前説

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セカオワことSEKAI NO OWARIが『SEKAI NO OWARI 2010-2019』をリリースした。

トイズ時代の楽曲が収録されたベストアルバムとなっている。

こういうタイミングだったので、改めてSEKAI NO OWARIの作品を振り返って聴いてみるわけだけど、これが良い。

そして、このバンドがいかに絶え間ない努力によって、自分たちが「良い」と思う世界観を作り上げてきたのかを実感するわけである。

インディーズからメジャーに、そしてメジャーになってからもこれほどまでに絶えずカラーが変わり、研ぎ澄ませてきたバンドもいないと思うのだ。

この記事では、そんなSEKAI NO OWARIについて書いていきたい。

本編

「世界の終わり」だった頃からの圧倒的な破壊力

SEKAI NO OWARIは、インディーズ時代は世界の終わりという日本語表記のバンド名で活動していた。

この頃は、内に閉じ込めた想像力を外側に向けてぶちまけるような、ある種の鋭さを内包していた。

バンドという土台の中で、時にカラフルに、時にダークにその色を染め上げていく。

「虹色の戦争」はそんなセカオワのカラフルさとダークさが綺麗に混じり合った名曲だと思っている。

2010年というタイミングはまだロックフェスがそこまで大衆的ではなかったこともあって、圧倒的な存在感を示す若手のロックバンドのスターが生まれるちょうど前という感じだった。

そんな中、キーボードとDJがいて、いわゆる打楽器がバンドにいないという独特の編成のセカオワの作品は、今までのバンド作品とは違ったキラメキがあったのだった。

世界の終わりからSEKAI NO OWARIへの変化

世界の終わりはメジャーデビューのタイミングで、世界の終わりからSEKAI NO OWARIへ表記を変える。

作風においても「バンド音楽」というよりも、「ポップな色合いを強めた歌謡曲」というテイストを強く打ち出す。

初期の楽曲に内包していてダークさは薄味になり、ある種の綺羅びやかさが強く映し出される。

初期のセカオワが好きだった人はその変化に戸惑いを覚えつつも、セカオワは確実にファンの母数は増やしていく。

印象的だったのは、それまでバンド音楽なんて聴いてこなかったような若い世代のファンを増やしていったこと。

当時の自分もカラーが変わっていくセカオワに驚きはした。

けれど、きっとセカオワは良い意味で「このジャンルの音楽はこうでないといけない」という価値観に対して懐疑的であり、挑戦的なバンドだったからこその変化だったのかなーなんて思ったのだった。

ジャンルとしてあるべき姿ではなく、自分たちが表現したいことに常にスポットを当てて活動していた”かっこいいバンド”だったんだと自分は捉えていた。

定着した価値観や文化の中で継承した音楽をやるのではなく、常に新しい価値を提示してきたセカオワの凄まじさがここに凝縮されている。

「眠り姫」や「炎と森のカニーバル」では、SEKAI NO OWARIは楽曲を通してファンタジー色を強く打ち出す。

楽曲を語るうえで世界観というワードを使いがちだけど、SEKAI NO OWARIが楽曲で紡ぐ世界観はいわゆる「世界観」とレベルが違うのである。

SEKAI NO OWARIには明確なビジョンがあって、そのビジョンを妥協なく形にする凄まじさがあったのだ。

だからこそ、SEKAI NO OWARIの音楽にたくさんの人が魅了されたのだと思う。

革新的であるが故にやり玉に挙げられることもあったセカオワだけど、表現に対する姿勢は誰よりも貪欲で、様々なエッセンスを吸収してアウトプットしたからこそ、他のバンドにはない世界を作り出すことができたのだと思う。

「RPG」では行進曲のようなビートメイクにバンドサウンドを綺麗に調和することで、<絵>になる音楽を生み出した

まだそこまでバンドシーンにおいては定着していなかったEDMを素早く取り入れたのはSEKAI NO OWARIだった。

しかも目新しいからEDMを取り入れたというわけではなく、きっちり自分たちが表現する技法としてそれを取り入れていたのが印象的だった。

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音楽性をさらに広げていく

ここで紹介している楽曲だけみてもわかる通り、SEKAI NO OWARIって良い意味で音楽の型がない。

ファンタジー的とか世界観がある、みたいな切り取り方ができるわけだけど、音楽ジャンルとしては一切縛られていないことがわかる。

同じ人間が楽曲を作っていたらふつう、手癖みたいなものが見えてくるし、良くも悪くも楽曲の色に共通点を見出してしまいがちである。

でも、SEKAI NO OWARIの音楽って、そういうのとはまったく違う。

常に新鮮で、常にその想像を上回っていく。

音楽をそこまで聴いたことがない人の心もきっちり奪う一方で、音楽に対するこだわりも尋常ではなく、(だからこそ、色んなタイプの音楽を高いレベルで取り入れることができる)音楽的な感動も生み出す。

その凄まじさはきっと『SEKAI NO OWARI 2010-2019』を聴けば、嫌というほど実感すると思う。

「サザンカ」のような歌を歌ったかと思えば、「SOS」のような歌も生み出してしまう、すげえバンドなのだから。

楽曲の幅が広いの次元を超えた凄まじさが、そこにはあるのである。

まとめ

レーベルを移籍し、さらなる進化を遂げようとしているSEKAI NO OWARI。

これからどんな風に進化を遂げるのか、まだまだ想像ができない。

でも、きっと自分なんかでは想像ができないワクワクを提供してくれるはず。

そんなことを強く思うのである。

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