2018年12月の頭に発売されたASIAN KUNG-FU GENERATIONのニューアルバム「ホームタウン」。
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個人的に、このアルバムにグッときたので、その理由について書いてみたい。
サウンドがカッコいい
多分このアルバムを良いと思っている人の99%が感じていることだと思うけれど、このアルバム、とにかくサウンドがかっこいいのだ。
もちろん、サウンドのかっこよさって、色んなタイプがある。
例えば、こういうの。
こういうサウンドは、わかりやすいかっこよさだと思う。
誰がみても、カッコいいと思う。
こんなん真似できないわ!超絶テクニックすぎるわ!みたいな感覚。知識云々関係なしに、圧倒させられるタイプのサウンドである。
こういうサウンドと比べると、アジカンのサウンドって言うほどすごくないのでは?そう思う人もいるかもしれない。
当然ながら、アジカンの新譜のかっこよさは、こういうタイプとはベクトルが違う。
もし、譜面に起こして、アジカンの演奏のコピーしたとしても、コピーそのものはそこまで難易度が高いものではないと思うのだ。
今作のアジカンのサウンドはシンプルだし、基本的にはそこまで複雑な技法は用いていないし。
ただし。
仮に楽譜的には「同じこと」ができたとしても、おそらくアジカンのような音にはたどり着けないと思うのだ。
軽音楽部なんかでアジカンの新譜をコピーしたとしても、全然アジカンの風格が出せないと思うのだ。
この、弾けるのに似せられないところに、今回のアジカンのサウンドのかっこよさが潜んでいるわけだ。
リズムも技法も基本的にはすごくシンプルである。
が、逆に言えば、サウンドがシンプルだからこそ、今回のアジカンのサウンドの格好良さが際立つわけだ。
その格好良さがどういうものかは「クロックワーク」や「ホームタウン」を聴けば一発でわかると思う。
根底にあるのは、低音にこだわったサウンドメイキング。
「クロックワーク」でいえば、最初はギターアルペジオから始まって、その後にベースが入るんだけれど、ん???ベースの音、クリアすぎひん???ってなると思うのだ。
よく、ギターとベースの違いがわからんとほざく女がいるけれど、この歌を聴かせたら一発で違いがわかると思うのだ。
だって、ここまで存在感強めにベースが入ってくることなんてないでしょ?どれだけベースの音を聴き慣れていない人だって、今ヌーンって入ってきたこの低音がベースだよ、って教えてあげたら「あ、これがベースか!」って膝をうつくらい、低音の存在が鮮明なのである。
また、2番の始まりではバスドラムのキックが主張を強めるけれど、ここの存在感もヤバイと思うのだ。
バスドラムがドッ!ってキックするたびに、うおっ!ってなると思うのだ。
このベースとドラムのキックの絡みだけでも、ご飯三杯は食えると思うんですよ。
あと、ギターがミュートして「ずずずずずず」って音を鳴らす時の響き方も全然違うし。
要は低音がクリアーに聞こえるということは、全体的な音の解像度が高くなるということだ。
だから、他のバンドでは堪能できないような、楽器の音の色気みたいなものをビンビンに感じられるのだ。
AVでいえば、モザイクありとモザイクなしくらいの鮮明度の違いである。
要は、アジカンの今作は無修正ビデオなのだ。
そして、この無修正具合こそが、アジカンのかっこよさそのものに繋がるわけだ。
もちろん、バンドサウンドに求めているのは、気持ち良さとか爽快感だけという人には「低音を強調されても〜」という話になるのかもしれない。
AVだってモザイクありの方が良いと思う人もいるし、ヌルヌル動く動画よりも、動きがおっそい動画の方が抜けるという人もいるかもしれない。
そもそも、バンド音楽が好きな人の「マス」に刺さるような音を作るとすれば、アジカンがやっている手間や時間は、わりとわりに合わない可能性が高い。
でも、アジカンはそれをやってのけた。
だから、アジカンのこのアルバムのサウンドは唯一無二のものになっているし、本当にサウンドにこだわっている人が最後まで拘りぬいたことがわかる仕上がりになっているからこそ、グッとくるわけだ。
そういう部分も含めて、アジカンの今回のサウンドはカッコいいものだとはっきりと言えるわけだ。
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他人の曲が多いのにアイデンティティがある
多分、バンドの名前を伏せて、ボーカルオフのバンドサウンドだけ聴かせても「あ、これ、アジカンの音だな」っていうことが一発でわかるくらい、今回のサウンドはアジカンの個性が滲みまくっていると思うのだ。
これってすごいことだと思う。
そりゃあ、MIYAVIとかKenKenみたいに、個性剥き出しにした技法で楽器を鳴らしている人たちならば、音だけ聴いても「あ、この人たちかも」ってわかるかもしれないし、変わった楽器を用いるバンドならサウンドだけ聴いてもこのバンドってわかったりするかもしれない。
が、アジカンのサウンドはシンプルそのもの。
少なくとも、アジカンしかやらないようなトリッキーな技法や、特殊な楽器は特に用いていない。
けれど、イントロを聴いただけで「あ、これはおそらくアジカンだろうな」っていうのがわかるのだ。
そういうアイデンティティがむき出しになっている。
これは前述した、低音を強くしたサウンドメイクが大きく起因するわけだけど、そういう理屈とか抜きにして、バンドサウンドだけでどのバンドかわかる音を鳴らしているって、単純にすごいことだよなーと思うのだ。
技法ではなく、音そのもので、生み出す個性。
なんなら、他のバンドと同じリフを弾いたとしても、アジカンという個性が出てしまうわけだ。
そういうこともあって、「クロックワーク」や「ダンシングガール」はウィーザーのリヴァース・クオモとの共作なんだけど、良い意味で共作感がないというか、アジカンそのもの感が出ているわけだ。
もちろん、元々アジカンがウィーザーっぽい要素を兼ね備えていることはあるにせよ、ここまで「アジカンの曲」になってしまうのは、サウンドそのもののアジカン性が色濃いからだと思うのだ。
つまり、アジカンにしかない個性がビンビンのサウンドだからこそ、どの歌もアジカンにしかない圧倒的感が滲み出るのであり、結果、このアルバム、すげえ良いなあ!ってなるわけだ。
メンバーが楽しそう
これって感覚的な問題かもしれないけれど、バンドサウンドって弾き手の感情というか想いというか、そういう目に見えないものが載っかるものだと思っている。
だから、バンドが病んでいるときに作っているアルバムは、仮にかなりポップなテイストのアルバムだとしてもどこかに「闇」を感じちゃうし、やる気がない中で、急ぎで作ったアルバムだったりすると、そういうやる気のなさみたいなものを何となく感じてしまうことがある。
そういうことを考えたとき、今回のアジカンから感じたものは、ハッピーな感覚だった。
やりたいことをやってやったぜ!みたいな感じ。
鳴らしたい音を鳴らせている喜びに満ち溢れている感じ。
だから、聴いていて、すごく幸せな気分になるのだ。
歌詞を読んだら、決してポジティブなフレーズばかりが並んでいるわけではない。
考えさせられるフレーズだっていくつかある。
けれど、僕が最終的にこのアルバムから感じたものは、不思議と多幸感そのものだった。
それはアジカンがそういうモードで音を鳴らしていたからだろうし、変に人に媚びずに自分の好きを突き詰めて音を鳴らしていたからだと思うのだ。
バンドの多くはリスナーが求めているものを大きな物差しにして音を作りがちだ。
けれど、今回のアジカンは違う。
本気で自分たちが良いと思うものを、どのような形で提供したらリスナーに良いと思ってもらえるのか、自分の納得のいくクオリティーを自分たちの感性でカスタマイズさせて行きながら、自分たちが納得する形でパッケージにする。
そういうことを突き詰めた作品のように感じるのだ。
だから、音を聴いて感じるのは、ポジティブな感情だったのだ。
実際、ゴッチはきっとこういう音が良いと思っているんだろうなーみたいなものがビンビンに伝わってくる作品になっているんだもん。
そんなん、良いに決まってるやんっていう。
まとめ
音楽であれデザインであれ文章であれ、自分が思っているものを形にすることほど難しいことはない。
けれど、アジカンはそれをやってのけた。
それだけでも、このアルバムは名盤だと思うのだ。
バンドのサウンドメイキングという視点に立てば、このアルバムはひとつの頂点のように僕は感じる。
まあ、この記事を無理矢理にまとめてしまうと、アジカンでしか体験できない音がパッケージされているからこのアルバムが大好きなのであり、他のバンドだったら拘らない所に拘っているからこそ、よりグッとくるんだよねーという、そういう話。
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