フェスに行くと感じる世代についてのあれこれ
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フェスに行くと、<世代>というものを感じる場面が出る。
例えば、昔は<若手>と標榜されていたバンドが、いつの間にかその日のフェスのラインナップで一番の年配になっている・・・そんなケースってわりとよくあると思うのだ。
観客も歳を取るし、演者も歳を取るわけで、当然の話だ。
で、自分が歳を重ねると、それに比例して新しい世代の人が演者からも観客からも出てくる。
どの世代が軸になるのかはフェスによって異なると思うが、ずっと同じフェスに参加していると、ラインナップからも観客の層からも時の移ろいを感じるケースはよくあると思う。
で。
ことバンドシーンにおいては、幸いなことに常に新しい世代のバンドもお客様もやってきている印象である。
だから、多くのフェスで最適な形で新陳代謝が起こっている、そんな印象を受けるのだ。
常に、きちんと<若い人>が一定の存在感を持つような、そんな循環が生まれているように感じるのだ。
界隈によっては、年々老朽化するケースもある世界において、いわゆるメガフェスのシーンは健全だなあと思うのである。
ただ、若い人たちが軸であるが故に、<若い>の次のフェーズに進んだ人が、むむむ、と思うケースもあるのかなあと思う。
というよりも、知らないところで、このアーティストは<若者が支持しているアーティスト>であり、このアーティストは<年配の人が支持しているアーティスト>みたいな、世代間での妙な区分けが生まれているケースがあるように思うのである。
世代間が生まれるくらいに、常に新しい世代の人間が存在感を示すシーンって素敵だと思う。
その一方で、その世代間の区分け、別にいらなくね?というケースも散見されるのである。
いや、世代間はあっていいと思う。
きっと同世代だからこそ共有できる青春の音楽ってきっとたくさんあるはずだし、そういうバックグラウンドの違いから、世代という単位で捉えたときの<好きな音楽>にも差が生まれることってあると思うからだ。
でも、世代というキーワードが必要以上にがんじがらめになっているのだとしたら、それは違うかもなーなんてことを思うのだ。
個人的には、対立よりも重なる部分が生まれている奇跡にぐっときてしまうからだ。
世代を越えてもなお、音楽という共通なものが好きであるという奇跡が生まれているからこそ、世代の異なるものが同じフェスに足を運んだりするように思うからだ。
気がつくと、ついつい<世代>を気にするケースもある。
でも、世代のことがトピックに上がるほど、全ての世代が関心を示す何かがそこにある凄さにも、目を向けたとき、そこで生じた世代がどうのこうのにある種のちっぽけを感じるのではないか。
そんなことをふいに思うのである。
まとめ
誰の何かを揶揄したいとかそんなことはなくて、よくよく考えたら世代の話が出る時点で世代を超越しているよな、すげえーとふいに思ったという、そういう話。
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