前説
正直、自分はライブレポを書くのは苦手で、よっぽどなことがない限りは書かないようにしている。
理由は二つある。
一つは単純に記憶力が悪いから。
セトリも覚えられないし、MCや細かなライブの景色を覚えることができない。
なので、トータル的に「このライブ、めっちゃ良かったな〜」とは言えても、その良さを細かく描写するのが苦手なのである。
その文章を読んで、体験したライブの光景を頭の中に蘇らせる、というのがライブレポのひとつの目的なのだとしたら、自分はそういうライブレポは到底書けない。
そして、もう一つの苦手な理由は、単純に自分がそこまでピュアじゃないということ。
ガチファンのライブ終わりのテンションって「うおおおおおおおおおお最っっっっ高ぉーっ!!!!!」って感じじゃないですか?
でも、僕の場合、一部のライブをのぞくと「あー楽しかったな〜あ〜でも、疲れた〜〜〜〜」くらいの感じなのである。
ぶっちゃけてしまうと、サガミのコンドームくらいにテンションが薄いのだ。
なので、いざ言葉にしようとしてもそこまで熱を入れることができず、だったら別に自分がこのライブのレポを書かなくていいか〜、どうせどっかのライターがそれを書くし〜という気分になってしまうのだ。
ユニゾンのライブの場合、どうせロッキンなら蜂須賀さん辺りが、ムジカなら鹿野さん辺りが書くんだろうなーって思うし、フォロワーならソノダさんとかあの辺が書いてくれるだろうし。
でも、書きたいと思った
それでもなぜ、ユニゾンのライブレポは今書こうとしているのか?
実を言うと、自分でもびっくりしているんだけど、ユニゾンのライブにめちゃくちゃに感動してしまったのである。
間違いなく楽しいだろうし、よかったなーとは思えることはわかっていたけれど、こんな気持ちになるなんてと、自分でもびっくりしている。
まさか感動させられるとは思っていなかったから。
ほんとさ、珍しくライブの余韻に浸りまくりで、ライブの曲順と同じプレイリストで作っちゃって、再度、聴き直してしまうほどなのである。
なんか書いていて、我ながらに気持ち悪いなーなんて思うけども。
もちろんさ、好きなバンドの大きな舞台なのだから感動して当たり前でしょ?という話なのかもしれない。
でも、本当の意味で「当たり前のこと」しかそのライブになかったのだとしたら、目頭が熱くなるほど、そのライブに入り込まなかったように思うのだ。
うわあ〜〜楽しかった〜〜〜!!やっぱりユニゾンって最高だな〜〜〜!!くらいのテンションになることはあっても、次の日になっても余韻が残るような、そんなどでかい感動を味わうことはなかったように思うのだ。
ライブレポを書きたいとまで、思わなかったと思うのだ。
でね、平たく今の気持ちを言葉にすると、なんかわからんけど、すこぶる感動しているこの気持ちをなんとか言葉にしたいって、すごく思ったの。
なので。
この記事では、斎藤が最後のMCで自分のことを主語にしてみせたように、自分がなぜあのライブにそこまで感動したのかっていうことを、ただただ自分ありきの話として考えてみたいと思うのだ。
セトリに感動した
アルバムツアーではないライブ。
15周年を総括する一度きりの大きなステージ。
何の縛りもないライブだからこそ、記念碑的なライブだからこそ、どんなセトリがくるかはまったく想像がつかなかった。
特に最初はどんな歌で始まるのかの注目はすごかったと思う。
イズミカワソラの「絵の具」で入場してくるメンバーは、最初、斎藤の歌声のみでライブをスタートさせた。
頑なにライブで披露しなかった「お人好しカメレオン」が、最初の一曲目となった。
色んな選択肢がある中で、この歌を最初に選んだのは、ユニゾンらしいなーと勝手なことを思った。
なんとなくだけど、この歌を最初に選んだのは、ずーっとユニゾンのライブに足を運んでいる人が一番「おーっ」てなるためにしたかったからではないかと思ったのだ。
田淵っぽい言い方をするならば、毎年ライブに通っている人が一番得をする形にしたかったからなのではないかなーなんて思ったわけだ。
きっと足繁くユニゾンのライブに通ってきた人ほど、最初に「お人好しカメレオン」を演奏すること、しかも斎藤のボーカルのみで始まるアレンジに、衝撃を感じたと思うのだ。
なぜなら、今までライブでこの曲を披露しなかったから。しかも、満を持しての披露が、音源とは違うアレンジであるという計らいをしたから。
ユニゾンのライブにずっと行っている人だからこそ感じられる感動を、初っ端に忍ばせる。
ずっと自分たちを応援してくれた人だからこそ感じられる感動を、ボーナスとして与えてみたいなんて思いがあったからこそ、あえての「お人好しカメレオン」始まりだったのではないかと、僕は思うわけだ。
以降、どの歌を歌っても「間違いがない」ユニゾンのライブは全曲がハイライトになる。
んだけど、陽が落ちて鈴木貴雄がドラムソロを行なってから以降は、本当に真骨頂って感じがした。
「天国と地獄」「fake town baby」「徹頭徹尾夜な夜なドライブ」「シュガーソングとビターステップ」という怒涛の流れ。
彼らの15年のキャリアで生み出した、鉄板にも近いアがる歌の連続。
既に20曲以上歌っていて、体力的にはだいぶ削られているはずのメンバー3人は、そんなことを一切感じさせない佇まいとパワフル且つシャープな演奏で魅力していく。
そして、エモいMCを挟んでからの「さわれない歌」からの「桜のあと (all quartets lead to the?)」からの、たかおがラストっ!と叫んでからの「オリオンをなぞる」からの、<ココデオワルハズガナイノニ>からの、最後に本当にトドメをさせてくる「センチメンタルピリオド」。
好きも嫌いもベタもベタじゃないもどうでもよくなるような、ユニゾンのライブのかっこよさが凝縮された流れ。
ユニゾンのキャリアにおける鉄板に舵を切ったような流れは、自分たちが今一番楽しいと思うやり方を、改めて全員に見せつけるための流れだったんじゃないかと思っている。
今のユニゾンがどれほどカッコいいバンドなのかを全員に見せつけるために。
自分たちが思う、自分たちだけにしか出来ないかっこよさを見せつけるための、そんな流れだったんじゃないかと思うのだ。
結果、僕は興奮も感動も全てをぶち込れて、気持ち悪いオタクみたいに、ぐわああああああ、って感じの気持ちにさせられたんだけどね。
演出に感動した
正直、このスケールでライブをやるわりには演出は地味だったように思う。
ユニゾンにしては派手かもしれないが、他のバンドなら相当にシンプルな演出だったように思う。
でも、この演出も全て意味があるというか、きちんと哲学があったものだったように感じる。
そういう諸々も含めて「演出に感動した」と僕は言いたい。
ユニゾンの特徴って、ライブの中心にあるのが「ライブパフォーマンスそのもの」であることだ。
ここでいうライブパフォーマンスとは、歌と演奏のその二つである。
よくユニゾンのことを評するとき、「田淵の動き」の話をよくする人がいるけれど、本質的にはあれって瑣末なものである。
というか、田淵のライブパフォーマンスそのものの楽しさとか、パフォーマンスすることによる「うぇーい」っていう感覚を表現した結果がアレなのであり、田淵の動きは結局のところ、ライブパフォーマンスに還元されるよなーという話なのだ。
ユニゾンのライブの根本は、どこまでいってもカッコいい歌と演奏にあるというわけだ。
だからこそ、今回の大きなライブでも、ユニゾンの歌と演奏を魅せるうえで必要な演出だけがそこにあるし、不必要なものは排斥されていたように思うのだ。
打ち上げ花火は必要だったからあったし、花吹雪は蛇足になるからなかった。(というか、ライブの終わりだから花火が上がっただけで、ライブの流れを塞きとめるような大きな演出はありえなかっただろうけど)
ビジョンもあのサイズのビジョンが二つあれば、自分たちのパフォーマンスを2万4千人に魅せるうえでは十分で、それ以上は蛇足になると判断されたからああなったのだと思う。
照明は必要だから稼働しまくりだった。
大げさではないけれど、こだわりぬいたライトディレイクションがそこにはあった。
一方、モニターを使っての演出は、基本不要で、鈴木のドラムソロ時の「月」以外は排斥されていた。
何が言いたいかというと、ユニゾンのライブに入り込むために必要なものだけが厳選されて、そこに配置されてあったということ。
たぶん相当にこだわりぬいた結果、あの演出に落ち着いたんだろうなーって気がしたのだ。
派手じゃないからこそのこだわりを実感したし、派手じゃないからこそ、ユニゾンのメンバーの表情一つ一つに着目することもできたわけで。
もちろん、大前提として、演出をあれだけ簡素にしても、飽きさせないライブバンドとしての実力がユニゾンにあるからこそ、達成できたことではあるんだけどね。
どこまでも貪欲に、愚直に自分たちの技術を磨き上げたバンドだからこそ、あの演出が最適になるわけだ。
あと。
どこでライブをやっても、「いつも通り」を大事にして、淡々とライブバンドとしてやるべきことだけをこなすバンドが、その日はいつも以上に音楽をプレイするということに対して、感情を爆発させていた。
この感情の爆発こそが、ライブにおける最大の演出であったことは、改めて付け加えておきたい。
MCが感動した
ユニゾンって決して他のバンドよりもたくさんMCをするわけじゃないし、少なくともステージ上ではそこまで想いを吐露するバンドではない。
実際、15周年のライブだって、そこまでMCが多いわけじゃなかった。
結成時の自分たちを振り返るようなMCはしたし、15周年を総括するようなMCもしたけれど、他のバンドと比べたら、そこまで長い時間、想いの丈を述べていたわけではない。
実際、ユニゾンの頭脳とも言うべき田淵に至っては「UNISON SQUARE GARDENっちゅうのは、カッコいいバンドだな」「今日はよく来た」「またやるぞ」しか、言葉としては発していない。
でも、おそらく、あの場にいたほとんどの人は、これだけのMCで十分、彼の想いが伝わったと思うのだ。
実際、僕もあのMCからの「さわれない歌」が一番感動した。
言葉数の少ないMCと、そのMCを発したときの田淵の顔、そしてユニゾンというバンドに対する想いが込められたように感じる「さわれない歌」の歌詞。
あの短いMCにも、この日の感情の爆発が透けて見えた気がしたし、その爆発は「さわれない歌」を始め、ライブで披露する曲の中に全力で投影しているように、僕は感じた。
MCで放つどんな言葉よりも、「オリオンをなぞる」の<あなたがいて>の歌詞を強く歌ってみせる斎藤の姿に、何よりも今日のライブに対するメッセージをみてとれたし。
ユニゾンって、MCという言葉そのものではなくて、ライブパフォーマンスの中に何よりもメッセージを込めるバンドであることを感じた。
だから、MCは少ないんだけど、ライブで披露された曲全てが、感情を吐露したMCみたいなところがあった。
2時間半妥協なく、全力のメッセージをそこに投影しているように感じた。
で、そんなユニゾンを観て、改めて思ったのだ。
あ、ユニゾンってかっけえバンドだなって。
ロックバンドはMCで言葉を述べなくても、ライブがカッコよかったら、それが何よりのメッセージになる。
そのことを改めて感じさせられた。
最初から最後まで、ライブの全曲がハイライトだったという言葉の真意は、ここにある。
ユニゾンはかっけえバンドだよ。
まとめに替えて
あと、一つ。
斎藤が最後に発した言葉が「ありがとうございます」ではなく、「お疲れ様」だったこと。
ここで彼が「お疲れ様」と言った真意を僕はきちんとわかってはいないんだけど、ただ、これからも自分たちは自分たちために音楽を鳴らすことを宣言したユニゾンだからこそ、お疲れ様という言葉がサマになっていた。
そして、こういう言葉がサマになるバンドだからこそ、カッコいいと思えたということ。
そんなサマがカッコいいと思えるバンドが、楽しいも感動も含めて、感情を爆発させていた1日だったからこそ、途方もない感動している自分がいたということ。
祝いにいったつもりだったのに、いつのまにか感動させられて、魅力されていて、祝うことを忘れてしまっている自分がいた。
これは不本意なことである。
やり逃げはずるい。
ユニゾンはいつも、そうである。揺さぶりをかけて予定を狂わせてくる。
だから。
もう一度さ、きちんとどこかで祝わせてほしい。
田淵が言った「またやるぞ」と言ったその言葉。
5年後の20周年のどこかのステージ。
きっと今よりもカッコよくなっているユニゾンの変わらないけれど変わり続けるその姿。
首を長くして、待っています。