前説
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1998年にデビューしたアーティストは凄い人たちが多い。
今でもシーンで、影響力を持つアーティストは多いのだ。
特に女性アーティストが顕著で、宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、MISIAなど、錚々たるメンバーが揃っている。
何がすごいって、20年以上のキャリアがありながら、今でも現役で活動しているということだし、これらのアーティストはアーティスのファンのみならず、ライトな音楽好きやディープな音楽ファンからも支持されている。
それが何よりも凄い。
最初はアイドル的な見方をされていたり、少しバカにした見方をしていた人もいるのかもしれないが、現段階において、前述のアーティストをまったく「評価」していない人は、ほとんどいないのではないかと思う。
まさに98年デビュー組は豊作の年だったのだ。
そして、そんな1998年デビュー組として、一時代を築き上げた女性アーティストが、もうひとりいる。
それが、浜崎あゆみだ。
この記事では、そんな浜崎あゆみの話をしていきたい。
本編
浜崎あゆみについて
まず、前述のアーティストと比べると、浜崎あゆみはあまりアーティストとして語られることが少ないように思う。
「芸能人」というカテゴリーで語られることが多いし、今となっては音楽以外の部分(悪い言い方をすればゴシップ的なネタ)で話にあげられることがあまりにも多いような気がするのだ。
そしてそれに反比例するかのように、彼女の作品や音楽について語る人は、少ないように思う。
かくいう僕も正直、今の浜崎あゆみを丁寧に聴いているのか?と問われたら答えに窮する部分はある。
けども、浜崎あゆみを“オワコン”として語るのは間違いだよなーと思うのだ。
2014年に発表された、宇多田ヒカルのカバーアルバムに浜崎あゆみは参加した。
彼女がカバーをしたのは「Movin’ on without you」である。
で、錚々たるメンバーが揃っているなかで浜崎あゆみはどんな歌を提供するんだろうとビビっている部分もあったんだけど、フタをあけてみたら、凄い作品だった。
あのカバーアルバムでも一番を争うような名カバーだったと思うし、海外を中心にライブを行ってきただけあって、浜崎あゆみのボーカルとしての表現力は言葉にできないほどの凄まじさがあったのである。
今の浜崎あゆみってすごいんだなーと改めて感じことだし、これは近年のアルバムを聴いても強く感じるところである。
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浜崎あゆみの歌の魅力
では、浜崎あゆみの歌の魅力はどこなんだろう?という話をしていきたいんだけど、端的に言えば、歌詞だと思うのだ。
浜崎あゆみの歌って、本当に歌詞がすごく良い。
フレーズのひとつひとつがグサッと刺さるのである。
それを語るうえで紹介したいのが、代表曲である「SEASONS」。
なお、歌詞の話については、今年発売された『M 愛すべき人がいて』に、色々と「種明かし」的なものがかかれていたりもするんだけど、この記事ではそこは触れず、自分の書きたいことだけを粛々と書きたい。
さて、この「SEASONS」は浜崎あゆみを語るうえでも重要な一曲なんだけど、この歌詞を改めて読んでみると、やはりそこに感じるのは、どこかしらに漂う孤独感と、何ともいえない物悲しさなのである。
だって、この歌の一番のサビの歌詞がこれである
今日がとても楽しいと
明日もきっと楽しくて
そんな日々が続いてく
そう思っていたあの頃
<あの頃>と綴っていることからわかるとおり、今は<今日が楽しい>とも<明日が楽しい>とも、<そんな日々が続いていく>とも思えないわけで、そのことを想像するだけでなんだかゾクゾクしてくるわけだ。
しかも「あの頃ならそんな夢みたいな話を信じられた」という部分も含めて、この歌の悲しさが増大していく。
しかも、この歌はそんな悲しい日々に対して必ずしも悲観的にならず、今でもどこかに光があることを信じて歌われている。
そういうひたむきさも含めて切なさを感じるし、末尾に締めくくられる「僕らは今生きていて そして何を見つけるだろう」というフレーズ含めて、グサッと言葉が突き刺さってくるのである。
あと、D・A・I作曲の浜崎あゆみソングって、紛れもなくどれも良いのだ。
この「SEASONS」もD・A・I作曲なんだけど、本当にD・A・I作曲の歌はどの曲も名曲なのだ。
D・A・I=Do As Infinityが、この当時、いかに素晴らしい作曲センスを発揮していたのかも、合わせて語りたいよなーと感じてしまう。
さて、個人的に好きなバラードとして、この曲もあげておきたい。
「NEVER EVER」である。
この歌でも通底しているのは、望んでいた幸せには届かなかった現実と、それでもどこかに希望を信じている願いを秘めているというところである。
サビの歌詞だけみてもらっても、そのことがわかるのではないかと思う。
浜崎あゆみの歌には、こういうやりきれない悲しみが忍ばされていて、胸の柔らかい部分に言葉が刺さってしまう。
だから、単なる「メガヒットした歌」以上の感動を、この歌に喚起させられるのだる。
なお、悲しい歌詞であるのは、バラードだけではない。
「evolution」は、アップテンポなダンス・チューンであるが、やはり歌詞には、不思議な孤独感と仄かな希望が描かれている。
浜崎あゆみの歌が大きく支持されたのは、こういう悲しさを抱え込み、それを表現してみせたところにあると思う。
まとめ
たぶん宇多田ヒカルやaikoや椎名林檎は天才なんだと思う。
音楽的センスが死ぬほどあって、それをさらに磨き上げることで、化け物になっていた。
そういう類のアーティストだと思う。
前述のアーティストと比較すれば、浜崎あゆみは決して音楽的才能に恵まれていた人ではないように思う。
でも、ある意味で「普通」だったからこそ、ここまで刺さる言葉を歌詞にできたのだろうし、悲しさそのものを表現することができたのではないかと思ったりもする。
色々な本が出ているので、浜崎あゆみの人生そのものについては言及することは控えて送くが、大人の思惑でズタズタにされたり、常に逆境の中で活動してきたことは、こういった歌の中でも想像できるのではないかと思ったりする。
そして、今は全盛期が過ぎて、ある程度は自分のペースで活動できるようになってきたからこそ、ボーカルとしての表現力が増していき、アーティストとしてさらなる磨きがかかっているのだと思う。
そんな浜崎あゆみに、改めて敬意を表明したいと思うのである。
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