい歌かというと、そんなこともないし、タイアップ作品として一切浮いていないのも特徴である。

ほんと、凛として時雨、エグいバンドだし、気持ち悪いくらいの不動感が漂っているなーと感じたのが、この記事の結論。

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