ぶっちゃけ、どうでした?聴いてみた感想?

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やっぱり、人の数だけ感想があるかと思うのだ。

めっちゃ良いやん!って思う人がいる一方で、「う〜〜〜〜ん。微妙。」という人だっているとは思うのだ。

でもね、これだけは言えるんじゃないかなーと。

中身、濃っ!!!!!

だって、シングルCD一枚でここまで濃いやつ、なかなかないですよ。

マミーかと思って飲んだら、カルピスの原液でしたくらいの驚きの濃さ。

ホルモンじゃないと味わえない「コッテリさ」は健在だよなーと思うわけだ。

なんで、ホルモンってこんなにも「コッテリ感」を覚えるのか?この記事では、そのことについて書いていきたい。

4曲全てがエグい

今回のシングルは書籍として発売されたという事実はひとまず置いといて、この作品を音源として捉えるならば4曲入りのシングルということになる。

まあ、厳密に言えばCDには5曲収録されているわけだが、最後の1曲は劇場版アニメ予告編verなので、この記事では「4曲入りのシングル」という言い方をしたいと思う。

で、普通4曲入りのシングルとなれば、おおかた表題的立ち位置の1曲だけが死ぬほど気合いを入れており、残りの3曲は、ビックリマンチョコでいうところのチョコレートというか、チョコエッグでいうところのチョコレートというか、残りは本命をサポートするためのもの、みたいな構図が透けて見えることがある。

あるいは、全曲とてもクオリティーは高いんだけど、よ〜く聴くと曲のパターンが似通っていて、統一性はあるんだけど、トータルでみると、バイきんぐの小峠の毛髪感があるというか、チェーン店の居酒屋のカシスオレンジ的アルコール度数感があるというか、そういうことがよくある。

まあ、シングル集というよりもep感というか、作品としての世界観とかバランス感を重視することが多いわけだ。

が。

ホルモンは全くの逆。

はっきり言って、どの曲もエグい。

どれも濃いし、どれも主役なのだ。

構成で言えば、一曲はセルフカバー曲なので、実質は3曲入りシングル+1やん、という捉え方をする人もいるかもしれないが、いずれにせよ、どの曲も存在感が濃いことは間違いない。

普通、豚骨ラーメンみたいな曲がきたら、次の曲はアレンジ軽めのさらっと聴けるやつを入れたりするやん。

シングルになりそうな曲は一曲に留めて、あとは「カップリングって感じの、通な人向けの曲やな〜」っていうやつを放り込んだりすることが多いやん。

好き嫌いはともかく、コッテリ具合は調節するもんやん。

けれど、ホルモンはそんなこと、一切しない。

ほんと濃いんですよ。阿部寛の顔より濃い。

4曲全てが濃いから、作品全体の感想としては「濃っ!!」って一言になっちゃうのだ。

メロディー展開が濃い

冒頭にある「maximum the hormone Ⅱ」なんかそんな典型の歌だ。

イントロのギターリフから存在感が強い。

レッド・ツェッペリンの「Heartbreaker」。

元ネタはこの曲らしいけれど、ホルモンって過去の音楽のリスペクトが半端ないなかで、さらにそれを落とし込んで自分たちのオリジナリティーを作るタイプのバンドなので、音楽の一部分を切り取っても濃いわけだ。

Aメロになると、ホルモン流のカオティックハードコアと、ダイスケはんのうるさい声により、良い意味でカオス感が強めの展開になっていく。

そこから先の展開も、リズムのノリが恒常化しないように、色んなパターンのリズムが展開されて、サビまでの道のりに一切手が抜かれない。

そうやって曲の展開をどんどん膨らませていく。

で、サビに至るまでの道のりがここまで刺激的であれば、サビはどれだけ爆発力があってエネルギッシュなものが来るのだろうとワクワクするわけだ。

が、最終的にやって来るのはまさかのディスコパート。

テクノ的というか、ダフトパンク的というか。

チップチューン的な音楽要素を取り込んだという話だが、驚きなのはメロ部分とのギャップである。

さっきまでゴリゴリのハードコア感あったやん。

ファンモンファンを殺しそうな音を鳴らしていたギターが、サビでは、ナイル・ロジャース的なカッティングに切り替わるのは、流石というか何というか。

この振り切り方が=楽曲の濃さに繋がっている。

こういう選択・構成ができるのって、ホルモンメンバーがどれだけたくさんの音楽を聴いてきたか?ということの表れだろうし、どれだけ楽器を練習してきたかということの表れでもあると思う。

アイデアとして、こういう発想をすることはありえても、それをきちんとしたものに落とし込んだり、スリリングな展開に落とし込んで表現できちゃうのは、ホルモンがそれだけの技術を要しているからに他ならない。

圧倒的なる技術とセンスがあるから、「ああ、ホルモンってコッテリしているわ〜」と思えるわけだ。

「G’old~en~Guy」でも、ジャンルレス感、無敵感、コッテリ感が圧倒的にあって、レッチリとアニソンが融合した鬼作になっている。

しかもサビはキャッチャーで親しみやすさもある。

「拝啓VAP殿」も、亮君の音楽ルーツを惜しみなくぶちこんだ快作になっている。

「拝啓VAP殿」に関してはこちらの記事で色々書いたので、よかったら読んでみてほしい。

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歌詞がエグい

語感に合わせて好き勝手書いているように見える歌詞だけど、ホルモンの歌詞って奥深い。

今回の歌詞も奥深さというか、メッセージというか、色んなものを感じる仕上がりになっている。

「G’old~en~Guy」って、新宿のゴールデン街に飲みに行ったら楽しかった!っていう、言ってしまえば、それだけの歌詞である。

なんだけど、妙な闇を感じるというか、リア充感を一切出さないところが、天才的だよなーと思う。

ただ、ホルモンって今までこういう社交性のある歌をあまり歌ってこなかったわけで、だからこそ今と昔の対比がよく見える歌になっているし、ホルモンの「これからの」がよく見える歌になっている。

「拝啓VAP殿」だって、レーベル移籍という観点から、今までのホルモンとこれからのホルモンを歌った歌だし、「maximum the hormone Ⅱ」なんかも亮君が痩せたという観点から、今と昔を歌ってみせた作品になっている。

もちろん、「これからの」に触れることで何を感じるのかは感受性の問題になるのだろうが、僕はここにエグいエモさを感じた。

というのも、僕はホルモンの「ぶっ生き返す」くらいを高校生で聞いていた人間なんだけど、今ではすっかりアラサーになってしまった。

そういう僕と同世代の人って、当時は「ホルモン、神っ!!!」というノリだった人が多かったわけだけど、歳を重ね、すっかり社会に染まってしまい、今では音楽に現を抜かす暇があれば、家族サービスをしたり、社畜となって生きていたりするわけだ。

そんな人の多くは、今ではもう、ホルモンのことを想い出の対象としてしか見ていないことが多い。

そんな、ホルモンからすっかり離れていた人に限って、ふとしたタイミングでホルモンを見ると、うっかりこんなことを口にするわけだ。

「なんで亮君、痩せたの?」

亮君のインタビューを読むと、太っていた時の方が良かったという気持ちはわかるし、そう言われることには別に苛立ちを感じないが、痩せてから何年も経ったいまさらになって「なんで亮君、痩せたの?」って言われるのは、むっと思ってしまうそうだ。

なんで俺たちのこと、全然見てないねん、と。

そこで、亮君の闘争心に火がつく。

復習モードが始まるのだ。

それにしても、この歌が面白いのは、デブ時代の亮君の方が良かったと肯定するフレーズとそれに対するツッコミを細かく繰り返していくところだ。

単に亮君が「うるせえーこのヤロー!」と自己肯定するのではなく、デブ時代を肯定するフレーズを随所随所に挟むことで、まるで高速喋くり漫才のような応酬を繰り返すわけだ。

まるで霜降り明星の漫才を見ているかのような心地。

このやり取りひとつひとつをみて、エモさを感じるわけだ。

ああ、あの頃には戻れないんだろうなーみたいな、妙なセンチメンタルを感じるわけである。

でも、ただエモいだけじゃなくて、漫才のようなエンターテイメントさもあるから、エモいだけじゃない面白さもあるわけだ。

この両刀感はホルモンの圧倒的な魅力だと思う。

そして、どの歌詞にも通底していえることだけど、メロディーに言葉を載せるセンスが巧みである。

もともと、日本語を英語っぽく載せるのがホルモンの凄さのひとつだが、ちゃんと日本語歌詞として意味が成立させつつ、ある種、洋楽を聴いてるようなノリで日本語歌詞を聴かせてしまう、そのセンス。

この二つを成立させているところも、ホルモンの濃さに繋がるのだろうなーとつくづく感じるのだ。

あと、ホルモンってやりたいことをただやっているように見えるけれど、きちんと常に相対化していることがよくわかる。

自分たちが「どう観られているか」をちゃんと把握する冷静さも持っているからこそ、こういう歌詞が書けるのだろうし、ホルモンの底知れなさを感じるわけだ。

ただのハッピーソングに闇を感じさせたり、殺伐としそうな歌詞をエンターテイメントに消化してみせたり。

単なる自己肯定とアピールの場にしないで、メッセージを込めながらも笑えるものに仕立てあげるセンス。

総じて、エグいよなーと思うわけだ。

ホルモンって単純にエグい

時代に逆らって頑なに同じスタイルをずっと貫くバンドというわけでもなく、かと言って、流行りに流されてあっさりスタイルを変えちゃうような、スタイルブレブレの寒いバンドでもない。

ここは変えていくけど、ここは譲れないという軸が見えるからこそ、今作のテーマの一つである「これからの」が際立って見えるし、これからのホルモンにも期待できるよなーと感じるのだ。

新しいことにチャレンジしているのに懐かしさもあって、トータルでみたら「やっぱり、ホルモンだな!」と感じさせる、母親の作った味噌汁のような安心感。

亮君の原点あり、過去曲のセルフカバーあり、ディスコを始め新たなホルモンを見せるようなこともしてうえで、「これからの」というテーマをちゃんと描き切ってみせる感じ。

メタルシーンにも、パンクシーンにも直接は属さないホルモンだからこそ、このようなジャンルレスな、こってりな作品が作れたのだろうなーと思うのだ。

あえて言うならば、ホルモンというジャンルが成立するからこそ、この4曲は軸が明確なうえで、どれも圧倒的な濃い仕上がりになったというか。

メンヘラマインドの亮君だからこそ、この世界観を見事に立体的にすることができたのだろうなーと改め感じるわけだ。

めっちゃ周りの反応を気にしているということと、我が道を突き進むなりという、両方の精神を維持しながら突き進んだのだろうなーということが改めてわかる仕上がり。

今作で言えば、そもそものコンセプトは「コロコロアニキ」で脚本・監修を担当していた連載漫画をホルモンのCDに入れたいという、自身の欲望が出発点としてあるわけだ。

そこにあるのは単純なエゴだ。

けれど、そこから「自身の欲望」を客観視して、色々と掘り下げたり綿密に戦略を練ることで、圧倒的なエンターテイメントに消化してみせるわけだ。

セットになっている漫画とCDは、内容が全く関係がないと語られることもあるが、個人的にはそう思わない。

あの漫画に関しては、あまり「オチ」を話すべきではないから、この記事ではあまり内容には触れないが、あの作品でわかるのは以下のようなことだ。

亮君の脳内世界ではどういうことが展開されているのかということ。

ホルモンであれファンモンであれ人の大好きな音楽をバカにするべきではないということ。

脳内世界では誰もが「神」になれるけれど、現実はいつだって世知辛いということ。

読んだ人ならわかると思うが、最後のオチはけっこう痛切なものだと思う。

で、これって、現実では痩せるという選択肢を選ばないといけなくなった亮君とも重ねられる話なのではないか?と思うのだ。

理想の自分はこうでありたいという物語が絶対にあるはずだけど、でも、現実はそれを許さない。

脳内と現実にはギャップがあって折り合いをつけないといけなくなる。

デブと痩せるの問題も同じことだ。

ダイスケはんが首を痛めて入院をしないといけなくなったことだって同じことだろうし、変わってしまったホルモンを嘆くファンがいることも同じ話だ。

理想とは別のところに現実があって、そこには大きなギャップが生じる。

でも、そういう現実に対してどう生きていくのか?

それは「これからの」に繋がる話だし、漫画と音源と二つの物語で、「これからの」に対する色んなパターンを提示してみせることで、その問題はより輪郭をはっきりさせる。

現実は変えられないと諦めて脳内に逃げ込むのもひとつの「これから」ならば、理想の現実を作るために、可能な限り抗ってみせることもひとつの「これから」である。

何をバットエンドと感じ、何をハッピーエンドと感じるのかは人それぞれである。

けれど、言えることは二つある。

脳内世界は誰にも侵犯されない、かけがえのない大切なものであるということ。

現実は理想通りにはならないからこそ、妥協するところは妥協する必要があるということ。

そして、ホルモンはその二つをはっきりと見せつける作品を作り上げた。

少なくとも、僕はそんなメッセージを今作に感じたし、現実って本当に辛辣だからこそ、ホルモンの漫画にどうしようくない胸を抉られたし、それでも脳内世界を大事にして、可能な限り形にするホルモンをみていると、勇気をもらえたりもするのだ。

ただのエンターテイメントではなく、そんなことまで感じさせるからこそ、ホルモンの作品って、他のどのバンドの作品よりも「濃い」と感じるのだろうなーなんて、そんなことを思うのだ。

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