前説

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このブログを読んでいる人は、テキトーにOKOJOというバンドを推していることにお気づきかと思う。

なぜ、このバンドを事あるごとに推しているか。

理由はシンプルで、今年、とてもバズりそうだと思っているからだ。

もちろん、今年はコロナの影響で、例年と違う空気が生まれているが、それでもOKOJOが今年なにかやってしまいそう、という空気感は備われていないように感じる。

なんせOKOJOの良さは、楽曲だけでもひしひしと伝わってくるからだ。

というわけで、この記事では自分にとってOKOJOが良いな―と思うポイントをいくつか紹介してみたい。

曲がキャッチー

良いところをシンプルに言葉にするならば、曲がキャッチーということだ。

聴けば一発で耳馴染むメロディー。

爽やかなボーカルの歌声。

印象的なギターリフ。

わかりやすいところで、たくさんの魅力を兼ね備えているのである。

10年代はロックフェスがブームになって、様々なバンドにスポットが当たった結果、意識的に変化球を投げるバンドも増えたし、当たり障りないキャッチーさだけでは通用しないフェーズになりつつある。

でも、OKOJOの作品は、そういう殻を破ってしまうようなキャッチーさがあるのだ。

特に近年の作品はよりバンドが持つキャッチーさに舵を切っているように感じられて、その迷いのない感じにぐっとくるのである。

かっこいいとダサいのバランス

ロック・バンドって自分をかっこよく魅せがちである。

泥臭いタイプであろうが、華やかなタイプであろうが、バンドそのものをかっこよくみせようとうする意識が見えがちである。

でも、OKOJOの場合、必ずしもかっこよくあろうとしていない気がするのだ。

少なくとも自分たちの実力以上に背伸びをしていない感じがするのだ。

等身大的というか。

ダサいことも包み隠さず魅せてしまう率直さがあるというか。

例えば、この歌の冒頭のサウンドは妙にレトロだし、ちょっとふにゃふにゃした印象を与える。

ふつう、自分たちの歌のタイトルに「最低な」なんてつけることもしないと思うのだ、見栄を張るバンドだったら。

でも、OKOJOはそういうことも臆することなく出していく。

この目線の高さ(低さ)みたいなものがOKOJOの作品に圧倒的な求心力を与えている気がするのだ。

楽曲からもキャラクターからもナチュラルさを感じるし、親近感を持つからこそより楽曲が輝いて見えるというか。

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たぶんひねくれている

勝手なイメージであるが、OKOJOって本心的にはきっとひねくれている気がするのだ。

キャッチーだし、ベタに通底している気もするが、楽曲をよくよく聴くと、そのタイミングでそんな音入れるのか?みたいなことをする。

変な質感の音をキーポイントになるところに当ててくるのだ。

もしかしたら、妙な引っ掛かりを覚えるからこそ、単なるキャッチーなバンド以上の印象を自分も持ってしまうのかもしれない。

OKOJOの前身バンドの作風も加味すれば、単なる“ベタな”バンドではないことはよくわかるしね。

そういうところもこのバンドの面白さなのかなーと思ってしまうのである。

まとめ

キャッチーだけど、外しているところもある。

バンドなのに、妙なダサさも感じさせる。

OKOJOってそういう「なのに」の使い方が絶妙なバンドなんだよなーと思ってしまうのである。

曲を発表するたびにキャッチーさの精度は増しているので、きっとサーキットイベントが解禁したら、一躍人気者になるんだろうなーと思うのである。

もちろん、これからのバンドではあるし、今後どのように進化していくのかが最大の目玉ではあるんだけど、改めて述べておく。

今年、OKOJOは間違いなくより存在感を示していく。

そのことだけは間違いない。

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