前置き

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どんなバンドが好きでもいいとは思う。

どんな音楽を嗜んだっていいとは思う。

けれど、薬物中毒のように特定の音楽ばかりにハマってしまい、それで私生活に影響が出てしまったら、やはりまずいよなーと思う。

手を挙げてください。

薬物中毒のように、メンヘラバンドばかり過剰摂取してる人、いるんじゃないでしょうか?

まあ、メンヘラバンドと言われてるバンドは別に「メンヘラ」ではないことは、当ブログの他の記事でも指摘した通りではある。

問題はそれぞれのバンドが持つメンヘラ的要素に反応し、極端なまでに共感してしまうリスナーの心理状態にあると思うのだ。

この記事ではメンヘラバンドの「メンヘラ性」に過剰なまでに反応してしまうあなたが、メンヘラバンドを良い意味で卒業するにはどうしたらいいのか、そこを考えてみたい。

本編

なぜ人はメンヘラになるのか?

メンヘラとはそもそも何なのか?という所から始めてみよう。

一般的なイメージは「束縛が強くて、裏切るとキレてくる、やたらと人に対する依存度の強い人」なのではないかと思う。

本当の「メンヘラ」は、こういう定義とは違うわけだけど、この記事における「メンヘラ」とは、そういうものを指す。

でさ、そんな「メンヘラ」と呼ばれる人たちは、なんでそこまで過剰に人に依存してしまうのだろうか?

これに対する答えってシンプルで、その人の過去に、他人から心を傷つけられてしまうことがあったからだと思うのだ。

それは、家庭環境によるものかもしれないし、昔の恋人にあるのかもしれない。

もしかしたら、友達との何気ないやり取りで、心が傷つけられ「メンヘラ」になった人もいるかもしれない。

いずれにせよ、誰かから心を傷つけれた。

そして、その反動から、この人なら自分の気持ちを癒してくれる、という人に対し、過剰に依存してしまう。

きっと、そういうことだと思うのだ。

だから、メンヘラ思考の人はこんなことを考えがちだ。

こんなにも傷つくのは、私がおかしいからなのではないか?

自分は本当にこの世界で必要とされているのだろうか?生きていて、意味はあるのだろうか?と。

要は、自己肯定感が低いのだ。

だから、こういう心理状態になるのかなーと思うのだ。

自己肯定感が低いということ

たぶん、自己肯定感の強いメンヘラはいないと思うし、自己肯定感の低さがメンヘラの大きな要因だと思う。

ところで、この「自己肯定感が低い」という言葉も最近よく聞く。

この「自己肯定感の低さ」って結局のところ、何なのだろうか?

要は、自信がないってことでしょ?と言われたらたしかにその通りなのだ。

けれど、この言葉に対して、もう少し踏み込んで考えてみたい。

「メンヘラ」もそうだが、自己肯定感の低さも対人関係の中から生まれるものだと思う。

僕はいわゆるコミュ症側の人間なんだけど、こういうタイプだから、仕事であれプライベートであれ、むむ〜と思うことが多い。

人とコミュニケーションをするたびに「あ〜もっとうまいことできたのにな〜」って、そういうことばかりを気にしちゃうのだ。

で、こういう事が積み重なると、自分ってダメだな〜という気持ちが強くなり、自己肯定感が低くなってしまう。

憧れの自分と、現状の自分にギャップが生まれる。

これこそが、自己肯定感の低さの正体だ。

一度こうなると、自分の認めて欲しいところを認めてもらえたら、死ぬほどの喜びになる。

ダメンズに惚れてしまう女もそうなのだが、自分が役に立っているという実感は、人の肯定感を高めてくれる。

だから、自分が心を許した相手に対し、過剰なまでに依存してしまうのかなーなんて思う。

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どうしたら克服できるのか?

本題である。

どうしたら自己肯定感を取り戻し、メンヘラである自分を卒業し、最終的にはメンヘラバンドを良い意味で卒業できるのか?

まず、メンヘラと、自己肯定感の低さには、共通しているものが一つある。

それは、意識が自分にばかり向いているということ。

どういうことか?

順を追って説明していきたい。

まず、人間って面白い生き物で、意識したものだけが見えるし聞こえるという習性がある。(もう少し言えば、無意識という部分も絡んでくるのだが、話がややこしくなるので、ここでは割愛する)

でね、メンヘラ系の人は、あまりにも過度に自分に対する意識が強いフシがあるのだ。

冒頭のメンヘラの項目でも書いたが、「こんなにも傷つくのは私がおかしいからなのだろうか?」と落ち込むこと=意識が外側ではなく、自分に向いていることがわかる。

また、自己肯定感の低さに関してだって、同じことが言える。

だって、自己肯定感の低さって、憧れの自分と現状の自分に対するギャップから生まれるものなわけだ。

やはり、これも意識が自分に向いていることがわかる。

例えば、自傷癖のあるメンヘラが自傷をやめることきって、好きな人ができたときだと思うのだ。

これは、好きな人という他人に意識が向いているから、生まれるものなわけだ。

もちろん、その人とのやり取りで、少しずつ傷を蓄積してしまい、自己肯定感を失い、意識が自分の方に向き出せば、またメンヘラ的行為に走ってしまう恐れはあるが。

いずれにせよ、相手がどう思っているのかという外向きの想像力よりも、自分への意識という内向きの想像力が強くなればなるほど、メンヘラ的行為は加速してしまうことは言える。

でも、それってすごいことなんだよ!

でもね、思うんですよ。

自己肯定感が低いって言ってるけれど、本当の意味で、自己肯定感が低かったら「自己肯定感が低い」という思考すら生まれないと思うのだ。

自己肯定感の低さとは、憧れの自分と現状の自分とのギャップから生まれるものだと述べたが、これって現状の自分であることが「悔しい」と思うから芽生える感情だと思うのだ。

向上心があるから芽生える感情だと思うのだ。

客観的に自分を見れるから芽生える感情だと思うのだ。

それって、すごいことやん。そう思うのだ。

きっと自己肯定感が低い人は、すごく頑張り屋さんなのだ。

悔しいと思えるし、頑張ろうって思える。

そういう気持ちが持てる、とてもすごい人なのだ。

メンヘラだって、本質的には、同じことだって思っている。きっとすごいんだよ。メンヘラは。

そんなメンヘラの克服法は?

この記事での答えはひとつだ。

意識を他人に向かわせてほしい。

最初は愚痴でも不満でもいいから、意識を他人に向けること。これが重要なんだと思う。

いきなり他人が難しいのなら、最初はモノでもいいかもしれない。

そうやって、自分!自分!となってしまう意識を和らいであげたら、人とのコミュニケーションはナチュラルになってくる。

良い意味で、自分なんてどう思われてもいいや。それより目の前にいる人にはどのように接したらいいかな、というメンタルで人と接することができれば、メンヘラからも脱却できるし、自己肯定感も取り戻せるようになると思う。

まあ、それができるなら苦労しねーよって話なのかもしれないが。

まとめ

もう一つだけ自分に強く意識が向かいすぎてるなーというときのオススメの方法があって。

それは五感を研ぎ澄ませるということ。

というのもね、精神的に病んでるときって五感が上手に働いてないことが多いように思うのだ。

部屋の匂いとか、全然気にしなくなるというか。

そんな時、五感を使う、ということを強く意識しながら外に出かけると、それだけで自分の意識って大きく変わる。

固まった意識でラベリングしていたものが、ペロッと剥がれたりするのだ。

いずれにしても、自分に向かいすぎている意識を外側に向けること。

これがとても重要だ。

もし、それでも、どこで何をしたらいいのかわからない、というのであれば、ひとつ、個人的におススメできるものがある。

それは、ライブハウスだ。

あの場所ほど、強制的に五感が刺激される場所もないし、強制的に意識が他人(アーティスト)に向かう場所もないと思うのだ。

つまり、メンヘラから卒業し、メンヘラバンドからも過剰依存から卒業する方法はひとつ。

それは、メンヘラバンドのライブハウスに通うこと!

というすごく逆説的なオチをつけて、この記事はおしまいにしたいと思います。

ではではではでは。

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